2015-01-11

「表現の自由を守れ」は本気か

仏パリの風刺専門紙シャルリエブドの本社襲撃事件を受け、西側諸国の政府やメディア、知識人などから「表現の自由を守れ」と訴える声が相次いでいる。表現の自由はもちろん大切であり、主張そのものに異議はない。しかし事件をきっかけに声を上げた西側政府や言論関係者はこれまで、本気で表現の自由を守ろうとしてきただろうか。

今回の事件の背景には、同紙が掲載したイスラム教預言者ムハンマドの風刺画が背景にあるとみられている。報道によると、フランス国内各地では、市民による犠牲者の追悼と抗議の集会が開かれ、多くの人が新聞名にちなんで「私はシャルリ」と書いたプラカードを掲げて街に繰り出し、同紙への連帯の意思を示した。同紙はあたかも表現の自由の象徴になったかのようである。

こうしたなか、ジャーナリストのグレン・グリーンウォルド(Glenn Greenwald)は事件後、ツイッターでこう指摘した。「2009年、シャルリエブド紙はある記者のジョークが反ユダヤ的だとして、同記者を解雇した。その後、記者はヘイトクライム(憎悪犯罪)に問われた」

グリーンウォルドが紹介した英テレグラフ紙の2009年1月27日付記事によると、解雇されたのはモーリス・シネという80歳の記者。同年7月、サルコジ大統領(当時)の22歳の息子と電化製品チェーンのユダヤ人女性相続人の交際にからみ、息子サルコジ氏がユダヤ教に改宗するという根拠のない噂について、コラムで「出世するよ、あの坊や」と書いたところ、ある有名な政治評論家からユダヤ人への偏見につながると批判された。

シャルリエブド紙のフィリップ・ヴァル編集長はシネに謝罪を求めたが、シネは拒否し、解雇された。解雇には哲学者ベルナール=アンリ・レヴィなど著名知識人が賛同したという。

今回の襲撃事件で表現の自由の象徴に祭り上げられた同紙自身、過去には必ずしも記者の表現の自由を守ってきたわけではないことになる。もちろんホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を経験した欧州で、ユダヤ人への偏見・差別を戒める意見はひときわ強い。しかしそうだとしても、ときにはみずから表現の自由を制限しておいて、ムハンマドの風刺画を描く自由だけは絶対に譲らないと叫ぶのは、他人を納得させられる態度とはいえない。

ユダヤ人差別に限らない。フランスは法律で各種のヘイトスピーチ(憎悪表現)を禁じている。民族、国籍、人種、宗教、性別、性的指向、心身上の障碍を理由とするヘイトスピーチをおこなった者は、侮辱罪の場合で最長6カ月の懲役、最大2万2,500ユーロ(約317万円)の罰金の一方または両方を科される。

しかし何がヘイトスピーチにあたるかという判断には、恣意的な価値観が働いている可能性がある。たとえば宗教の場合、キリスト教徒とイスラム教徒に対する侮辱はヘイトスピーチの罪に問われることが少ないと米経済学者トーマス・ディロレンゾ(Thomas DiLorenzo)は指摘するウィキペディアによると、フランスのある裁判所では、キリスト教の十字架をナチ党の鉤十字になぞらえた映画のポスターはキリスト教徒への侮辱にあたらないと判断した。

フランスなど西側諸国の一部はこれまで、政治的な配慮にもとづき表現の自由を制限してきた。しかもその判断基準は御都合主義でゆがめられている疑いがある。表現の自由を本気で守りたいのであれば、みずからが抱えるこれらの問題にまず取り組むべきだろう。

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