2020-12-02

マスク着用という儀式

病原菌の多くは目に見えず、謎めいているため、歴史上、伝染病の予防は儀式的な振る舞いに頼ってきた。同意しない者は他人の健康まで脅かすとされた。現代でも、公の場でのマスク着用は自他をコロナ感染から守る証拠がないにもかかわらず、団結の名の下に支持されている。

政府のコロナ感染症対策で人の命が救われるとき、必ずその引き換えに、経済・社会への悪影響などで犠牲になる人がいる。これでは「公共善(common good)」の促進とは言えない。公共善とはその名のとおり、国民全員に共通の(common)善でなければならないからだ。

人間生活の社会的側面はそれなしで済む贅沢品ではなく、人間生活そのものだ。休日の家族での食事、教会での礼拝、結婚式はもちろん、日常のありふれた付き合いでもそうだ。人がコロナ禍を乗り切る方法は自由でなければならない。自分しか知らない身近な情報はその武器になる。

フランスは欧州で最も厳しいロックダウン(都市封鎖)を長く続けているにもかかわらず、コロナによる百万人あたりの死者数は急増している。チェコも同様で、世界でも最も速いペースで死者が増えている。他の東欧諸国も同じく死者が増えているが、ロックダウンはチェコほど厳しくない。

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