2021-04-05

奴隷根性を乗り越える


テレビのニュースを見ていると、毎日のように、コロナ対策にいそいそと協力する善男善女の姿が流れる。花見のシーズンには、ベンチで隣同士に腰かけ、「横に座ってしゃべるようにしています」と笑顔で話すカップルや、「ちょっと早く来て、人が出てきたら帰るつもりです」と答える男性らが紹介された。もちろん全員マスクをしている。

それならいっそのこと、わざわざ花見なんかに来なけりゃいいのにとも思うが、それは違う。自粛要請のせいで世の中が真っ暗になるのではなく、それなりに楽しんでますとアピールすることに意義がある。それを善男善女はわきまえている。

なんだか北朝鮮のテレビみたいだって? とんでもない。だって強制されたわけではなく、みずから進んで行動しているのだから。そのほうが悪性かもしれないけれど。

恋人同士ならマスクなど外し、顔を見ながら話せばいい。人が来たら帰ったりせず、いっしょに桜を楽しめばいい。そうしたからって、健康へのリスクがどれだけ高くなるっていうのだ。

でも善男善女はそうしない。むしろお上の命令に進んで従うほうが、気持ちがいいと思っているに違いない。そうでなければ、あの笑顔にはなれない。

社会思想家の大杉栄は、「奴隷根性論」でこう書いた。

政府の形式を変えたり、憲法の条文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども過去数万年あるいは数十万年の間、われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめる事は、なかなかに容易な事業じゃない。(『大杉栄評論集』岩波文庫)

奴隷根性を乗り越えることは、政治の仕組みを変えるより難しいかもしれない。しかし嘆いてばかりいても仕方ない。大杉栄は前を向いて、こう付け加えている。「けれども真にわれわれが自由人たらんがためには、どうしてもこの事業は完成しなければならぬ」

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