2020-07-21

米国、トランプ保護主義政策の「不吉な末路」…「世界大恐慌」の歴史的検証より予想

トランプ米政権は3月23日、鉄鋼とアルミニウムの輸入制限を発動した。それぞれ25%、10%の追加関税を課す。主な輸入相手である欧州連合(EU)やカナダなど7カ国・地域は関税の適用を一時的に猶予する一方、日本や中国には適用する。

これを受け、同日の米株式相場はダウ工業株30種平均がほぼ4カ月ぶりの安値に下落。中国が米国製品への関税引き上げ計画を準備していると発表し、株式市場に米中貿易戦争への懸念が強まった。


この展開は不吉な連想を誘う。1929年から30年代に世界を襲った大恐慌の前夜にも、米国の保護主義的な貿易政策に対し株式相場が神経質に反応する時期があったからだ。今後を占う参考とするため、当時を振り返ってみよう。


「暗黒の木曜日」への道


1930年に米国で制定されたスムート・ホーリー法は、広範な品目の輸入品に対する関税を大幅に引き上げ、大恐慌の一因となったことで知られる。当時のフーバー大統領は米経済を救うためと称して関税引き上げを支持し、同年6月15日(日)の夜、同法を承認すると表明。翌16日のニューヨーク株式相場はこれを受け急落した。だが、株式市場はもっと以前から、関税引き上げへの警鐘を鳴らしていた。

最初に不穏な兆しがあったのは、1928年12月である。同月7日、ニューヨーク・タイムズ紙が、下院歳入委員会の14の小委員会で関税に関する公聴会が開かれると報じた。関税は農産物に限らずすべての商品が対象となり、共和党の委員は全品目の関税を引き上げるつもりだという。これを受け同日、ダウ平均株価は3.12%下落し271.05ドルとなった。

しかし、このときは株価はすぐ回復する。関税法案はまだできてもいなかったし、成立するかどうか不透明だったからである。ダウ平均は年末までに300ドルに上昇し、翌1929年3月まで順調に上げた。

問題が現実になり始めたのはここからである。公聴会が進む一方、フーバー大統領が3月4日に就任した(当時の大統領任期は3月から)。同月24日、ニューヨーク・タイムズ紙2面でよくないニュースが報じられた。『ワトソン議員、関税で難航を予想』との見出しで掲載されたのは、次のようなワシントン発の記事である。

「共和党の上院院内総務、ワトソン議員は23日、特別会期での法案審議についてフーバー大統領と会談後、関税見直しを数品目にとどめようとしている政府の計画は、議会で多くの反対に見舞われるだろうと語った。(中略)同議員によると、各上院議員のもとには、事業に影響のある品目について関税引き上げを求める企業が殺到しているという」

保護主義の高まりを伝える不吉なニュースを嫌気し、翌25日の株価は4.11%安の297.50ドルに下落した。

夏になると反関税派が勝利するとの観測が強まり、ダウ平均は7月31日に347ドル、8月30日に380ドル、9月3日には当時の史上最高値である381ドルまで上昇した。だが続く数週間、じりじりと下げに転じ、10月10日に352ドルまで下落する。海外投資家が関税問題を警戒し、資産を処分し始めたためだ。

歴史的な10月の株価大暴落にも関税法案の動向が強く影響した。10月21日、上院金融委員会でスムート上院議員(ユタ州選出)をはじめとする保護主義派共和党議員の作成した関税引き上げ法案が本会議に上程された。これに対し自由貿易派共和党議員と民主党議員が共闘し、広範囲の関税引き上げを阻止しようとする。

この争いに株式市場は実に敏感に反応した。22日に化学品への関税抑制で自由貿易派が勝利すると、株価は大きく上昇。23日にカーバイドへの関税をめぐって共闘が崩れると、その情報が伝わった直後から株価は急落した。

株式市場は将来の経済活動を予測する


そして迎えた24日の「暗黒の木曜日」。この日株価が大幅に下げたのは午前中で、午後には持ち直したが、その値動きも関税法案の審議と密接にかかわっていた。

午前中、上院でカゼインの関税引き上げが審議された。カゼインとは牛乳の成分で、食品としてだけでなく、紙の塗料など工業用にも利用される。以前の関税率は1ポンドにつき2.5セントだったが、酪農家と親しい共和党のショートリッジ議員はこれを一気に8セントに引き上げるよう主張。製紙地帯出身の議員らによる反対にもかかわらず、上院はショートリッジと妥協し、5.5セントへの引き上げを決めた。これは価格に換算すると推定87%もの関税率となる。

だが午後になると反関税派が巻き返し、他の化学品の関税引き上げを食い止める。終わってみればダウ平均は299.47ドルで、2.09%の下げにとどまった。もしその後、大幅な関税引き上げが回避されていれば、株価の低迷は短期間で終わっていたかもしれない。

実際、その後一時200ドルを割った株式相場が翌1930年春に上向いた際、買い材料のひとつとなったのは、関税法案が廃案になるとの期待感だった。海外諸国が関税引き上げを警戒し、米国政府に圧力をかけたからだ。反対を正式表明したのは34カ国に上った。ギリシャは「関税の変化は必ずギリシアの購買力に影響し、米国製品への損害につながる」と警告し、ムッソリーニ率いるイタリアはオリーブ油の関税引き上げに激高した。

しかし諸外国の抗議にもかかわらず、米政府に動きがなかったため、株価は4月17日に294.07ドルまで上げた後、再び下落を始める。

法案は6月13日に上院で可決、そして前述のように、株式市場の閉まった15日にフーバーが承認の意向を表明し、16日に株価は急落した。同日のダウ平均終値は前週末比7.87%パーセント安い230.05ドル。前年10月29日の暴落時と同水準まで逆戻りしたことになる。保護主義による世界経済の収縮が決定的になった瞬間だった。

当時を検証した米ジャーナリストのジュード・ワニスキー氏は「株式市場は将来の経済活動を判断する手段として最も効率よく、正確だ」と述べる。トランプ政権の露骨な保護主義政策が世界経済に及ぼす影響を見極めるうえで、株式市場の動きから目が離せない。

<参考文献>
Jude Wanniski, The Way the World Works, Regnery Publishing, Washington, DC, 1998.

Business Journal 2018.03.28)*筈井利人名義で執筆

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