2021-01-18

反逆と扇動


treason(反逆、裏切り)という言葉で信じ込まされるものがある。市民が政府に対して何か義務を負っているとか、政府による独占の強制は政府と市民との間に交わされた何かしら自由で自発的な合意(想像上の「社会契約」)に基づくといった神話だ。そのような神話は嘘である。

1918年の米扇動防止法は第一次大戦中の狂乱の中で成立し、2000人以上の人を起訴するのに使われた。多くは戦争反対を唱えた人だった。扇動罪は政府が政敵をつぶし、反対意見を封じ込めるのに利用されてきた。今、扇動という言葉を振り回す人々も同じ動機からではないだろうか。

「暴動の扇動」は犯罪だろうか。Aが群衆に向かい「行け! 焼け! 略奪しろ! 殺せ!」と呼びかけ、暴徒がそのとおりのことをしたとする。人は誰でも行動の自由があるから、Aが暴徒を犯罪行動に向けて決定したとは言えない。「暴動の扇動」は発言の自由であり、犯罪ではない。

不正と戦うためなら暴力は手段として正当化できるという考えは、必ず果てしない争いを招く。非暴力は不正に対する唯一普遍の答えかと聞かれ、キング牧師はこう答えた。「間違いない。非暴力の組織的な抵抗は、虐げられた人々が束縛から解き放たれるために使える最強の武器だ」

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