2022-10-11

ノーベル経済学賞、銀行救済にお墨付き

経済学者、マーク・ソーントン
(2022年10月11日)

ベン・バーナンキが、ダグラス・ダイヤモンド、フィリップ・ディビッグとともに、ノーベル経済学賞を受賞した。この三人は、経済の修正局面で、一般には長期にわたる貨幣注入の後、銀行を救済する必要性について幅広く執筆している。バーナンキは2007~09年に直近の銀行救済策を推し進めた際、米連邦準備理事会(FRB)議長だった。

バーナンキの研究は大恐慌に集中し、1930年代には株式市場の崩壊と米経済の深刻な調整に対し、銀行を救済する必要があったと主張している。ダイヤモンドとディビッグも、銀行の破綻が米経済に与える影響について執筆している。三人とも、銀行は短期で換金できる預金を受け入れる一方、長期の融資を行うため、取り付け騒ぎにもろいという考えに関心を抱いている。

バーナンキらの研究は、経済理論から見ると非常に疑わしいものであり、歴史や社会科学の観点から導き出されたものである。説明しようとしている状況全般、制度の役割、政府の介入の基本を軽視している。例えば、バーナンキの研究は、「状況」(経済危機)がそもそもなぜ起こったのか、政府は当初から何をしたのか、政府・連銀が介入を強め続ける以外に、今後どのように防ぐことができるのか、説明していない。

バーナンキらの研究は、銀行を救済する口実にすぎない。特権的な金融エリートの一員であれば、住宅バブルとそれに続く金融危機は、掛け値なしの僥倖だった。住宅と株式のバブルで大儲けし、バブル崩壊時には、ゼロ金利での借り入れ、資本注入、量的緩和、超過準備への利払いなど、銀行はいくつかの救済と特別優遇を受けたのである。

もちろん最も重要なのは、FRBの責任者であり、経済危機の際にFRBが銀行を救済するやり方について手本を示し、論文を書いた人物がいたことだ。他の人々がどんなにひどい目に遭っても、バーナンキに頼れば、他の人々がどんな犠牲を払おうと、銀行を救済することができるのだ。

大恐慌は米国史の中できわめて重要な出来事であり、経済理論や経済政策の面でも重要だ。バーナンキの著作は、政府の救済政策を金融政策から銀行救済へと方向転換させたという点で、きわめて重要である。

ミルトン・フリードマンの記念碑的著作は、FRBが1930年代初頭に通貨供給量の激減を許したのは、経済への資金注入を十分に行わなかったからだと論じている。これに対し(オーストリア学派の)ジョセフ・サレルノによれば、FRBは通貨供給量を増やし続けようと積極的に動いたものの、失敗したのである。バーナンキの研究によれば、1930年代初頭に銀行が多数破綻し、銀行経営への良くない見通し(および多くの銀行の破綻)のせいで、通貨供給量を増やしたいというFRBの願望をうまく実現できなかったという。こうして銀行は「制度上、重要」になった。

経済思想の主要学派にはそれぞれ大恐慌の物語があり、フリードマンとバーナンキはマネタリストを代表する。

オーストリア学派には独自のマクロ経済学的な研究方法があり、それは大恐慌の場合に鮮明だ。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは恐慌が起こる前にその到来を察知し、原因について記した。当時、アーヴィング・フィッシャーは米国を代表する経済学者だったが、ミーゼスは、FRBが貨幣価値の安定を管理するというフィッシャーの考えが恐慌の原因だと示したのである。

バーナンキらは救済政策を推奨・支持する点では頼りになるが、オーストリア学派はより良い完全な理解を求め、銀行救済がそもそも有効かどうかに疑問を投げかける。大恐慌の原因は、1920年代のFRBのインフレ金融政策にある。1930年代に政府の役割を拡大したフーバー、ルーズベルト両大統領のニューディール政策は、恐慌の影響を防ぎも軽くもせず、恐慌を大恐慌にしてしまったのである。

バーナンキ、ダイヤモンド、ディビッグが固執し、銀行家なら誰でも説明できる根本の問題に対処するには、政府の規制、統制、救済の巨大な寄せ集めではなく、中央銀行なしで運営される通貨と銀行から成る、健全な金融体制があればいいのだ。

(次より抄訳)
Ben Bernanke's Nobel Prize: The Committee Rewards an Arsonist for Claiming to Fight the Fire He Started | Mises Wire [LINK]

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