2024-04-21

日米同盟はいらない

岸田文雄首相が今月、ワシントンでバイデン米大統領と会談し、日米同盟の強化を打ち出した。会談でバイデン大統領は「我々の同盟は史上最も強固だ」と強調し、岸田首相はその後の米議会演説で「同盟」という言葉を10回も繰り返した。バイデン氏は多くの歴代大統領と同様、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないという米建国当初の精神を忘れているようだし、岸田首相も同盟がむしろ人々の安全を脅かす危険を無視している。
米国が日本を含む多くの国と同盟を結ぶ現状からは想像しにくいかもしれないが、米国の独立期に活躍し、国の基礎を築いた「建国の父」と呼ばれる有力政治家たちは、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないよう警告していた。

たとえば、初代大統領のジョージ・ワシントンは退任の辞で「世界のいかなる地域とも恒久的な同盟関係を結ばない。これがわが国の真の方針だ」と述べた。アメリカ独立宣言の起草者の1人で、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンは「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好を保ち、いかなる国とももつれ合う同盟を結ばない」と強調した

建国の父たちが同盟を戒めたのは、同盟によって自国の防衛と無関係な戦争に巻き込まれることを恐れたからだ。当時心配されたのは欧州諸国との同盟だった。ワシントンは「人為的な結びつきによって、欧州によくある政治的な波乱や、結合・衝突、友好・敵対に巻き込まれるのは賢明でない」と警告している。

そうかといって、他国との関係をすべて断てといったわけではない。戒めたのは政治上の結びつきであって、経済上の結びつきはむしろ奨励した。ワシントンは「諸外国との関係において、わが国の行動規範の大原則は、通商関係を拡大する際に、政治的な関係をできるだけ持たないようにすることだ」と述べている。ジェファーソンはさきほどの引用で「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好」を保つよう勧めているし、別の場所では「すべての国と自由に通商し、どの国とも政治的なつながりを持たず、外交関係をほとんど、あるいはまったく持たないことに賛成だ」と記している。

現代のマスコミは、米国の政治家が他国との同盟に後ろ向きな発言をすると、「孤立主義」「内向き志向」と非難する。しかし、政治的・軍事的な関わりを絶ったからといって、世界から孤立するわけではないし、内向きになるわけでもない。経済上の交流があればいい。そのほうが一般の人々にとっては有益だ。

一方、日本もかつて同盟で道を誤った。1902(明治35)年に結んだ日英同盟だ。日英同盟は短期では日本の勢力拡大に役立ったように見える。

1904年に始まった日露戦争で、日本はさまざまな形で同盟国である英国の支援を受けた。まず、物資面だ。日本海軍の主力の戦艦6隻すべてが英国製だったし、装甲巡洋艦8隻のうち4隻がやはり英国製で、最新鋭のものだった。日本陸軍が戦時中に発注した銃砲弾の約半分は英国のアームストロング社やドイツのクルップ社などに発注したものだった。次に資金面では、日露戦争の戦費(当時の国家予算の6倍にあたる18億円)の4割は外国からの借金で、そのお金を貸してくれたのが英国と米国だった。劣らず重要だった支援は、情報の提供だ。英国は日英同盟を結んだ1902年、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させた。これを利用し、ロシア軍の状況など軍事情報を日本に提供した。また、日本に有利な情報のみが巧みに市場に流され、日本の国債販売を後押しした(山田朗『日本の戦争 歴史認識と戦争責任』)。こうして日本はロシアに勝利し、韓国に対する支配権などを確保した。1905年には日英同盟の改定によって韓国に対する日本の保護・指導権を認めさせ、1910年には韓国を併合する。

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦でも、日本は日英同盟の「恩恵」を受けた。日英同盟を理由に連合国側に加担してドイツに対抗し、中国に対し山東省のドイツ権益を日本が継承することなどを柱とする二十一カ条要求を突きつけた。また地中海に駆逐艦を派遣したのと引き換えに、英国と秘密協定を結ぶ。太平洋に点在するドイツ領南洋諸島を赤道で分け、赤道以南については英国の要求を、以北については日本の要求を互いに認めることとし、あわせて山東省のドイツの権益を日本が引き継ぐことを英国が認めるという内容だった(梅田正己『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』)。1918年にドイツが降伏し、連合国側の勝利に終わるとパリ講和会議が開かれ、日本は英国との秘密協定どおりに、山東省の旧ドイツ利権を継承するとともに、赤道以北のドイツ領南洋諸島を国際連盟の委任に基づく委任統治領とし、中国や太平洋で勢力を拡大した。

ここまでの経緯からは表面上、英国との同盟で日本は大きく得をしたように見える。しかし、それは政府の立場による見方でしかない。日本やアジアの人々は多大な犠牲を払った。日露戦争に動員された日本兵は約180万人で、戦死者8万8000人、戦傷病者44万人に達した。植民地にされた朝鮮では日本の統治に不満が爆発し、1919年3月1日、独立運動が全土に拡大した(三・一独立運動)。朝鮮総督府は軍隊まで動員し、厳しい弾圧を加えて鎮圧した。

第一次世界大戦でドイツが敗北した結果、皮肉なことに、日英同盟の意味は薄れた。1921年、米国の主導で開いたワシントン会議で、中国の主権・独立・領土保全の尊重などを取り決めた9カ国条約などを結び、日英同盟は破棄された。その背景には、中国で日本の独走を望まない英国や米国の思惑があった。中国をめぐる日本と英米の利害の食い違いは、やがて深刻な対立へと発展し、ついに第二次世界大戦での全面対決と日本の悲惨な敗北に至る。

日本は戦争の結果、多数の人々の生命・財産を犠牲にしただけでなく、かつて日英同盟を助けに手に入れた海外領土をすべて失った。特定の国と政治上の同盟を結んだり他国を植民地にしたりするのではなく、あらゆる国と経済上の友好関係を保っていれば、別の道が開けていたかもしれない。

岸田首相は米議会演説で「日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」と強調した。しかしその美辞麗句とは裏腹に、日米同盟は「世界の安定に貢献していく」(日本経済新聞、4月11日付社説)どころか、東アジアなどで対立を煽り、不安定をもたらす恐れがある。ワシントンの言葉に従い、「恒久的な同盟関係を結ばない」という選択を真剣に考えるべきだ。

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