2018-09-13

ルールは必要、規制は不要

多くの人は、ルールは政府が作るものだと信じています。しかしそれは正しくありません。スポーツのルールがそうであるように、ルールとは本来、関係者の間で自然に生み出され、柔軟に修正されていくものです。官僚が設計し、法律で押しつける規制は、むしろ社会や経済の秩序を乱します。

政府による立法が広まったのは近代以降で、人類史では比較的最近にすぎません。それ以前の法は、部族の慣習、先例に基づくコモン・ローの裁判、商事裁判所の商慣習法、船荷主が設置した法廷で形成された海事法など、政府以外の制度から生み出されるルールでした。

歴史家フリッツ・ケルンによれば、近代以前、法を「創造」するという考えはありませんでした。法とは、慣習や判決の積み重ねから理性によって発見される法則でした。だから法とは古いものであり、新しい法とは言葉の矛盾です。ケルンは「中世の観念にしたがえば、新しい法の制定はそもそも不可能」と述べています(『中世の法と国制』、創文社 )。

このように、政府の力がなければルールは作れないという考えは誤りです。それどころか、経済合理性より政治的事情を優先する政府の規制は、社会・経済をしばしば混乱させます。ルールと規制は違います。ルールは必要でも、だから規制が必要だとはいえません。

ところがこの事実は、ほとんど認識されていません。ルールは政府が作るものだとたいてい頭から信じています。朝日新聞は自動車産業をテーマにした最近の社説で「企業など民間が競争を通じて創意工夫を重ね、行政はインフラやルールの整備で後押しする」うんぬんと書いていました。

もし民間が創意工夫にたけているなら、ルールの整備も得意なはずです。社会が複雑で多様になればなるほど、中央集権的な規制は時代遅れになっていきます。(2017/09/13

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