好景気は良く、不景気は悪いという「常識」を信じているのは一般人だけではない。経済の専門家を名乗る人々の多くも同様である。
たとえば経済評論家の上念司は著書『経済で読み解く大東亜戦争』(KKベストセラーズ)で戦前の昭和恐慌を論じる中で、当時まだ広く認められていた、不景気は悪くないとする考えをさかんに非難する。
昭和恐慌の引き金になったとされるのは、第一次世界大戦前の旧平価による金本位制復帰である。戦中戦後の紙幣大量発行で円の価値が下がった後の新平価よりも約10%円高となるため、国内物価にそれだけ下落圧力がかかり、不景気に陥ることが予想された。不景気を恐れる一部のエコノミストは新平価を主張したが、大勢は旧平価派だった。
旧平価での復帰は、当時としてはオーソドックスな経済学の考えに基づくものだった。すなわち、大戦の反動不況で経営難に陥った企業を政府・日銀が特融で助け続けた結果、資本・人材の配分が歪んでおり、これを常態に戻す必要がある。倒産する企業もあるだろうが、健全な経済に復するためにはやむをえない、という考えである。
こうした考えを上念は「痛みに耐えるとバラ色の未来がやってくる」という発想、と揶揄する。そして旧平価派の一部は「不況が発生することで弱い企業が淘汰され、産業そのものが強化されるから、むしろもっと大きな不況が襲ったほうがいい」と主張したとして、「カルト的」と罵倒する。
上念の表現は多少誇張されているものの、大筋では旧平価派の考えを正しく説明している。しかしそれをカルト呼ばわりするのは上念の無知でしかない。
世の中にある資源と人材は限られる。消費者から相手にされず本来なら破綻すべき企業が、政治の力でいつまでも淘汰されなければ、その分資源・人材を無駄遣いし、必要とされる産業の成長を妨げる。経済が発展するには、不要な企業が潰れなければならない。この真理を経済学者シュンペーターは「創造的破壊」と呼んだ。
上念はシュンペーターの考えを「危険思想」と決めつける。そしてカネをジャブジャブにして好況をもたらしたアベノミクスを称える。
だが政府が景気を人為的に支えるほど、その歪みを正す不況は大きくならざるをえない。危険なのは不況を良いとする思想ではない。いびつな好況をつくりだす政府のほうである。
(2015年2月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
自由主義は、機会の平等、結果の受容を第一の正義とする思想。経済が好景気か不景気かは自由主義にとっては実は二の次だ。また、好景気でも差別労働などがあれば貧乏で苦しむ人が多いことは歴史上あった。つまり、貧乏で苦しむ人があまりに多いと、暴力を振るう輩が出てきて治安が乱れ社会か壊れるから、貧乏人を減らしておきたいという考えにたどり着く。共産主義や全体主義なら人民から自由を奪い強制労働させるだけ。貧乏人を減らす方法には、直接金を渡す(即効性)、教育する(遅効性)の二つしかない。「カネを依怙贔屓して撒く」事は自由主義ではない。「カネを平等に撒く」事は自由主義の考えに沿っている。「カネを平等に撒く」方法は一人当たり一律定額が平等だろう。これは所謂ヘリコプターマネーである。カネをジャブジャブと撒くかチビチビと撒くかは、経済運営の問題であり自由主義と関係ない話だ。
返信削除不要不急の公共事業をすることは自由主義ではない。だが、公共事業の必要性を見極めることは難しい。またたとえ必要性が分かっていても手遅れで実施できないことも多い。例えば、東京にはもっと広い道路が明らかに必要だが、過去はトンネル掘削の技術がなかったりコストがかかりすぎたりしてできなかった。
貧乏で苦しむ人を助けるために、売れない商品を抱えた破綻すべき企業を自由主義政府が助けることは、「カネを依怙贔屓して撒く」事になるから実施できない。経済学者シュンペーターは「創造的破壊」は自由主義政府のモラルで自動的に達成される。
ところで、カネを集める税を考えると、金儲け・労働の結果の所得は個人差があるから所得税率を平等にすることが自由主義の正義である。つまり、累進課税は、自由主義ではない。
おまけだが、治安を維持するため義務教育だけが政府から無償で提供されることは、自由主義では容認される。そもそも、学校は誰でも自由に設置できてよく、国民の学校選択の自由のために、学費と卒業生の成績(平均・分散・最高・最低等)は公開することが自由主義では、正しい。