2023-03-08

戦争を終わらせるのは外交

平和外交研究所研究員、クリストファー・モット
(2023年3月3日)

米国とその同盟国がウクライナにどの程度関与すべきかという議論で、最大限の利益を得ることが当然視されるようになった。公式見解の多くでは、クリミア半島とドンバス地方の返還を含むウクライナの完全勝利が、戦争を終結させる唯一の方法だとされている。これは支持者が想定している以上に、歴史的命題として疑わしいものである。
外交の必要性は、しばしば第二次世界大戦との比較という信じられないような疑わしいもので片づけられてしまう。枢軸国の無条件降伏は、異常な出来事ではなく、外交の歴史を理解するうえで重要な教訓だという暗黙の前提がある。しかしほとんどの主要な紛争は、1945年のような終わり方をしていない。

さらに世界の多くの人々は、ウクライナ紛争を世界の魂をかけた宇宙的な戦いではなく、米露の大国間対立の一部である、欧州の局地的な戦争とみなしている。

欧州外交問題評議会によれば、北大西洋条約機構(NATO)諸国と日本のような少数の国による連合は、想定以上に例外的な存在である。世界のほとんどの国は、ウクライナ紛争に関与せず、大きな激化を避けるように努力することで、自国の利益を追求している。世界の世論(それが存在する限りにおいて)は、米国やその協力国の多くが考えているよりも、交渉による和平に疑いを抱いていない。

ウクライナ戦争に対する意見がどうであれ、つまみ食い的で近視眼的な歴史の読み方に基づき誇張された、〔一切妥協しない〕最大主義の主張によって、過去も現在も外交が実際に機能している現実を見失わないようにしなければならない。たしかに、交渉による解決が必ずしも内戦や紛争を終結させるとは限らないが、国際的な国家間の暴力に関しては、交渉の方がはるかに有効に機能しやすい。

最大主義者は第二次世界大戦を基準にしたがるが、戦後は紛争を終結させたり、軽減させたりする方法として、政府間交渉の傾向が強まっている。国の相互接続と核兵器の拡散は、競争相手国に完敗や無条件降伏を求めることの愚かさをさらに際立たせている。

現代に近づくにつれ、列強間の技術的・資源的格差が縮小しているため、相手を強烈な一撃で倒すことは、まれにしか起こらなくなった。イラクやリビアで行われた軍事作戦のように、欧米連合が比較的有利な条件で小国を圧倒し、その後、混乱、政府破綻、難民危機が発生するというような例外がほとんどで、うらやましいとは言いがたいものだった。

第二次世界大戦後、最初の大規模な通常戦は朝鮮戦争だった。この紛争は、北朝鮮のもとで朝鮮半島を統一するという最大限の目標で始まり、1950年に北朝鮮軍が南から追い出されると、米国と韓国は自分たちで半島を統一しようとする動きを見せた。戦争は1953年まで続き、双方ともはるかに多くの犠牲者を出したが、最終的には、戦前の国境線だった38度線とほとんど変わらない非武装地帯で終結した。今日まで続いている休戦は、平和条約ではなく停戦である。

冷戦の過程でさらに妥協的な和解が行われることになる。ザンジバルでは、新政府がアラブ人を排除し、共産主義諸国を指向する動きを見せたため、暴力的な騒動が起こり、国際危機の可能性があった。しかし1964年、交渉官たちはザンジバルの国内自治を国際的に承認し、タンガニーカと合邦してタンザニア連合共和国を誕生させることで、危機を回避することに成功する。

その後10年間、イスラエルと宿敵エジプトとの間にとうとう永続的な和平をもたらすことになったのは、軍事的な決着がつかなかった1973年のヨム・キプール戦争〔第四次中東戦争〕だった。それまで勝利していた近隣のアラブ諸国の反発は強かったが、外交官たちが協力して土地と〔イスラエルの〕承認を引き換えることで、米国が大きく後押しした結果、より長続きする和解に至った。

一方、戦火の絶えなかった東南アジアは、冷戦終結後、ベトナム、タイ、中国との間で行われた関係正常化によって、より大きな、そして今のところ持続的な国際平和の水準に到達した。

これは核の危険と超大国間競争の時代における必要な妥協と説明することもできるが、現在の多極化への転において、その重要性を増すばかりである。さらに、1990年代から2000年代にかけての米国主導の「一極集中の時代」においても、交渉による解決の傾向が弱まらなかったことは注目に値する。たとえば、ユーゴスラビア崩壊の際の戦いは、いずれも決定的な勝利を得たとは言いがたいものだった。

同じく、エチオピアとエリトリアはバドメ地方で国境をめぐる大規模な戦争を行い、当初は膠着状態に陥るかと思われたが、終結から20年以上が経過した現在でも、その勢いは衰えない。現在では、かつての敵同士がティグラヤの反乱軍に対して協力することもある。

インドとパキスタン、サウジアラビアとイラン、ウクライナとロシアなど、地域間の厄介な紛争を見るにつけ、一方が完全に崩壊し、他方が勝利するという解決方法はありえないように思える。また、タカ派の元国務長官〔ヒラリー・クリントン氏〕が唱えるような、交戦国の権力層の内部分裂も、確実な結末として想定することはできない。このような事態は最近の歴史でも起こってはいるが、それは異常事態であり、最も可能性の高いシナリオとして計画されるべきものではない。

特定の大義名分の是非にかかわらず、ほとんどの国は、国際紛争の最も現実的な結果として、交渉による解決を期待しているはずである。世界の国家間戦争の大半は、最終的に外交官が交渉の場で厳しい譲歩を強いることに帰結するという現実を、偏った例外によって見えなくしてしまうのは賢明ではないだろう。

この結果を必然として理解するほど、冷静で現実的な国家運営を阻むものは少なくなるはずである。

Tell me how this ends: If recent history is a guide, not with a knockout blow - Responsible Statecraft [LINK]

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