2022-05-31

銃乱射事件でしくじった警察に、銃規制派はもっと権力を与えるつもり

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2022年5月26日)

最初はコロンバイン高校(コロラド州)、次にパークランドの高校(フロリダ州)。そして今回、ロブ小学校(テキサス州)でも、犯人が校内で子供たちと立てこもっている間、警察官が学校の外で待機していたことがわかった。

よくあることだが、警察の本当の関心事は「警官の安全」であり、一般市民の安全ではない。今回のテキサス州ユバルディの小学校での銃乱射事件でもそうだったようだ。

警察が責任を問われると期待しない方がいい。「保護と奉仕」というマーケティング上のうたい文句にもかかわらず、警察には実際には一般市民を危険から守る義務はないというのが、現在、米連邦裁判所で確立されている法原則なのだ。

米最高裁は二つの事件において、警察機関は市民を保護する義務はないとの判決を下している。つまり、たとえ市民の生命や財産が明らかに脅かされている場合でも、介入するタイミングを選ぶことは、警察の権利として十分に認められているのである。

警察を信頼するのは愚かな行為だと、警察自身が明らかにしているにもかかわらず、銃規制論者は、法を守る市民の武装解除を望んでいる。銃規制の強化とは、強制力・防衛力を警察の手に集中させることだ。つまり銃規制が行われると、警察は相対的に強力になり、法を守る市民は相対的に無力になる。

銃規制は、法を守らない市民(犯罪者)の手に暴力を集中させる。その結果、一般市民は、凶暴な犯罪者から身を守るために警察にますます頼らざるをえなくなる。

銃規制を国民に受け入れさせるには、「銃は必要ない」と納得させることが重要だ。しかし現実はどうだろう。警官は、マリファナを吸ったと疑って、住民に長時間嫌がらせをする。小さな老婦人に「泥棒」と言って腕を折る。「命の危険を感じたから」という理由で、何の警告もなく居間で女性を射殺する。

警官は実際に武装した狂人に立ち向かうとなると、「警官の安全」が確保されるまで、外で待っているだけだ。これらの事実を考慮すると、凶暴な重罪犯を止めることにまったく興味のない連中に自衛の権利を明け渡すのは、実に非合理的だと言わざるをえない。

もちろん銃規制論者は、そうは考えない。銃規制の法律さえあれば、魔法のように銃がなくなると信じているようだ。しかし現実の世界では、銃規制は強制力を必要とする。では、その執行を担うのは誰なのか。警察だ。

銃規制論者は今回の警察の無能ぶりを見て、「そうだ、もっと銃規制を警察に任せよう」と考えたようだ。この論理は支離滅裂だが、多くの人が説得力を感じているのは間違いない。

(次より抄訳)
Police Botched the Uvalde Standoff. Now Gun Controllers Want to Give Police More Power. | Mises Wire [LINK]

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