2024-06-02

泥棒貴族という英雄たち

南北戦争後、1870年代から90年頃までの米国では経済が急速に発展した。日本では明治時代前半にあたるこの時期は、「金ぴか時代」と呼ばれる。この名称は十九世紀の米文学を代表するマーク・トウェインらの小説の題名からきており、外見だけは華やかだが、金儲けに人々が奔走し、政財界に腐敗が蔓延した時代との批判が込められている。

The Myth of the Robber Barons: A New Look at the Rise of Big Business in America (English Edition)

金ぴか時代に拝金主義や政財界の腐敗という影の部分があったのは事実だ。けれども、それがすべてであったわけではない。理想の追求や勤勉の精神、慈善の拡大といった輝かしい側面もあった。

金ぴか時代のこの二面性を理解するうえでカギとなるのは、「ロバー・バロン(泥棒貴族)」と呼ばれる人々だ。もともとは中世英国で領内を通行する旅人から通行料を取る悪質な貴族のことだが、それにならって、情け容赦なく、際限なく利益を追求する資本家・事業家を指してこう呼んだ。

金ぴか時代には、泥棒貴族と呼ばれる資本家が輩出した。たしかにそのうち一部は、政治権力と癒着して不当な利益をむさぼった。しかし一方で、フェアな市場競争を通じ正当に富を築いた事業家も少なくなかった。泥棒貴族の真の姿を探ってみよう。

南北戦争後の米国では、大陸横断鉄道をはじめ鉄道網が発達した。その立役者となったのは鉄道資本家だ。

政府による資金支援がなければ大規模な鉄道建設は無理だと信じている人は少なくない。たしかに一部の鉄道資本家は政府とのコネを利用して支援を引き出した。たとえばセントラル・パシフィック鉄道の創業者リーランド・スタンフォードはカリフォルニア州知事、同州選出の連邦上院議員を歴任した政治家でもあり、そのコネを利用して鉄道の競争を妨げる法律を通し、独占による利益を享受した。

彼などはまさしく、権力を利用して不当な利益をあげた泥棒貴族の名にふさわしい人物だろう。しかしそのせいで、まっとうな商売で富を築いた起業家まで同類に扱われ、非難されるのは残念なことだ。

鉄道業界でそうしたまっとうな起業家の代表は、グレート・ノーザン鉄道の創業者ジェームズ・ヒルだ。ヒルは十四歳で父を亡くし、母を支えるため学校をやめて働き始める。食料雑貨品店、農業、海運、羽毛販売などで元手を蓄えた後、ミネソタ州の倒産した鉄道会社を仲間とともに買い取った。

ヒルはただちに鉄道業の才能を発揮する。業務の無駄を省き、社員が交代で必ず休憩時間を取れるようにした。コスト削減の成果を農業、鉱業、林業関係者など利用客とも分かち合い、運賃を引き下げた。自社と顧客は共存共栄の関係にあると知っていたからだ。水害や不況に苦しむ農家のために穀物の種子を無料で提供し、町に土地を寄付して公園、学校、教会が作れるようにもした。

ヒルは、同業者で結託して運賃を高めに維持しようとするカルテルの誘いを拒んだ。むしろ進んで運賃を引き下げ、カルテルを崩そうとした。

1886年から1893年にかけ、大陸を横断するグレート・ノーザン鉄道を建設した際には、補助金頼みの鉄道とは違い、景色よりも耐久性や効率性を重視した。少しでも距離を短く、勾配をなだらかに、カーブを少なくするため、より良い路線の調査・開発に努めた。その結果、グレート・ノーザン鉄道は世界の主要鉄道のうち、最も便利で儲かる鉄道となった。

これに対し、健全な鉄道の建設よりも政府からの補助金獲得に力を入れた鉄道会社は、経営が不効率で、次々と倒産した。実のところ、最後まで倒産しなかった大陸横断鉄道は、ヒルのグレート・ノーザン鉄道だけだった。

まっとうな起業家でありながら、泥棒貴族とおとしめられる資本家の代表といえば、石油王ジョン・ロックフェラーだろう。

鉄道王ヒルと同じく、ロックフェラーも恵まれない境遇から身を起こした。行商人の子として生まれ、十六歳で高校卒業後、見習いの経理事務員となる。キリスト教プロテスタントの一派であるバプテスト教会の敬虔な信者で、勤勉と貯蓄を重んじた。いくつかの営業職を経て、二十三歳のときには十分な資金を蓄え、オハイオ州クリーブランドの石油精製会社に出資した。

ロックフェラーはやはりヒルと同様、事業のあらゆる細部に気を配り、コストの削減、製品の改善、品ぞろえの拡大に努めた。ときには肉体労働者に交わってまで、事業をとことん理解しようとした。他の経営幹部もこれにならい、会社は急成長する。のちのスタンダード石油である。

石油製造に伴う多くの無駄をなくす方法も考案した。社内の化学者に命じ、潤滑油、ガソリン、パラフィンワックス、ワセリン、ペンキ、ニス、その他三百種に及ぶ副産物の生産方法を考え出した。これにより生産の無駄をなくし、採算性を高めた。稼いだ利益は精製施設の改善に惜しみなく投じた。操業の安全性に強い自信を持っていたため、保険にすら入らなかったという。

スタンダード石油は急速に市場シェアを伸ばしていく。1870年の4%から1874年には25%に、1880年には約85%にまでシェアを高めた。その原動力になったのは低価格だ。精製油の値段は1869年の1ガロン30セント超から1874年には10セントに、1885年には8セントに下がった。安くなった灯油は、家庭で明かりの燃料として使われるようになる。これは米国民の生活に革命を起こす。当時、日が暮れてから働いたり物を読んだりする習慣はまだ目新しかった。

ロックフェラーは顧客に対してだけでなく、従業員に対しても非常に寛大で、競合他社より大幅に高い給与を支払った。おかげでストライキや労働争議に悩まされることはめったになかった。

ロックフェラーにまともな商売で太刀打ちできない同業者らは、そんなときの常套手段に訴える。政府にロビー活動で働きかけ、法律や規制で相手を縛ることだ。1906年、米連邦政府はスタンダード石油に対し反トラスト(独占禁止)規制に基づく訴訟を起こす。

そもそも独禁規制の目的は、消費者の保護にあるとされる。そうだとすれば、米政府がスタンダード石油を訴えたのはおかしなことだ。前述のように、同社は効率経営によって石油の値段を数十年にわたり大きく引き下げ、消費者に大きな恩恵を及ぼすとともに、競合他社に値下げを促してきたからだ。

市場シェアからも、スタンダード石油を独占とみなすのは疑問だった。1890年には88%と高水準にあったものの、1911年には64%に低下していた。競合他社は数百社もあった。それにもかかわらず、米連邦最高裁は同年、同社に対し独禁法違反の判決を下した。スタンダード石油は三十四の新会社に分割される。

その結果、スタンダード石油の経営は効率が低下し、不効率な同業他社が得をすることになった。損をしたのは消費者である。

スタンダード石油が独禁法違反で摘発された背景には、マスコミによる攻撃もあった。急先鋒だったのは、当時人気雑誌だった「マクルアーズ・マガジン」の編集長アイダ・ターベルだ。ターベルはロックフェラーとの競争に敗れて破産した石油業者の娘で、ロックフェラーはいわば親の仇だった。ターベルのロックフェラー批判は経済学的には的外れだったが、ロックフェラーを悪玉に仕立て上げ、世論を動かすうえで大きな力があった。

ロックフェラーは一般に信じられている姿とは違い、控えめで物静かな人物だった。新聞や雑誌から攻撃を受けると、「夜も寝られない」と不満を述べ、「これほどの心痛で苦しまなければならないのなら、自分が手に入れたすべての富など意味がない」と漏らすこともあったという。

信仰心の厚いロックフェラーは若い頃から教会などの慈善事業に寄付をしてきたが、富を築いてからはそれを本格化した。シカゴ大学はロックフェラーによる寄付金をもとに今日では名実ともに世界的な大学となった。医療研究、文化施設にも多くの寄付を行った。

金ぴか時代の泥棒貴族には、政治の力で金儲けをし消費者の利益を損なう、まさに泥棒の名にふさわしい連中もたしかにいた。しかしそれ以外に、ビジネスの王道を通じ社会を豊かにした英雄的な起業家たちもいた。これら二つの集団を混同してはいけない。それは縁故主義と資本主義の違いでもある。

<参考文献>
  • 飯塚英一『若き日のアメリカの肖像: トウェイン、カーネギー、エジソンの生きた時代』彩流社
  • 松尾弌之『列伝アメリカ史』大修館書店
  • Thomas J. Dilorenzo, How Capitalism Saved America: The Untold History of Our Country, from the Pilgrims to the Present, Crown Forum
  • Burton W. Folsom, The Myth of the Robber Barons, Young Amer Foundation

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