2023-10-30

「ロシアの孤立」は本当か〜世界経済、新興国の存在感鮮明に

ロシアのウクライナ侵攻から1カ月以上が過ぎ、米欧日諸国では「ロシアは孤立に追い込まれている」との見方が広がっている。北大西洋条約機構(NATO)と先進7カ国(G7)が24日にブリュッセルで開いた緊急首脳会議も、すべての国に対し、ロシアによる経済制裁逃れを助けるいかなる行動も控えるよう求め、ロシア孤立の印象を強めた。


米欧日などによる制裁が、ロシアの経済や体制に悪影響を与えることは間違いないだろう。しかしロシアが世界で本当に孤立しているかどうかは、冷静に見極める必要がある。ニュースでは、ロシアに正義の裁きを下す米主導のキャンペーンをめぐり、「国際社会」が団結しているように見える。しかし現実の世界では、状況は少し違っているようだ。

米紙ワシントン・ポストによれば、発展途上国の多くはプーチン大統領によるウクライナの主権侵害に不安を抱いているものの、インド、ブラジル、南アフリカといった「南」の大国は、中国がロシア寄りの姿勢をとっているのをにらみ、保険をかけている。NATO加盟国のトルコでさえ、管理権限を持つボスポラス海峡とダーダネルス海峡について、ロシア軍だけでなく、すべての軍艦に対して閉鎖する方向で動くなど、米欧とは距離を置く。

「西側諸国の傍観者が中東やアフリカの紛争に無関心なように、新興国の市民には、自分たちはウクライナでの戦争に無関係で、やむを得ない国益のためにロシアを疎外できないと考える人もいる」と同紙は指摘する。むしろ西側諸国では「全世界がロシアに対抗して団結している」という報道の洪水にかき消されて、現実がわかりにくくなっているかもしれない。

「ロシア非難せず」が世界人口の半分強


ロシア孤立の印象が広まったのは、報道だけが原因ではない。国連での議論も影響している。3月初め、国連総会の緊急特別会合で、ロシアを非難し、軍の即時撤退などを求める決議案が賛成多数で採択された。決議案には欧米や日本など合わせて141カ国が賛成し、反対はロシアを含むわずか5カ国だったことから、あたかも事実上、全世界がロシアを非難しているかのように受け止められた。

しかし加盟国全体の反応を詳しくみると、そう単純ではない。棄権した国が35カ国もある。これには中国、インド、南アフリカなどの大国が含まれる。

旧ソ連諸国の多くはロシアを非難する投票を行わず、南アジアのすべての大国(パキスタン、インド、バングラデシュ)も同様だ。アフリカはほぼ3分の1にあたる17カ国が棄権した。イラクは米国が20年の歳月と数兆ドルを費やして親密国にしようとした国だが、同じく棄権した。

米シンクタンク、ミーゼス研究所によると、棄権した35カ国の人口を合わせると39億人に達する。反対した5カ国(ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア)を加えると、さらに2億人が上乗せされて41億人となり、ロシアのウクライナ侵攻を非難しない国は、世界人口(77億人)の53%と半分強を占める。

もちろんこの数字は、あくまで一つの目安にすぎない。それでも、ロシアが世界で孤立に追い込まれているという先入観を見直す材料にはなるだろう。アフリカやユーラシアに広がる棄権した国々の経済圏は、決して無視できる規模ではない。

また、国連決議で米国などのロシア非難に賛同した国の中にも、米国主導の経済制裁には乗り気でない国がある。たとえばメキシコは、米国に追随して制裁を行うつもりはないと明言している。アルゼンチンも制裁に抵抗し、制裁は和平プロセスに反すると表明している。ブラジル、チリ、ウルグアイを含め、南米諸国は米国の制裁要求に同調していない。

アフリカ諸国もロシア制裁には慎重だ。これは一部の国とロシアとの軍事的な関係や、何世紀にもわたる欧州の帝国主義や植民地化に対する根強い反発が背景にあるかもしれない。

新興国は経済制裁に慎重


これを経済規模で分析すると、興味深い事実が浮かび上がる。

制裁に抵抗する国のうち、中国、インド、メキシコ、ロシア、ブラジルの5カ国だけで、世界の国内総生産(GDP)の3分の1を占める。これは米国と欧州連合(EU)の合計に匹敵する。

欧米以外の新興国が世界経済に占める規模は、以前は小さかった。たとえば1990年当時、米国とEUは40%以上を占め、中国、インド、メキシコ、ロシア、ブラジルの合計はわずか18%だった。しかしこの30年で状況は変わり、今では両陣営は対等になっている。

つまり、人口のみならず経済規模の面からも、ウクライナ紛争をめぐる世界各国の勢力は二分されている。「国際社会」がロシア非難で一致団結しているという主張は、明らかに言い過ぎであり、冷静な判断を狂わせる幻想と言っていいだろう。

経済の観点から重要なのは、ロシア非難と制裁をめぐって世界を二分する両勢力のうち、反対・慎重派の多い新興国は、今後も高い経済成長が見込まれる点だ。経済規模で米欧を抜き去る日も遠くないかもしれない。

一方、賛成派の西側先進国は、経済規模こそまだ大きいものの、成長は鈍化している。また、国によってばらつきはあり、対立陣営の中国なども無縁ではないが、積み上がった多額の政府債務も懸念要因だ。とくに最近、ロシアへの経済制裁をきっかけにエネルギーや穀物の価格が高騰し、金利への上昇圧力となっている。国債価格の急落などで政府債務の抱えるリスクは一気に表面化する恐れがある。

米欧日、制裁で経済活力そがれる恐れ


皮肉なことに、経済制裁の打撃は標的のロシアだけでなく、発動した西側自身をブーメランのように襲い、食糧危機など深刻な影響を及ぼしかねない。バイデン米大統領は24日、ブリュッセルで開いた記者会見で、「食糧不足は現実になりそうだ」と認め、「制裁の代償はロシアだけに課されるものではない。欧州諸国や米国を含め、多くの国に課される」と述べた。

制裁は経済の自由も奪っていく。林芳正外相は27日のNHK番組で、「制裁をくぐり抜ける動きに対し、どう穴をふさぐかも、これからの課題だ」と述べた。「穴をふさぐ」とは貿易などに対する規制の強化を意味する。制裁が長引くほど、日本自身の経済活力がそがれることになるだろう。

米欧日がロシア制裁によって自分の首を絞めるようだと、存在感を増す新興国に経済成長でさらに水をあけられる可能性がある。衰退の危機に直面するのは、ロシアなのか、それとも米欧日なのか。世界経済の構造変化をしっかり見定める必要がある。

*QUICK Money World(2022/3/30)に掲載。

2023-10-27

ストは労働者を不幸にする

先進国でストライキの波が広がっている。英国では中部マンチェスターで鉄道運転士の労働組合がストを決行し、医師らも賃上げを求めて大規模なストを繰り広げた。米国では全米自動車労組(UAW)のストが突入から1カ月を過ぎても収束を見通せない。
日本でも8月末、そごう・西武の労組が西武池袋本店(東京・豊島)でストを決行した。親会社のセブン&アイ・ホールディングスは、労使の対立が続く状況のまま、そごう・西武の売却に踏み切るなど異例の展開となった。

一連のストを、労組の影響力の強い左派政党や左派言論人はもちろん強く支持する。日本共産党の機関誌「前衛」は11月号で「労働者の権利・ストライキのある社会へ」という特集を組んだ。

しかし世間では、「ストは迷惑」という率直な感想も出ていた。そうした声に対し、社会活動家の藤田孝典氏はX(旧ツイッター)で「労働組合がストライキで店を閉めたら「迷惑」〔略〕権力に対して、服従、猛獣がここまで進めば、ワーキングプアも貧困も解消しない〔略〕」と批判した。

一般の人とみられるポストによれば、NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」で、少女歌劇団が「ストライキするしかないか」という話になった際、「ストはお客様に迷惑や」というセリフがあった。この人はそれに対し「ひっかかっている」といい、こう述べる。「ストは労働者の権利。海外では今も労働者はストライキをする。日本では8月にそごうがストライキをした。安く使われるのはごめんだ」

元ラグビー日本代表でスポーツ教育学者の平尾剛氏も、そごう・西武のストを伝える朝日新聞の記事へのコメントで「労働者の権利であるストが長らく行われてこなかった」と述べ、ストは労働者の権利という考えを強調した。

たしかに、ストは労働者の権利だ。日本国憲法第28条は、ストなどを行う団体行動権を保障している。この権利は労働法によって具体的に定められ、たとえば、適法なストである限り、かりに使用者が損害を受けても、労働者に対して賠償を請求することができない。ストは法によって強力に保護されているのだ。

しかし残念ながら、憲法も法律もすべて正しいとは限らない。法に定められた権利には2種類ある。すべての人が持つ権利と、政府によって一部の人だけに与えられる特権だ。ストは労組メンバーだけに与えられる経済上の特権にほかならない。そして特権はしばしば経済の働きをゆがめ、人々を不幸にする。

そもそもストライキとは、労組の要求が経営側との団体交渉によって解決できない場合、闘争の手段として一定期間、労働力の提供を停止することをいう。正常な業務運営に損害を与えることによって労働条件の向上・維持・改善などの要求を通させようとする。

言い換えれば、自由な市場取引で成り立つよりも高い価格を、暴力に訴えて実現しようとする手段といえる。普通の商売でやれば違法だが、すでに述べたように、ストの場合は政府が後ろ盾になっており合法だ。けれども、暴力や政府の力で市場経済をゆがめれば、必ずそのとがめを受ける。

資本主義経済で労働者の賃金を押し上げる最大の原動力は「資本投資」だ。機械、道具、設備、ソフトウェアなどへの資本投資が増えると、労働者自身の生産性が高まり、時間当たりに生み出すことのできる商品やサービスの量が増える。つまり、労働者は特別な教育や訓練を受けなくても、雇い主にとって突然価値が高まるのだ。信頼できる熟練社員はいつも引っ張りだこだから、他社に奪われたくない雇い主は賃金を上げる。これが自由な市場経済における賃金上昇のメカニズムだ。

ところが労働者の生産性が高まらず、企業の業績も良くなっていないのに、無理に賃金を引き上げれば、その分のお金をどこからか持ってこなければならない。人件費全体を増やせないとしたら、犠牲になるのはたいてい、労組という特権集団に入っていない労働者だ。すなわち、派遣労働者やパートタイムなどの非正規労働者ということになる。人件費を減らす代わりに、たとえば資本投資を減らせば、労働者自身の生産性が高まらず、ますます賃金を上げにくくなる。

ストはお客にとって迷惑なだけでなく、強引な賃上げは派遣やパートを含む労働者をむしろ不幸にする。本当に労働者の味方なら、ストをもてはやすのはやめたほうがいい。

<参考資料>
  • Strikes Always Have Economic Consequences and the Latest UAW Strike Is No Exception | Mises Wire [LINK]

2023-10-24

経済制裁は大恐慌の引き金か?〜世界経済、縮小のリスク

ウクライナ侵攻に乗り出したロシアに対し、米欧日各国が相次いで経済制裁を発動している。ロシアの銀行の取引制限や政権幹部らの個人資産の凍結などに続き、今月11日には国際通貨基金(IMF)や世界銀行など国際機関による融資の阻止、ロシアへのエネルギー依存の低減など、新たな制裁を打ち出した。


これに対しロシアは米欧日などを対象に通信機器、医療機器や自動車など200品目以上の輸出を禁止し、国外撤退する外資系企業の資産を押収する検討に入るなど、対抗に乗り出している。

株安、商品高…世界経済、制裁応酬で混迷深める


制裁の応酬を受け、 世界経済はにわかに混迷を深めてきた。各国で株価が大幅安となり、国際商品市場で主要品目の4割が過去最高値圏に入った。国際商品市場でロシアの生産シェアが大きい天然ガス、小麦、パラジウムなどだけでなく、シェアの高くない品目にも値上がりが波及している。

経済制裁はロシアを世界経済から孤立させ、圧力を強めて譲歩を引き出す狙いがあるという。しかしその効果が現れる前に、世界経済に深刻な影響を及ぼさないか心配だ。

とくに気になるのは追加制裁として打ち出された、最恵国待遇の取り消しだ。米国はほとんどの国に適用している最恵国待遇からロシアを外す。現在外れているのは北朝鮮とキューバだけ。最恵国待遇から外れれば、低い関税を維持できなくなる。

米国がロシアから輸入する商品や原材料には現在、多くの国と同じく平均で3%程度の関税がかかっているが、低関税措置の対象から外れれば、平均で30%超に跳ね上がる見通しだ。米政府によると、主要7カ国(G7)と欧州連合(EU)も同様の措置を検討する。また米国は、ロシア産のダイヤモンドやウォッカ、魚介類の輸入も禁止する。

経済制裁の背景にあるのは、ロシアからの輸入を制限すれば、ロシアは輸出による収入が減って経済が弱体化するという考えだ。それは一面では正しい。しかし貿易は一方だけではなく、双方向で行うものだ。輸入を制限すれば、その影響はロシア側だけでなく、自国側にも及ぶ。

ロシアからの輸入品が関税引き上げの影響で値上がりすれば、そのコストを負担するのは米国など輸入国の消費者だ。輸入が完全に禁止されれば、ロシア製品を欲しい消費者は入手できず不便を強いられるか、違法な闇取引などによって通常より高い値段で手に入れるだろう。

一方、ロシアが輸出の減少で収入が減れば、その分、外国製品を輸入できるお金が少なくなる。その結果、互いに貿易が縮小する。今はロシアとベラルーシだけが制裁の対象だが、ロシアと親密とみられる他国に対しても貿易の制限が広がるようだと、世界貿易の大幅な縮小につながりかねない。

米関税引き上げ、自国経済にも打撃


そうした最悪のケースとして頭に浮かぶのは、2度の世界大戦の間に世界を襲った大恐慌だ。

1929年10月のニューヨーク株式相場暴落をきっかけに、米経済は不況に突入した。これが海外に波及し、世界恐慌となった一因は、米国が実施した大幅な関税引き上げだった。

1930年6月、米国はスムート・ホーリー関税法を成立させ、2万5000品目にも及ぶ品目で関税を引き上げた。関税は平均59%まで引き上げられ、米国史上最高となった。農産物の輸入を抑え、第一次世界大戦終結以来、不況に苦しむ農家の収入を支えるのが狙いだった。

各国は米国に対抗し、相次ぎ報復として関税引き上げに踏み切った。これにより世界貿易は急速に収縮に向かう。

米経済学者チャールズ・キンドルバーガーの著書『大不況下の世界』(岩波書店)によると、スペインはブドウ、オレンジ、コルク、玉ネギに対する米国の関税に対抗し、関税を引き上げた。スイスは時計、刺繍品、靴の関税引き上げに反対し、米輸出品の不買運動を実施した。カナダは多くの食料品と丸太・木材の関税に反発し、3回にわたって関税を引き上げた。イタリアは麦わらの帽子・ボンネット、フェルト帽、オリーブ油の関税に反対し、米国およびフランス製自動車に対し報復措置をとった。キューバ、メキシコ、フランス、オーストラリア、ニュージーランドも新しい関税を制定した。

このうちスイスでは、米国の関税引き上げの標的となった時計産業に人口の1割が従事していたとあって、国民の間に強い反発を招いた。同国のある新聞は、社説でこう呼びかけた。「すべての産業人、職人、商人、消費者は、事務所、工場、作業場、修理工場、店舗、家庭からあらゆる米国製品を締め出すべし」

関税引き上げは、米国自身の産業にとっても打撃となった。工業生産に必要な原材料や部材の購入コストが高くなったためである。たとえばタングステンに対する関税で鉄鋼産業が苦しくなった。亜麻仁油への関税で塗料産業が打撃を受けた。

ゼネラル・モーターズ(GM)とフォード・モーターは世界首位を争う自動車メーカーだったが、スムート・ホーリー関税法により、800を超す部材で関税が引き上げられた。つまり米国の自動車メーカーは二重の打撃をこうむることになった。まず、欧州諸国が米国製品に報復関税を実施したため、販売台数が減った。次に、必要な部材の購入に対し、より高い金額を払わなければならなくなった。米国の自動車販売台数は1929年の5300万台から1932年に1800万台まで落ち込んだ。

報復にさらされ、米国の輸出額は関税引き上げ前の1929年の70億ドルから32年には25億ドルに落ち込んだ。苦しんだのは工業ばかりではない。皮肉なことに、スムート・ホーリー関税法制定を熱心に働きかけた農家も打撃を受けた。米国農産物の輸出額は1929年に18億ドルあったが、4年後には5億9000万ドルに減少した。

貿易は世界全体で収縮した。キンドルバーガーによると、世界75カ国の月間総輸入額は、1929年1月には約30億ドルあったが、33年3月には約11億ドルと、ほぼ3分の1に激減した。

歴史の教訓:経済制裁の負の側面に注意を


米国の大幅な関税引き上げをきっかけに世界経済は急速に縮小し、大恐慌に陥った。その結果、失業や貧困に苦しむ国民の不満を背景に軍国主義が台頭し、第二次世界大戦を招いていく。政府による貿易の阻害がもたらす悪影響の大きさを如実に物語る出来事だ。

スムート・ホーリー関税法に比べれば、今回の対ロ最恵国待遇取り消しの規模は小さく、影響を過大に見積もってはならないだろう。一方で、今回は関税以外にも金融やエネルギーなどさまざまな制裁が発動され、及ぼす影響は未知数だ。

侵攻を止めるための経済制裁が引き金となって世界経済に深刻な影響を広げ、平和の基礎を揺るがせてしまっては元も子もない。貿易立国の日本にとって影響は一段と大きい。米欧に安易に追随するのでなく、制裁の負の側面に注意を払っていきたい。

*QUICK Money World(2022/3/16)に掲載。 

2023-10-21

信用創造の落とし穴〜お金の量は多ければいいわけじゃない

教科書に載っている主流経済学は、必ずしもすべてが正しいとは限らない。経済学は物理学など自然科学と異なり、学派ごとの意見の対立が大きく、決着のついていない問題が少なくないからだ。


教科書の経済学を絶対視する危うさ:大学共通テストの出題から考える


ところが主流経済学をかじっただけの人は、それがすべてだと思い込み、絶対の真理であるかのように主張する。危うい議論だと言わざるをえない。

その一例が今年1月、大学入学共通テストの出題で「信用創造」が話題になった際の反応だ。

信用創造(預金創造とも呼ばれる)は、これまで伝統的な解説では、「銀行が貸し出しを繰り返すことによって、銀行全体として最初に受け入れた預金額の何倍もの預金通貨(当座預金など現金に非常に近い機能を備えた預金)を作り出すこと」と説明されてきた。

たとえば、最初にAさんがa銀行に100万円を預金すると、a銀行は1万円を支払い準備として手元に残し、99万円をBさんに貸し出す。Bさんがその99万円をb銀行に預けると、b銀行は1万円を手元に残して98万円をCさんに貸し出す。Cさんが98万円をc銀行に預け…と預金と貸し出しが繰り返され、預金通貨の量は「100万円+99万円+98万円…」と膨らんでいく。

この伝統的な説明は、直感的にはわかりやすいものの、「銀行は預金を元手に貸し出しを行う」という誤った理解を招くとされる。

実際には、銀行は預金を元手に貸し出しを行うのではない。融資の申し込みをした人の口座に融資額と同額のお金(融資代わり金)を入金することで貸し付けを実施する。つまり、貸し出しが行われると、その結果として同額の預金が生じるというのが実際の流れとなる。

共通テストの「政治・経済」の出題には、「個人や一般企業が銀行から借り入れると、市中銀行は『新規の貸出』に対応した『新規の預金』を設定し、借り手の預金が増加する」という記述があった。これは上智大学准教授の中里透氏がSYNODOSの記事で指摘するように、伝統的な説明から生じがちな誤解を補正するという意味で「画期的」といえる。

共通テストのこの「画期的」な出題を見て、とりわけ喜んだ人々がいる。現代貨幣理論(MMT)の信奉者をはじめとする、積極財政を支持する人たちだ。

信用創造の伝統的な説明では、「銀行は預金という元手がなければ貸し出しを増やせない」と誤解されがちだった。だが共通テストも公認した新たな説明によって、銀行は預金がなくても貸し出しを増やせることが明確になった。そうだとすれば、銀行は政府に対しても貸し出しを自由に増やすことができるし、政府はその借り入れで財政支出を増やすことができる――。積極財政派はこう考え、喜んだ。

しかし、ここで注意が必要だ。「銀行は無からお金を創造する」という目新しく見える説明も、じつは以前から標準的な理論として認められていた。内生的貨幣供給理論と呼ばれる。

伝統的な説明は「銀行は預金残高を超えるお金を作り出す」と言い、新手の説明は「銀行は無からお金を作り出す」と述べる違いはあるものの、どちらも「銀行は預金量に縛られずお金を作り出す」と説く点では共通しており、主流経済学の枠組みに収まっている。

その主流経済学の根底には、ある価値観が横たわっている。それは、銀行が預金量に縛られずお金をどんどん作り出すことは経済の進歩であり、社会に役立つという考えだ。一言でいえば、「お金は多ければ多いほど良い」というわけだ。

共通テストに登場した「銀行は無からお金を作り出す」という考えは、「銀行は預金残高を超えるお金を作り出す」という伝統的な説明と対立しない。「お金は多ければ多いほど良い」という価値観に都合の良い信用創造の仕組みを、より露骨な形で表現したにすぎない。

だからこそ、主流経済学しか知らない人々は「お金は多ければ多いほど良い」という信念に太鼓判を押された気になり、喝采したのだ。

MMTの問題点:お金を際限なく生み出すリスクとは


けれども、ここで立ち止まって考えてみよう。お金とは本当に「多ければ多いほど良い」ものだろうか。民間銀行や中央銀行がお金を多く作り出せば作り出すほど、政府は借り入れを増やし、支出を増やすことができる。積極財政派はそれを歓迎する。しかし、それは経済にとって本当に有益なことだろうか。

そもそも財政支出は無駄が多いと言われる。だが主流経済学によれば、不況の際は民間に代わって政府が支出を増やすことが正しいとされるから、ここでは政府の無駄遣いには立ち入らないことにしよう。それでもお金を際限なく生み出すことには、大きな問題をはらむ。

貸し出しには貸し倒れのリスクが伴う。融資先企業が破綻し、貸出金の回収ができないような場合には、資本金など返す必要のない資金(自己資本)を取り崩す必要が出てくる。しかし貸出金があまりにも多額だと、自己資本を取り崩しても追いつかず、銀行もつぶれてしまう。だからいくら預金を自由に増やせるといっても、貸し倒れのリスクを考えれば、おのずから限度がある。逆にいえば、貸し倒れリスクを無視して貸し出しを増やせば、金融経済は潜在的に不安定になる。

その不安定さが一気に顕在化するのが、いわゆる「取り付け騒ぎ」だ。銀行がつぶれるかもしれないという噂が流れただけで、預金者が預金を引き出そうと殺到する。銀行の手元にあるお金は預金量に比べればわずかだから、対応できず破綻する。「つぶれるかもしれない」という噂が現実になる瞬間だ。

一方、政府に対する貸し出しには貸倒リスクはない。政府は中央銀行を通じてお金を自由に発行し、国債の返済に充てることができるからだ。けれども、国債を際限なく発行し続ければ、いずれは供給過多により国債相場の下落(長期金利の上昇)を招く。これは銀行の保有する国債に評価損をもたらし、銀行経営を揺るがしかねない。取り付け騒ぎに発展する恐れもあるだろう。つまり政府に対する貸し出しの過剰な増加も、民間向けと同じく、経済を不安定化させるリスクをはらむ。

ところが教科書の「信用創造」の解説では、そうしたリスクに触れることなく、お金が何にも縛られずどんどん増えていくことは、すばらしい魔法であるかのように描く。市民の健全な経済感覚を養ううえで、適切とはいえないだろう。

お金の量が増えることの問題はそれだけではない。お金の価値の問題がある。お金の量が増えれば、他の条件が一定の場合、お金の価値は低下する。

お金は量よりも質が重要


最近、円の総合的な実力を示す実質実効為替レートが約50年ぶりの低水準に近づき、懸念されている。その大きな要因として、1990年代のバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックを理由に長期にわたる金融緩和、つまりお金の量の増加を続けてきたことがある。お金の増加は短期で景気を刺激する効果はあるものの、長期では通貨の購買力を損ね、輸入物価の上昇やそれに伴う生活水準の低下などデメリットをもたらす。

ビットコインなど暗号資産(仮想通貨)やそれを組み込んだファンドが投資家の人気を集めるのも、お金の価値下落に対する警戒感の裏返しだ。仮想通貨が投資家の信頼を得ている理由の一つは、政府や銀行が作るお金と違い、野放図に量を増やせない点にある。ビットコインは、採掘された金の量に応じてしかお金を増やせない金本位制の仕組みを参考に設計されたといわれる。最近は金価格に連動する仮想通貨も発行され始めた。

非主流派のオーストリア学派に属する経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、お金の有用性を左右するのはお金の総量の大小ではなく、「購買力の高さ」だと指摘する(『ヒューマン・アクション』)。

「お金は多ければ多いほど良い」という主流経済学の考えは、高度成長期に流行した「大きいことは良いことだ」というテレビCMのフレーズと同じく、じつはもう古いのかもしれない。「お金は量よりも質(購買力)が重要」と考え、良質なお金を選ぶ時代が近づいている。

*QUICK Money World(2022/3/1)に掲載。 

2023-10-18

子育て支援の落とし穴

政府は6月にまとめた「こども未来戦略方針」で、2024年度からの3年間で国と地方合わせて年3兆円台半ばの予算を新たに投入すると明記した。児童手当の拡充や育児休業給付の充実などに充てる計画だ。岸田文雄首相はこのほど開いたこども未来戦略会議で「制度設計の具体化を急ぐ」と述べ、関係閣僚に対策の詳細や財源を早期に固めるよう指示した。
常識で考えて、子供を大切にし、父母ができるだけ多くの時間を新生児と過ごすのは良いことだ。だからといって、そのコストを国(納税者)や企業が負担しなければならないという考えは正しくない。

日本経済新聞によれば、政府は主な子育て支援の拡充策として、①児童手当(所得制限撤廃、高校生まで支給延長、第3子以降は倍増)②出産費用(26年度には保険適用)③保育(就労用件問わず利用できる「誰でも通園制度」の創設)④働き方(両親育休で最大28日間、手取り給与の10割補償)――などを計画している。

一見したところ、庶民が喜びそうな豪華なメニューだ。しかし、世の中にタダでおいしい話は存在しない。何らかの形で必ずコストを支払わされる。

政府が児童手当や出産費用、給与補償などにお金を出すためには、他の予算を削らない限り、増税しなければならない。今すぐ増税するか、とりあえず国債で資金調達して後で増税するかはともかく、いずれにしても何らかの増税が避けられない。これは家族の暮らしを苦しくする。

政府は少子化対策拡充の財源として、社会保険料への上乗せを検討している。社会保険料は「税」という名前こそついていないものの、実際には強制的に徴収される税金に等しく、上乗せは事実上の増税となる。「負担がさらに増すことになれば、対策の効果が薄れる恐れがある」と日経は別の記事で指摘する。

医療や介護、年金などにかかる経費の総額を表す社会保障給付費は23年度の予算ベースで134兆円に上る。国内総生産(GDP)比で23.5%だ。政府が18年に発表した社会保障の将来見通し(ベースラインケース)では40年度の給付費は190兆円に膨らみ、GDP比は24%ほどに高まる。政府はこの間の経済成長率を年1%程度に設定して数値をはじき出している。

実際には高齢化や人口減を背景に、給付費のGDP比は政府の見通しを上回って推移している。財政学に詳しい法政大の小黒一正教授はこうした現状に加え、成長率を政府の試算より堅めに見て給付費のGDP比を独自に推計した。20年度以降の平均を0.5%成長と仮定したところ、40年度のGDP比は28%に上昇した。政府の見通しより4ポイントほど高い。負担の増加分を社会保険料の引き上げでまかなう場合、保険料は今より3割増になる可能性があるという。

左派の人々は、庶民ではなく、富裕層から税金を取ればいいという。しかし、結果は同じだ。富裕層はその財産の多くを企業に投資している。富裕層から税金を1円取るごとに、企業への投資が減り、企業は人を雇う余裕がなくなり、賃金を上げる余力もなくなる。これは家族の暮らしを苦しくする。保守派の中にも「子育ては良いことだから、国がその費用を出し、家族の負担を軽くするのは当然」と信じている人がいる。目先の効果しか考えず、国の支援が経済に及ぼす長期の影響を無視している。

米経済ジャーナリストのヘンリー・ハズリットは、とかく人間は「政策の目先の効果あるいは特定集団にもたらされる効果だけにとらわれやすい」と述べ、そのため「政策の長期的・間接的影響を見落としてしまう」と警告する(『世界一シンプルな経済学』)。

経済政策について考える際には、ハズリットが強調するように、政策の短期の影響だけでなく長期の影響を考え、一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考えなければならない。政府の子育て支援策はかえって家族の負担を重くし、裏目に出る恐れが大きい。

<参考資料>
  • ハズリット『世界一シンプルな経済学』村井章子訳、日経BP社、2010年
  • Government-Enforced Paid Family Leave Is Not Pro-Family | Mises Wire [LINK]

2023-10-15

男女賃金格差、不都合な事実

今年のノーベル経済学賞が米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授に決まった。日本のメディアも一斉に「ノーベル賞にゴールディン氏 男女の賃金格差、要因解明」(日本経済新聞)、「ノーベル経済学賞に米教授 ゴールディン氏 男女の雇用格差、研究」(朝日新聞)などという見出しで報じたが、何かおかしい。肝心の男女賃金格差の要因が一体何なのか、ニュースの要点を伝えるはずの見出しからは、わからない。
見出しをぼやかしたのが意図的なのかどうかわからないが、ゴールディン氏の研究結果は、メディアが唱えてきた「男女の賃金格差は女性差別のせい」という主張に反する。いわば「不都合な事実」なのだ。

ノーベル賞の公式ウェブサイトでは、こう説明する。「歴史的には、収入の男女格差の多くは教育と職業選択の違いによって説明できた。しかしゴールディン氏は、現在ではこの収入の差の大部分は同じ職業に就いている男女の間にあること、そしてその差の大部分は第一子の誕生によって生じることを明らかにしている」

つまり女性の賃金が男性に比べて低い原因は、子どもの誕生にある。この点について、ゴールディン氏は最近邦訳の出た著書『なぜ男女の賃金に格差があるのか』で、以下のように詳しく述べている。

女性であるという理由、あるいは有色人種であるという理由だけで、差別され、賃金が低くなっている人は、確かにいるし、軽視するべきではない。しかし、今日の収入の男女差は、上司や同僚による差別や女性の交渉能力の低さが大きく影響しているのかという問いへの答えは、「断固としてノーである」。

男女の所得格差は、一般にいわれるような単一の統計値ではない。むしろダイナミック(動的)である。「男女が年齢を重ね、結婚し、子どもを持つことで広がっていくのだ」。職業によってもかなり違いがあり、特に大卒の場合は顕著である。

米国のMBA(経営学修士)の履歴を詳細に分析したところ、わかったのは、収入格差の拡大は、ランダムに現れるものではない。むしろ「子どもの誕生が大きく影響している」。MBA取得者が多く働く高収入の企業や金融機関で、たとえ短期間であってもキャリアを中断することや、特別な長時間の過酷な労働をしない従業員に大きなペナルティを与えているからだ。

ゴールディン氏は、「子どもの誕生とそれに伴う世話の責任が、男性に比べて女性のMBA取得者が職務経験が少なく、キャリアの中断が多く、労働時間が短い主な要因になっているのだ」と指摘する。幼い子どもを持つMBA取得女性の中には、出産後に企業や金融機関での勤務時間や激務に耐えられないと感じる人もいる。

一方、子どものいない(キャリアの中断がない)MBA取得女性の収入は、MBA取得男性(子どものいるいないに関わらず)より低いものの、格差はほとんどない。

女性は出産後、上司による良かれと思ってのパターナリズム(温情主義)や偏見によって、自分の意思に反して職場から追い出されているのだろうか。ゴールディン氏はそれを否定する。出産後、夫が高収入であるほど、労働時間を減らしたり仕事をやめたりする女性が多いなどのエビデンス(証拠)から、「子どもがMBA取得マザーの雇用に与える影響のほとんどは、偏見ではなく、意図的かどうかはさておき、選択によるものだ」と断じる。

意外にも、保育料の補助や両親に対する大規模な有給休暇など、世界で最も寛大な家族中心政策をとる北欧諸国を対象とした研究でも、結論は米MBAの場合と似ているという。出産後、夫と妻の所得格差が広がっている。

日経の記事によれば、ゴールディン氏の研究は「日本でも男性中心の長時間労働を是正したり、育児休暇を付与したりする政策を導入する根拠の一つとなっている」という。しかし、ゴールディン氏自身の指摘どおり、所得格差が女性の自由な選択の結果だとすれば、政府の是正策は余計なお世話であるばかりか、かえって妻や夫、そして子どもを不幸にするだろう。政府のあらゆる政策には、税というコストがかかるからである。

<参考資料>
  • ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』鹿田昌美訳、 慶應義塾大学出版会、2023年
  • A Nobel for a Student of Civilization - Foundation for Economic Education [LINK]

2023-10-12

日清戦争と明治のメディア

日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦——。日清戦争当時、大流行した「欣舞節」の歌い出しである。テレビもラジオもない時代に、空前の大流行となっただけでなく、歌に踊りがつけられ、その踊りもまた大流行した。 

日清戦争 「国民」の誕生 (講談社現代新書) 

日露戦争が司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』やそのドラマ化によってよく知られるのに比べると、その10年前、1894(明治27)年夏に起こった日清戦争の印象は現在では希薄なようだ。しかしこの戦争は近代日本が初めて経験した大規模な対外戦争であり、その後の日本の進路を決定づけた戦争といえる。

日清戦争の起源は開戦のおよそ20年前にさかのぼる。1875(明治8)年、日本の軍艦、雲揚号が朝鮮の江華島沖で挑発的な行動をして朝鮮側の砲台と交戦する事件(江華島事件)を起こし、これを契機に日本は軍艦を送って日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させる。同条規は治外法権を定め関税自主権を与えないなど、かつて日本が欧米に強制された不平等条約と同様の内容を押しつけた。これにより朝鮮は日本や、その後同様の条約を結んだ欧米への反発を強めていく。

1894年春、カトリックの西学に対する民族主義的な東学を中心に、朝鮮で減税と日本や西欧の排除を要求する農民の反抗が起こり、拡大した(甲午農民戦争・東学の乱)。鎮圧に手を焼いた朝鮮政府は6月初め、緊急に清朝の政府に対して援軍の派遣を要請した。以前から戦争を準備していた日本は、この機に乗じて朝鮮に軍隊を送り、清国軍との衝突を引き起こし、清国の勢力を追い出して朝鮮を支配しようと考えた。

このような意図があったので、朝鮮の情勢が落ち着いた後も日本軍は撤退するどころか、逆に7月23日早朝、朝鮮王朝に攻め込んで占領し、国王・高宗と王妃の閔妃を拘禁した。7月25日、日本の艦隊は、黄海で清国の軍艦と清国の兵隊を乗せた輸送船を攻撃して、日清戦争の火蓋を切った。その後、日本の陸軍は平壌を防衛する清国の軍隊を攻撃して陸戦も始めた。戦場は中国の遼東半島へと移ったが、軍備不足と戦意低下などが重なり、清国軍は海でも陸でも敗北した。

一方、日本人は戦勝に狂喜した。国民の間に戦争に対する熱狂を生み出すうえで、メディアが果たした役割を無視できない。日清戦争は、新聞や雑誌、写真といった明治時代の新しいメディアによって伝えられた。あるいは、この戦争前後から盛んに歌われるようになった軍歌は、近代日本人の精神に多大な影響を及ぼしていく。

最大の情報源となったのは新聞だった。当時の新聞ジャーナリズムはまだ黎明期にあり、各社が部数を拡大しようとしのぎを削っていた。戦争は部数拡大のまたとないチャンスだった。実際、日清戦争は新聞の発行部数を飛躍的に拡大した。「万朝報」は開戦した年の発行部数が1457万部と前年に比べ60%も増え、「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」はどちらも30%前後の伸びを見せた。

小説家・劇作家で『半七捕物帳』の作者として知られる岡本綺堂は、当時、東京・銀座に集まっていた新聞各社から号外売りが鈴を鳴らして駆け出すと「待ち受けている人たちが飛びついて買う。まるで喧嘩のような騒ぎだ」と回想している。銀座界隈は大混雑し、氷屋や汁粉屋が儲かったという。

「時事新報」は福沢諭吉の経営で、特に経済関係記事に定評のある高級紙として知られていたが、甲午農民戦争を契機に朝鮮への出兵が行われて以来、他紙以上に激しい対清・対朝鮮強硬論を展開する。開戦以降は日清戦争の報道と戦争への協力に熱心な新聞として知られた。経営主の福沢自身、日清戦争を文明国である日本と野蛮国である清の戦争、すなわち「文明の戦争」であると論じ、時事新報紙上で戦争支持を表明するとともに、自身も軍事献金組織化の先頭に立つなど、積極的に戦争に協力した(大谷正『日清戦争』)。

従軍記者制度は日清戦争から始まった。従軍した記者の数は全国66社から129名と伝えられる。記者たちが戦地から競って送る「連戦連勝」の記事は、現代のオリンピック報道と同様に人々を興奮させた。「国民新聞」の記者として巡洋艦千代田に乗り込んだ作家の国木田独歩は、同じ新聞社に勤務する弟に宛てた手紙という形式で従軍記を同紙に連載して好評を博し、のちに『愛弟通信』として単行本になった。

有力紙のなかには画家を従軍させて、紙面に多数の挿絵を掲載するというビジュアル戦略をとる新聞もあった。日清戦争に従軍した洋画家は、小山正太郎・浅井忠・黒田清輝・山本芳翠がよく知られている。このうち浅井忠は「時事新報」に雇われ、「画報隊」の一員として戦場に赴いた。

軍歌も多く作られた。その歌詞の多くは清との戦争を「正義の戦争」と称え、相手をあからさまに侮辱したものだった。日清戦争当時、大流行した「敵は幾万」(山田美妙作詞・小山作之助作曲)は、「敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ、烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり」と歌う。「敵」は言うまでもなく清である。こうして、勇敢な日本兵に対し、清兵は「烏合の勢」にすぎないという意識が、社会に広く共有されていく。

しかし、すべての人が戦争の熱に浮かされたわけではなかった。作家の田山花袋は『東京の三十年』で当時を回想し、「軍歌の声が遠くできこえる……。それは悲壮な声だ。人の腸を断たずには置かないような、または悲しく死に面して進んで行く人のために挽歌をうたっているような声だ」と記している。

さまざまなメディアは、日清戦争という出来事を社会的な共通経験へと再編成し、結果として「日本人」という意識を広く社会に浸透させた。「それは、日本が近代的な国民国家へと姿を変えていく契機となっている」と国文学者の佐谷眞木人氏は指摘する(『日清戦争』)。

1895(明治28)年4月、戦争に勝利した日本は、講和条約で朝鮮に対する清の支配権を排除し、遼東半島・台湾・澎湖諸島と賠償金2億両(約3億円)などを手に入れた。しかしロシア・フランス・ドイツが遼東半島を清国に返せと迫り、日本政府はやむをえずこれを受諾する。この三国干渉は国民の中に屈辱感を植えつけ、「臥薪嘗胆」を合言葉に、次の戦争の準備へと駆り立てられていく。

<参考文献>
  • 大谷正『日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像』中公新書
  • 佐谷眞木人『日清戦争 「国民」の誕生』講談社現代新書
  • 日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』高文研
  • 宮地正人監修『日本近現代史を読む』新日本出版社

2023-10-09

経済成長はヤミ市から生まれる〜『愛の不時着』の北朝鮮と戦後日本の共通点

新型コロナウイルスの感染拡大を受けた巣ごもり生活をきっかけに、動画配信で韓国ドラマの視聴が大きく伸びたのは記憶に新しい。ネットフリックスの配信で話題を集めた代表作の一つ、『愛の不時着』は配信開始から2年たった今も、人気上位を保っている。


韓国の財閥令嬢がパラグライダー事故で北朝鮮に不時着し、出会った軍の将校と恋に落ちる。設定こそ荒唐無稽だが、人間同士が政治的な分断を超えて心を通わせるという普遍的なテーマが訴えかける。

ドラマに経済の貴重なヒント:北朝鮮と市場経済


このドラマの見どころの一つは、ふだんニュースなどで目にすることのない、北朝鮮の庶民の日常だ。もちろんフィクションだから演出もあるだろうが、制作陣は韓国に逃れた多くの脱北者に話を聞き、生活をかなりリアルに再現したという。そこで経済に関する貴重なヒントを読み取ることができる。

そのヒントは「ヤミ市」だ。ドラマで北朝鮮の市場は、軍将校ジョンヒョク(ヒョンビン)が財閥令嬢セリ(ソン・イェジン)のために香りのするろうそくを探す場面をはじめ、何度も描かれる。商人は店先に並べた品物とは別に、「南の町」から届いた化粧品やシャンプー、おしゃれな下着などを隠していて、こっそり販売する。南の町とは、国家分断のため貿易を制限されている韓国を意味する。

列車が停電のため立ち往生すると、飲食物などの商品を背負った人々が一斉に駆け寄り、乗客に売って回る。あれも一種のヤミ市だろう。ジョンヒョクは毛布を買い求め、寒い野外でたき火にあたるセリに優しくかけてやる。ドラマには美しいウェディングドレスをヤミで売る店も登場する。

北朝鮮は社会主義体制や経済制裁の影響で国民の多くが貧困に苦しむものの、最近は不幸中の幸いで、多数の餓死者が出ているとの情報はない。それはヤミ市が命綱の役割を果たしているからとみられる。

北朝鮮では政府があらゆる経済活動を統制するのが建前だ。しかし1990年代後半に飢饉が起こり、政府が国民に十分な食糧を供給できなくなると、国中で「チャンマダン」と呼ばれるヤミ市が広がり始めた。2003年には「総合市場」として公認されるまでになった。そして現在の金正恩総書記は市場経済の要素を一部受け入れ、チャンマダンを積極的に活用しているとされる。

今では北朝鮮全域にある公認のチャンマダンは480カ所余りに達し、人々の生活に欠かせない存在となっている。ある脱北者の証言によれば、北朝鮮の市場には「韓国のコチュジャンだって売っていますし、韓国製の服も普及しています。自分の欲しいものすべての需要を満たしてくれる場所、それがチャンマダンです」という(KBS〈だれが北朝鮮を動かしているのか〉制作班ほか『北朝鮮 おどろきの大転換』)。

経済統制をかいくぐるヤミ市というかたちで自然発生した市場経済が、規制緩和を機に表舞台でその実力を存分に発揮しようとしているようだ。

日本の高度成長の土台はヤミ市


じつはこれと似た光景が、かつて私たちの身近にもあった。第二次世界大戦の終戦直後、混乱期の日本だ。

当時、全国各地に膨大な数のヤミ市が発生した。個人所有の物品、地方の農家・漁師と直接取引した食料、軍部・官公庁に隠匿・退蔵されていた物資の放出、占領軍物資の横流しなど多様なルートで仕入れた品々を取引するため、駅前や焼け跡など広場があり、人が集まる場所ならどこでも市場が開かれた。最初のものは東京・新宿駅前の「尾津組マーケット」で、終戦5日後の1945年8月20日には開始されたといわれる。

当初は地べたに板一枚、風呂敷一枚敷いての売買で、現代のフリーマーケット(フリマ)に近い青空市場だった。やがて戦前から一家を構える伝統的な露天商(テキヤ)が管理者となり、空き地に柱を立て屋根をかけ、仮設店舗を作る。

土地の権利を無視して作られたものも少なくなかったが、行政や警察の取り締まりが追いつかず、ヤミ市は拡大の一途をたどった。行政や警察はヤミ取引の横行を一部黙認しつつ、都内最大の露天商組織である「東京露天商同業組合」への指導を通じて市場の健全化、秩序維持を優先する方針に舵を切る。

1947年以降、生産流通が徐々に回復し、生活物資の統制解除が始まって、日本は緩やかに復興へ向かっていった。この頃を境としてヤミ市の時代は終焉を迎える(藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』)。

東京で戦後、ヤミ市がとくに栄えたのは、郊外へ鉄道でつながる新宿、渋谷、池袋などだ。トラック輸送などが発達していなかった当時、鉄道を利用し、人力によって担ぎ入れるのが、ヤミ物資を供給する基本的な方法だった。

その際、統制を受け自由な売買を禁じられている禁制品、とくに主食の米、麦、芋や生鮮食料品を産地から運び込むには、鉄道を経由し、下車してすぐ大きい直接取引ができる場所がよい。没収されたり検挙されたりする危険が少なく、決済が容易で、しかも早いからだ。

ヤミ市は戦禍に苦しむ多くの人々を救った。ヤミ市の初期、生活の糧を求めて敗戦直後の駅前で店を出した人のほとんどは、プロの露店商人ではなかった。戦時中に軍需産業への転換を強いられた中小商業者、軍需工場の閉鎖による失業者、海外からの引き揚げ者、戦死者の遺族、朝鮮半島をはじめとする旧植民地の人々などだ(松平誠『東京のヤミ市』)。

救われたのは、ヤミ市で食料などを購入する人も同じだ。当時、政府による食料の配給は一カ月も遅配しており、配給だけで暮らせというのは餓死せよというのに等しい。実際、山口良忠という裁判官がヤミ市で売られる米を拒否し、栄養失調で餓死している。ヤミ市はたとえ違法でも、人々が命をつなぐには欠かせない存在だった。

社会学者の松平誠氏は著書で「ヤミ市は、都市としての機能をすべて失った日本の都市の中で、それでも都市の人びとの生活と欲求とが必然的に生み出したエネルギッシュな存在だった」と指摘する。

1949年に連合国軍総司令部(GHQ)が発した露店撤去命令をきっかけに、ヤミ市はわずか数年でほとんどが消滅する。しかしヤミ市のあった地域はその後、新しい商業施設や盛り場として発展していった。今、副都心と呼ばれる新宿、渋谷、池袋の繁栄はいずれもヤミ市が基礎となっている。活力あふれるヤミ市は日本の高度経済成長の土台ともいえるだろう。

北朝鮮、豊富な天然資源など大きな潜在能力


北朝鮮のヤミ市も、今後の経済成長の土台になる可能性がある。実際、金正恩総書記は市場経済を取り入れた中国やベトナムをモデルに、 経済強国を目指していると伝えられる。

米著名投資家ジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮を投資先として有望視することで知られる。いずれ韓国と統合して門戸が開かれれば、豊富な天然資源、高い教育レベル、低賃金な人材などの大きな潜在能力を発揮して、非常に速い経済成長を遂げるとみる。

韓国との政治統合は国際情勢もからんで簡単ではないだろうが、経済交流だけでも先行して拡大すれば、北朝鮮の経済成長に弾みがつく。それは軍事力に頼った方法より、東アジアの平和にプラスに働くだろう。

『愛の不時着』ではそうした変化が奇跡のように起こることはなく、主人公の男女二人は政治分断のために何度も悲しみや苦労を味わう。けれども、ヤミ市にともった市場経済の火がさらに広がって燃え盛り、政治の壁を崩せば、そうした悲しみを味わわずに済む日も訪れるはずだ。

*QUICK Money World(2022/2/1)に掲載。 

2023-10-06

お金の信用を支えるのは国家か?~「鎌倉殿」の時代に学ぶマネーの本質

お金といえば、誰もが仕事や生活のために日々使用している。けれども、「お金とはどんなものか」とあらたまって問われると、意外に難しい。本やネットで目にする解説も、一見もっともらしいようで、じつはマネーの本質を十分にとらえきれていない。


たとえば、「お金の信用を支えるのは国家」という説だ。

たしかに、今の円やドルのお札は「不換紙幣」といって、銀行に持って行っても、金貨などの実物資産と交換してくれるわけではない。その意味で、ただの「紙切れ」だ。

ところがその紙切れを、みんな当たり前のようにお金として使っている。よくある解説によると、それはみんなが、お金を発行する国家を信用しているからだという。

現代に限れば、この説は正しく見えるかもしれない。今は原則、国家の発行する不換紙幣だけが正式なお金として認められているからだ。しかし視野を過去に広げると、お金の違った側面が見えてくる。

中世日本のお金(貨幣)は誰が発行したか


今月放送が始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台は、平安時代末から鎌倉時代前期。歴史区分でいえば中世にあたる。この時代、日本ではすでにお金(貨幣)が経済取引の手段として普及しつつあった。いわゆる貨幣経済の発展だ。

1月9日放送の第1回では、小栗旬さん演じる北条義時と父の時政が、京都で買ってきたみやげの品について話す場面があった。

さてこの時代、お金は日本の政府機関のうち、どこが発行していただろう。天皇が君臨する朝廷か。あるいは栄華を誇った平氏政権か。それとも北条氏が仕え、平氏を滅ぼした源氏の鎌倉幕府か。

答えは「どこも発行しなかった」である。お金は日本政府が発行するのではなく、海外から輸入された。

日本に金属製のお金(金属貨幣)が現れたのは7世紀後半(飛鳥時代)で、8世紀初頭に朝廷が自ら「和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)」を発行したことで徐々に普及していった。しかし平安時代に貨幣鋳造はいったん途絶える。

この後、12世紀後半(平安末期)に中国から銅銭が持ち込まれた。流入のきっかけは、中国との貿易だ。当時の中国は宋といい、10世紀半ばから13世紀後半まで続いた。12世紀前半にいったん滅亡するまでを北宋、その後都を開封から南の杭州に移した時期を南宋と呼ぶ。

日本とは10世紀後半、北宋の商船が九州地域を中心に商取引目的で来航するようになる。12世紀中頃には、『鎌倉殿の13人』にも登場する平清盛が博多や大輪田泊(現在の神戸)の港湾開発に力を入れるなど南宋との貿易を本格化させた。いわゆる日宋貿易だ。当時の日本の主要輸出品は銅や硫黄などの鉱山資源だった。一方、輸入品の一つとして宋の銅銭が流入した。宋銭と呼ばれる。宋の後の明の時代に発行されたものを含め、中国から輸入された銭貨を「渡来銭」ともいう。

政府・中央銀行が通貨に対して積極的に介入する現代の感覚からすると意外なことに、当時の朝廷や幕府は宋銭に対して何の統制もしなかった。その結果、日本国内では中国の銭が活発に流通する。今でいえば、中国から人民元が日本に流入し、お金として使われる様子に近いかもしれない。

ただし当時の宋銭には、人民元との違いもある。

人民元は、現在の中国政府傘下の中央銀行である中国人民銀行が発行している。しかし宋銭の場合、北宋が滅び、南宋の時代になっても、多く利用されたのは、前の北宋政府によって発行された銭だった。

それだけではない。宋の政府が発行した銭を模倣し、中国や日本国内で作られた貨幣(私鋳銭)も、お金として利用された。民間が銭を模造したというと、通貨偽造かと眉をひそめる向きもあるだろう。しかし昔は、政府やそれに準じる機関が通貨を供給しない場合、民間がそれを自律的に作り出し、社会で受け入れられる現象が珍しくなかった。

外国・民間のマネーを使った400年、金属価値が裏付け?


日本国内における渡来銭の使用は、鎌倉時代にとどまらず、室町時代、戦国時代まで続いた。じつに四百年近くにわたり、政府が貨幣を発行せず、外国や民間で作られたお金を使っていたことになる。

この事実は、「お金の信用を支えるのは国家」という現代の常識に真っ向からノーを突きつける。

それでは当時、国家がお金の信用を支えていなかったとすると、何が支えたのだろう。それは、銭が持つ「モノとしての価値」だったとみられる。ヒントとなるのは、宋銭はお金以外の用途で日本に持ち込まれたとする最近の研究だ。

たとえば、貿易船のバラスト(船を安定させるための重り)として持ち込まれたという説がある。日宋貿易における輸出品である金や硫黄に対し、おもな輸入品である陶磁器の比重は軽い。大陸からの帰途に船に陶磁器を満載しただけでは軽すぎて船が安定しないため、底荷として宋銭が用いられたという。

銅製品の原材料として輸入されたという説もある。鎌倉大仏の原材料は宋銭だといわれる。宋銭と鎌倉大仏はともに銅70%、鉛20%、スズ10%ほどの組成となっている。両者の類似は偶然とは考えにくい。最初の説のように船底に積む重りが必要だったとしても、まったく無価値な物よりは、それ自体が日本国内で価値を持つ物を用いたほうが、効率的だ。

現代の経済では、通貨が流通するためには、権力による強制や政府の負債としての性格を持つことが必要といわれる。しかし中世日本の場合、渡来銭は一定の重量の銅の持つ価値が裏付けになっていた可能性がある。そうだとすれば、権力による強制や政府負債としての役割なしに流通したことは不思議ではない(飯田泰之『日本史に学ぶマネーの論理』)。

暗号資産(仮想通貨)と渡来銭の共通点とは


お金が一般に受け入れられるプロセスには二つのパターンがあるとされる。ひとつは、中央集権的な権威が制度整備を通じて特定の交換手段に社会的通用力を与え、人々の信認を得るというプロセスである。中央銀行や政府が紙幣・硬貨を発行し、偽造を取り締まる現代の各国の貨幣制度はこのパターンに属する。

もうひとつ、中央集権的な権威を必要としないプロセスもある。そのプロセスとは、分権的な枠組みのなかで人々が特定の交換手段を信認するパターンだ。鎌倉・室町時代は、このパターンで渡来銭が流通するようになった。

現代の暗号通貨はブロックチェーンによる分権的仕組みを基礎としている。したがって暗号通貨における信認は、現代の政府の発行するお金よりも、鎌倉・室町時代の渡来銭に似ている(横山和輝『日本史で学ぶ経済学』)。

国家と関係なくお金が流通した例は、中世の日本だけではない。18世紀にオーストリア政府が発行した、女帝マリア・テレジアの肖像を刻んだ銀貨は、本国ではとうに使われなくなった20世紀に至るまで、遠く離れたアフリカ・西アジアの特定地域で流通を続けた。この地域はオーストリアの植民地でも勢力範囲でもなく、むしろ英国やフランスの植民地ないしはその勢力下にあった(黒田明伸『貨幣システムの世界史』)。

政府がお金を発行し、中央集権的な権力でそれを流通させるあり方は、長い歴史からみれば一つの選択肢にすぎない。政府がお金を大量に発行しすぎてその価値を毀損するようだと、人々は政府の通貨を敬遠し、暗号通貨や金・銀をメインのお金として使い始めるかもしれない。すでに最近の物価上昇、つまり通貨価値の下落を受け、その兆しはある。

人々が政府に頼らず、自分たちで信頼できるお金を選び取っていく。今、そんな時代が再来しようとしているのかもしれない。

*QUICK Money World(2022/1/18)に掲載。

2023-10-03

国債デフォルトはこの世の終わり?

国債のデフォルト(債務不履行)はこの世の終わりのような恐ろしい出来事だと、多くの人は信じている。たしかに日本や米国のように巨額に積み上がった国債のデフォルトは、経済に大きな混乱を引き起こすだろう。だからといって、この世が終わるわけではない。歴史を振り返ればわかるように、デフォルトの後も世界は続く。そこには激しい嵐が吹き荒れるかもしれないが、健全な経済に立ち返るチャンスでもある。


日本の江戸時代後期にあたる1830年代、米国では中央銀行の役割をもつ第2合衆国銀行があおったバブル景気の波に乗り、多くの州が鉄道、道路、運河などの公共工事に充てるために、多額の地方債を発行した。これらの州債のほとんどは、英国とオランダの投資家によって購入された。

1837年の恐慌から1840年代のバブル崩壊で、借金を負った州は苦境に陥る。当時の28州のうち、9州は負債がなく、1州はわずかだった。残り18州のうち、9州は負債の利子を途絶えることなく支払い、別の9州(メリーランド、ペンシルベニア、インディアナ、イリノイ、ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は債務不履行に陥った。これらの州のうち、4州は利払いが数年間滞っただけだったが、残りの5州(ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は未払い債務の支払いを拒否した。

債務不履行と支払い拒否は意外にも、良い影響をもたらす。まず、州政府に大幅な財政改革を促した。1846年のニューヨーク州を皮切りに、10年間で3分の2近い州が州憲法を改正し、①州による民間企業への投資を規制②特別立法による法人設立を制限・禁止③州・自治体債の発行方法を変更④州・自治体債の発行額に上限を設定――などを新たに定めた。これら州憲法による州債規制は、その後弱まったものの、現在まで形をとどめる。

米経済学者トーマス・サージェント氏は2011年、ノーベル賞記念講演で「もし当時多くの国会議員が望んだように、連邦政府が州政府を救済していたら、このような改革は起こっただろうか」と問いかけた。

次に、各州は公共投資に慎重になり、鉄道網の整備を民間に任せた。以前州が保有していた鉄道はほとんど売却される。州や自治体の政府は直接投資やもっと目立たない方法で鉄道を補助したものの、1860年までに米国の鉄道に必要な資本の4分の3を民間資金が提供した。米経済学者ジェフリー・ハンメル氏は「財政危機後、州はついに重商主義の遺産を捨て去り、初めて自由放任主義へ向かった」と指摘する。

米国の州債を約1億ドル購入していた英国を中心とする海外投資家は、州政府にお金を貸すことにきわめて慎重になった。海外勢のこの態度は米連邦政府にまで及んだ。米証券会社が1842年、欧州で米国債の市場調査を行ったところ、米連邦政府のデフォルトが心配なので売れないと言われた。

さらに、デフォルト後の米経済は早くに立ち直った。1929~1933年の米大恐慌では、失業率が最大25%に達し、この間に生産高は30%減少した。これに対し1839~1843年には、投資は減ったものの、生産はむしろ6~16%増え、実質消費はそれ以上増加した。しかもほぼ完全雇用だった。その後も1830年代に始まった経済成長は続き、実質所得は増加していった。

政府自身が財政規律を正さない場合、デフォルトによって規律を強制するしかない。1840年代の米国の州の経験は、デフォルトこそが長期にわたる解決策になりうることを示している。

多くの個人が国債を直接・間接に保有する現代では、デフォルトの衝撃はさらに大きいだろう。それでもこの世の終わりではない。経済に対する政府の介入を排除し、自由な市場経済による繁栄を取り戻す好機になりうる。

<参考資料>
  • Some Possible Consequences of a U.S. Government Default · Econ Journal Watch : sovereign debt crisis, default, financial crisis, repudiation, U.S. deflation of 1839-1843 [LINK]
  • Repudiating the National Debt | Mises Institute [LINK]