In the Pink | Mises Institute [LINK]
【海外記事紹介】私たちは、自分自身の意思で物事を決めているのでしょうか。例えば、今この文章を読むと決めたのはあなた自身でしょうか。それとも、自分では制御できない力によって決定されていたのでしょうか。哲学者トーマス・ピンクによる著書『自由意志』の内容を基に、この複雑な議論を整理してみましょう。
多くの人は自分に自由意志があると考えていますが、現代の哲学界にはそれを否定する有力な論証も存在します。私たちが何かを決断する際、それは直前の出来事によって引き起こされ、さらにその出来事も過去の要因によって決まっているという連鎖を辿れば、生まれる前の出来事にまで遡ることになります。これでは自由など存在しないように思えます。一方で、過去が未来を完全に決定しないと仮定すると、今度は決断が単なる「偶然」や「ランダムな動き」になってしまい、個人の意志とは呼べなくなります。
この問題に対し、デヴィッド・ヒューム以来の「両立論」という考え方が、現在最も支持されています。これは、誰にも強制されず、自分の望む通りに行動できているのであれば、それは自由であるとする立場です。しかし、この考え方では「自分が何を望むか」までは選ぶことができません。
また、カント主義の伝統では「私は自由ではない」と主張すること自体が、自由に発言している証拠であり、自己矛盾であるとする説もあります。しかし著者は、発言という行為が自由に見えても、それが行動全般の自由を証明することにはならないと指摘します。
別の視点として、行動の源を「欲求」ではなく「理性」に求める説もあります。中世やカントが重視したこの考え方は、理性が導き出した最善の選択をすることが自由であると説きます。しかしピンク氏は、この説では「不合理な選択をする自由」が説明できないと批判します。私たちは体に悪いと分かっていてもジャンクフードを食べる自由を持っているからです。
自由意志を否定し、それがなくても社会は回ると割り切る考え方もありますが、それでは他人の責任を問うたり称賛したりする私たちの世界観が崩れてしまいます。ピンク氏が提示する解決策は、行動を「説明すること」と「原因を特定すること」を混同しているという点にあります。彼は、自由とは決断を下すために何かを引き起こす力ではなく、決断そのものの中に自由が遂行されているのだと主張しています。
私たちが行動をコントロールしているという感覚の正体は何なのか、この議論は今も非常に深遠な問いを投げかけています。
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