2022-05-28

何も知らない米国市民を対象にCIAが行った、極秘のLSD実験

10年にわたるMKウルトラ計画は、何も知らない被験者をマインドコントロールの実験に使った

RT
(2022年5月24日)

第二次世界大戦後、人の心をコントロールすることは、諜報機関にとって最重要課題の一つとなった。果てしないスパイ合戦のなかで、尋問で真実を語らせる、あるいは被験者の人格を消し去り、別の人格、おそらくはコントロールされた人格を押し付ける能力は、諜報機関にとって非常に魅力的だった。

CIAの最重要なマインドコントロール研究計画は、シドニー・ゴットリーブ博士が率いたMKウルトラである。1953年に開始され、10年後に中止されたこの計画では、放射線、電気ショック、心理学・精神医学の道具、不快物質、準軍事装置などを使って人間の行動制御を実験していた。

MKウルトラとLSDの関係は、今では広く知られる。LSDは1938年にスイスの化学者アルバート・ホフマンが、バーゼルのサンド研究所で創製した幻覚剤だ。1943年、ホフマンは偶然自らLSDを服用し、効果の強さを知る。サンド研は4年後に「デリシッド」の名で発売し、1948年には米国にも入ってきた。

1953年11月、ゴットリーブらCIA職員と米国の生物学研究所「キャンプ・ディートリック」の科学者が、メリーランド州の山小屋に集まり、会議を開いた。その中には、空中生物学の専門家フランク・オルソン博士も含まれていた。

あるとき、CIAのメンバーは何も知らない被験者に実験を行うことを決め、ゴットリーブの副官ロバート・ラッシュブルックが、夕食後に出されたコアントロー・リキュールの瓶にLSDを入れた。オルソンはそれを味わった。オルソンが帰宅後、家族は彼が落ち込んでいるのに気づいた。

2日後、オルソンは上司ヴィンセント・ルウェットに、体調不良と体験した内容を訴えた。ルウェットはラッシュブルックに連絡し、オルソンをニューヨークに連れて行き、CIAに近い、LSDに詳しい医師に診せた。オルソンは気分が悪くなり、家族と感謝祭を過ごすために飛行機で帰郷することさえ拒んだ。

後日ラッシュブルックは、最後の夕食の際、オルソンは「実験前とほぼ同じ顔をしていた」と主張している。午前2時半、「ガラスが割れた」大きな音で目が覚め、10階の部屋の窓からオルソンが転落死しているのを見つけたという。しかしオルソンの家族は自殺とは考えず、殺されたと主張した。

こうした出来事にもかかわらず、何も知らない被験者を対象とした実験は続けられた。CIAの職員はバーで候補者に会い、「隠れ家」に連れて行き、飲食物を通して薬を投与し、反応を待った。被験者はその後何日も体調を崩すこともあった。

MKウルトラは1963年に中止された。その10年後、ゴットリーブはMKウルトラに関する文書のほとんどを破棄してしまったので、その本当の規模はわからないままだ。MKウルトラは冷戦時代の亡霊にすぎないが、新兵器やそれに対抗する方法の研究は、今なお続いている。

(次より抄訳)
The story of how the CIA conducted secret LSD experiments on unwitting US citizens — RT World News [LINK]

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