2020-09-27

金井利之『行政学講義』

植民地ニッポン

日本で総理大臣が交代するたびに大手メディアがまず報じるのは、米国の大統領と電話会談を行い、日米同盟の強化で一致したというおなじみの儀式だ。そこではあたかも日米が対等の独立国家であるかのように描かれる。けれども物のわかった人なら、それが茶番にすぎないことを知っている。日本が米国と対等の立場であるはずがない。

日米の本当の関係は何か。行政学者で東京大学教授の著者は本書で、それは「自治領土」または「植民地」と、その「本国」の関係だと、身も蓋もない事実を指摘する。

アジア・太平洋戦争での敗北の結果、日本は米国に占領される。サンフランシスコ講和条約によって1952年4月に建前上、独立を回復したが、実質は占領地(「植民地」「自治領土」)のままとなった。高度の自治は認められたものの、「本国」米国は、「自治領土」日本内に軍事基地を置き、自由に使用する特権を得た。これが日米安全保障条約体制だと著者は述べる。

「本国」の領域支配は三次元空間にも及び、横田基地をはじめとして、多くの空域は「本国」の領域支配のもとにある。加えて、「本国」の軍人・軍属の活動に関しては、「本国」の支配が基地外に拡張する。たとえば、米兵が日本国内で殺人・強姦などを犯しても、米国の許しがなければ、日本は刑事司法権限を持たない。また、米軍機が日本国内に墜落または「不時着」しても、米国の許しがなければ日本側は現場検証も救助もできない。

このように、在日米軍とは、日本の領域支配の及ばない、最大の「外国」である。最強の「在日特権」だろうと著者は喝破する(第2章)。ネット右翼が攻撃する在日韓国・朝鮮人の「在日特権」とは比べ物にならない巨大な特権だ。

著者によれば、戦後日本にとって、米国は通常の意味での外国ではない。「本国」という意味での「外国」である。だから日米外交は主権国家間の「外交」というよりは、「国と自治体との協議、あるいは、宗主国・本国と自治領土・植民地との間の協議のようなもの」にすぎない。

自治体が国との対等な関係を目指すように、日本政府は米国政府との対等な関係を目指しはする。しかし、基地返還をはじめ、その実現は容易ではない。だから日本の為政者は、対米協議には及び腰になるし、交渉自体を時間と労力の無駄だと考える。むしろ、「本国」の為政者の意向に添う方が、個人的にも組織的にも、得策だと考えるかもしれない。

米国に対する日本の為政者の卑屈なまでの日頃の態度を見るにつけ、著者のこの指摘にはうなずかざるをえないし、情けなくもなる。せめて、「本国」に対して無力な被治者でしかない為政者を「宰相」と持ち上げたり、その指名争いを「天下取り」と大げさに呼んだりする馬鹿らしさを嗤って、憂さを晴らすことにしよう。

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