2022-10-14

アレックス・ジョーンズと危険な名誉毀損罪

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2022年10月13日)

名誉毀損法の不条理がまた明らかになった。ラジオ番組の司会者アレックス・ジョーンズは9億6500万ドル(約1416億円)の支払いを命じられた。2012年、米コネチカット州ニュータウンで起きたサンディーフック小学校銃撃事件について、ジョーンズの主張を好ましく思わない人々に対してである。

この銃撃事件の後、ジョーンズは繰り返し、事件は演出されたもので、両親とされる人たちは「クライシスアクター」だと思うと述べた(その後、銃撃は本当だったと思うと述べている)。ジョーンズの聴取者には、銃撃は起こらなかったというジョーンズの主張に同意する人もおり、このことが、殺害された子供たちの親の何人かに嫌がらせをするという聴取者の決断につながったとされる。

実質上、ジョーンズが有罪になったのは、犠牲者の両親に対し無慈悲で無礼なことを言うよう、他の人々をそそのかしたとされたからだ。この嫌がらせには、犠牲者の墓への冒涜も含まれるとされる。

ジョーンズが数億ドルの支払いを命じられたのは、他人(ジョーンズの命令で行動したわけではない)が、自分で犯罪を犯したとされるからだ。だとすれば、この事件でジョーンズが「被害者」とされる人々に実際どのような損害を与えたのか、理解しがたい。もちろん、親に嫌がらせをしたのであれば、それは実際に嫌がらせをした人が責任を負うべき罪だ。本当の罪人は、嫌がらせ行為を行った人たちである。ところがジョーンズは、陪審員と原告が不快に思うようなことを言っただけで、有罪になってしまったようだ。

自由な社会では、私人が、他の人々が自由に無視できるようなことを言っても、法律で罰せられることはない。しかし言論の自由を尊重しない社会では、言葉を発しただけで何億ドルもの罰金を科すことができるらしい(特定の人物に向けた実際の暴力の脅しは危険だが、ここでの議論はそのことではないし、ジョーンズに対する非難とも別だ)。

ジョーンズが、知りもしない第三者の行為のために何らかの形で有罪になるという考えは、そもそも名誉毀損法のねじれた論理から導かれるものだ。名誉毀損は法律問題として罰しなければならないという考えは、人には自由意志がなく、自分の行動には責任がないという考えに基づく。

たとえば、見ず知らずの人が、あなたの隣人は小児性愛者だと言ったとしても、私にはその告発を頭から信じる理由はない。しかし、これは名誉毀損の論理が想定していることだ。もしAさんがBさんについて嫌なことを言ったら、人々はその告発を拒否したり無視したりする自由はないと仮定することになっている。むしろ、人々は言われたことをすべて信じるロボットだと仮定しなければならないのである。 アレックス・ジョーンズが唱える理論を誰もが信じなければならない理由はない。

Aさんの告発を無視する自由がある以上、CさんがAさんの意見を理由にBさんに何らかの危害を加えた場合、Aさんに責任があると考えるのはとりわけ不合理だ。

現実には、人には選択肢があり、他人の言う嫌なことをいちいち信じる必要はない。誰かが誰かについてひどいことを言ったからといって、人々が何か特定のやり方で行動するよう強制されるわけでもない。

人は自分の行動に責任があるという考えは、アレックス・ジョーンズに対する裁判ではまったく通用しなかったようだ。ジョーンズに対する判決は、嫌われる意見を言う一般人を絶えず脅かすことになる。

政府の公式見解に反対する人は誰でも、人種差別主義者、国内テロリスト、あるいはそれ以上のレッテルを貼られる時代にあって、これはじつに危険な展開である。政府は批判者を黙らせるために名誉毀損法を使ってきたし、金持ちも同じように名誉毀損訴訟の脅しを長い間使ってきた。

ジョーンズの事件が注目されているのは、ジョーンズに相当な額の法的防御を行う手段があるからでもある。しかし、それほど経済的余裕のない、嫌われる意見を言う人々は、もっと不利になり、もっと簡単に、もっと早く脅されて沈黙してしまうだろう。

(リバタリアンの経済学者・法哲学者)マレー・ロスバードは名誉毀損法に反対し、権力者が無力な者を黙らせる手段であることを次のように認識していた。

(名誉毀損訴訟を認める)現在のシステムは貧乏な人々を別の意味でも差別している。つまり、多額の金のかかる名誉毀損訴訟を起こされる恐れから、彼らは裕福な人々に関する、真実だが名誉毀損的な知識を配布する可能性が低いからである。

すべての答えは、人々が自分で結論を出し、自分の行動に責任を持つことがはっきりと期待される、完全な言論の自由である。ロスバードが指摘するように、言論の自由が制限されない社会では「誰もが虚偽の作り話が合法的だと知っているから、読んだり聴いたりする公衆の側にはるかに大きな懐疑心があり、現在よりはるかに多くの証明を求め、中傷的な話を信じる度合いもずっと少なくなるだろう」。

(次を全訳)
The Alex Jones Verdict Shows the Danger of Defamation Laws | Mises Institute [LINK]

(参考文献)
ロスバード(森村進他訳)『自由の倫理学』勁草書房

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