2023-02-02

米国の戦争、価値なき代償

ケイトー研究所主任研究員、ダグ・バンドウ
(2023年1月26日)

世界は混乱している。しかし米国はそれを解決しようと決意している。国務長官は世界中を飛び回り、敵味方に関係なく指示を出す。外国の役人が聞く耳を持たないとき、アンクル・サム(米国のニックネーム)は鉄拳を振りかざす。
そして、その命令を裏付けるために制裁を加える。経済戦争を遂行する米国の能力と意志は、比類がない。米国とその同盟国は、貿易制限、観光禁止、投資制限など、中国の経済的な威圧を心配するのは当然である。しかし財務省はほぼ毎日、新たな経済制裁を発動している。現在、数千の政府、企業、政府関係者などがその「悪者リスト」に載っている。

まともな議論もなく、議会はまた、その意思に背く敵国や友好国にも制裁を加えている。最悪なのは、すでに困窮している国民に経済制裁を加え、その国の政府を追い出したり、影響を与えたりしようとすることである。米国人は、国際的な投資、貿易、サービスを大幅に複雑化させるこのような規制の代償を払うことになるが、外国人はそれ以上に苦しむことになる。

制裁はキューバ、ベネズエラ、シリア、イラン、北朝鮮に見られるように、その害と効果のなさの両方において顕著である。米国が経済全体を対象とする場合、結果として生じる苦難は広範囲に及び、時には命にかかわることもある。米国の政府関係者は、罪のない人々に害が及ぶことを知っているが、単に気にかけないだけである。例えば、制裁によってイラクの子供たちが大量に死んだことに直面したとき、マドレーン・オルブライト元米国務長官の悪名高い応答はこうだった。「その代償に見合うだけの価値があると思う」

しかし、このような高い人的コストをかけても、ほとんど実際的な成果は得られていない。米国の制裁は結果的に対象国の政権を弱体化させるかもしれないが、米国は敵対するいかなる国に対してもその意志を貫くことができなかった。数年、数十年にわたる制裁にもかかわらず、キューバは共産主義を維持し、ベネズエラは権威主義を維持している。北朝鮮は核兵器を放棄せず、シリアはアサド大統領を追放せず、イランは核活動を放棄していない。米国はまた、グローバル・マグニツキー法〔入国禁止や資産凍結などの制裁を科せる人権侵害制裁法〕に基づく標的制裁を試みたが、敵対する政府に対するインパクトはさらに小さい。

しかし制裁は一様に米国に対する反感を強めている。標的とされた国家は、他国に支援を求め、とくにロシアや中国に目を向けるようになった。米国の「敵対政策」は、北朝鮮の核開発計画を正当化するもう一つの理由となった。

現在進行中のアフガニスタンとロシアに対する制裁も、同じように失敗する可能性が高い。アフガニスタンでは一年が経過し、タリバンの支配が過激になり、国民は経済崩壊に苦しんでいる。ロシアはウクライナに対する軍事作戦を拡大している。ロシアは経済がハイテク分野中心に苦しくなるが、相当な軍備を展開できることに変わりはない。ロシアは大きな北朝鮮のように、貧しく孤立しているが、いっそう好戦的な体制になるかもしれない。

米国の第二の介入手段は軍事行動である。抵抗されれば、あなたの国を爆撃・侵攻・占領する用意があるのだ。この政策の代償は、国防総省の予算をはじめ莫大なものである。先月、レームダック(死に体)議会は、「防衛」(実際は攻撃)のために8580億ドルという記録的な支出を承認した。いわゆる世界規模の対テロ戦争だけでも、負傷したり障害を負ったりした軍人のケアを含め、最終的に約8兆ドルの費用がかかる。これは現在公にされている国家債務のおよそ3分の1を占める。

さらに悲劇的なのは、失われ、傷つけられた命である。過去20年間の米国の戦争で死んだ人の数は、控えめに見積もっても約100万人である。しかしある尺度では、米国の侵攻後に死亡したイラク人だけでも、その数に近づいている。米軍の死者数は軍人や軍属を含めても数千人である。公式の統計では負傷者の数は少なく、数万人にのぼる。しかし自殺が多発し、死者数は戦死者の4倍以上に増え、数千人が重傷と心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えて生きている。

苦しんでいるのは米国人だけではなさそうだ。同盟軍、とくに現地部隊は何万人もの死者を出している。イラク、シリア、イエメンでは何十万人もの民間人が亡くなっている。アフガニスタンでは数万人、リビアでは数千から数万人(推定値は大きく異なる)が死亡している。これらの紛争で多数の人が負傷し、数百万人が避難している。

たしかに、米国は被害のほとんどを直接には引き起こしていない。しかしその空爆は歴代政権が認めた以上に多くの民間人を殺害している。むしろ米国の得意技は、政府を混乱させ、国を分裂させ、残忍な紛争と大量殺戮を誘い、持続させることである。米国はまた、サウジアラビアのような、成功の見込みがなくなっても殺人や騒乱を続ける戦闘員を支援してきた。米国の最近の戦争は、約束した平和、安定、繁栄、民主主義をどれもまだ実現していない。

米国はドローン(無人機)による戦争も完成させ、遠く離れた土地で罪のない人と罪のある人を同様に死に追いやっている。本格的な侵略に比べれば抑えられてはいるが、殺人ドローンはその利便性ゆえに、あまりにも簡単に使われる。有効な武器であるにもかかわらず、ドローンは無造作かつ乱暴に使われ、多くの死をもたらす。オバマ政権の関係者が、誰を殺すかについてくつろぎながら議論している光景は、権力の腐敗を浮き彫りにしている。

最悪なのは、〔標的が定かでなくても、テロリストの特徴とされる不審な行動をとっていれば攻撃する〕「識別特性」殺害である。防げない恐ろしい間違いの例として、米国のアフガニスタン撤退時に起きたカブールでの空爆がある。この空爆で援助関係者と数人の子供が死亡した。残念ながら、死をもたらすドローン攻撃は、米市民を対象に含むテロリストからの報復を生んでしまう。バイデン政権は、無人機の使用に関する規則を強化したことは評価できる。

冷戦終結後、米国は世界で最も危険な国となっている。昨年のウクライナ侵攻でロシアもその座を狙えるようになったが、米国は現在でもロシアよりも多くの国を攻撃し、多くの混乱を引き起こし、多くの民間人を犠牲にしている。中国については、半世紀前のプロレタリア文化大革命まで遡らなければ、中国政府が自国民にこれと同等の人的被害を与えていることを知ることはできないだろう。

米国は依然として世界一の強国であり、最大の経済力、最大の文化的影響力、最強の軍事力を有する。しかし、その外交政策は大失敗してきた。米国が経済制裁や軍事力で最も強力な介入をしたときに、最も劇的に失敗したのである。国際的な社会工学を目指した米国の壮大な試みの失敗は、カブール空港を出発する飛行機から人々が落下する光景によって悲劇的に示された。

大まかに言えば、米国は攻撃的な行動ではなく、信頼できる脅しによってロシアを拘束することで冷戦に勝利したのである。朝鮮戦争は、韓国の独立を維持したまま、引き分けに終わった。グレナダやパナマのような迅速な侵略を除いて、米国の他の武力介入は、とくにベトナム、イラク、アフガニスタンで、ほとんどが悲劇的な大失敗であった。

バルカン半島攻撃など、米国の死傷者が少なかったものでさえ、民族の分裂を解消し自由民主主義を実現することができなかった。米国の重大な利益、ましてや不可欠な利益を守ることができたものはない。経済戦争も同様で、米国は偽善的な美徳を誇示しながら、現地の人々を貧困に陥れることがほとんどである。

元国家安全保障副顧問のベン・ローズ氏が「外交政策エスタブリッシュメント」と呼んだ集団のメンバーが、これほど一貫して無能でありながら、職業上の影響をほとんど受けていないことは衝撃的だ。この説明責任の欠如は恥ずべきことである。しかしワシントンのエリートたちは、時に外国人犠牲者が膨大になることを冷淡に正当化することをためらったことはない。

たとえばオルブライト氏は、米国は他の国よりもっと先の未来を見据えていると傲慢に主張し、米国の一貫した攻撃的、軍事的な政策を正当化した。過去数十年にわたる米国の介入によって引き起こされた数々の大惨事を考えれば、同氏の意見は明らかに馬鹿げているにもかかわらず、ワシントンでは広く共有されている。米国の取り組みが先見の明があり、成功していると判断するのは、天下りと役所復帰を繰り返すワシントンの役人以外に誰がいるのだろうか。

とはいえ、前述のようにオルブライト氏は何十万人もの子供たちの死を問題にせず、「その代償に見合うだけの価値があると思う」と言い放った。イラクにおけるジョージ・W・ブッシュ、アフガニスタンにおけるバラク・オバマ、イエメンにおけるドナルド・トランプの各大統領も、同じように考えていたに違いない。しかし、たとえばプーチン露大統領や習近平・中国国家主席といった外国の高官が同様の主張をしたら、米国人はどう反応するか想像してみよう。ロシアの大統領が、ウクライナ紛争で民間人が犠牲になったのは残念なことだが、必要なことだったと説明したら。結局のところ、ロシアは独自の先見性を発揮し、その代償は「それだけの価値あるもの」だったのだ。

誰かが負担しているのであれば、どんなに高いコストでも正当化するのはたやすい。今日の米国の外交政策は、単に愚かで逆効果であるだけでない。不道徳きわまりない。米国は国民をアンクル・サムの目的のための手段とし、しばしば究極の代償を払わせることになった。

次期政権は謙虚、思いやり、自制、共感、現実主義、リアリズムといった外交政策の美徳を学び直すべきだ。世界は、米国の政策立案者が米軍兵士や外国の民間人を駒として多く犠牲にしながら大混乱を引き起こす権利をもつような、グローバルなチェス試合ではない。

(次を全訳)
The Limits of Number One - The American Conservative [LINK]

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