2022-10-16

自由貿易に挑むアフリカ

「アフリカの貿易と繁栄のためのイニシアチブ」ディレクター、アレクサンダー・ハモンド
(2021年4月5日)

2021年1月1日、待望のアフリカ大陸自由貿易圏(AfCFTA)が発効した。この協定がアフリカ大陸にもたらす経済的利益もさることながら、自由貿易と自由化に対するアフリカの新たな支持は、数十年にわたってアフリカ政治を苦しめてきた社会主義イデオロギーに対する明確な拒否反応である。

現在、アフリカ連合(AU)加盟55カ国のうち、地域経済の強豪であるナイジェリア、南アフリカ、エジプト(合わせて大陸経済の3分の1を占める)を含む36カ国が自由貿易地域を批准している。さらに18カ国が貿易協定に署名して支持を表明しており、間もなく正式加盟する見込みである。「アフリカの隠者王国」と呼ばれるエリトリアが唯一支持を渋るほど、アフリカの自由貿易への意欲は強い。

エリトリアはいずれ考え直すかもしれない。向こう5年から10年の間に、アフリカ自由貿易圏は加盟国間で取引される商品の関税の90%を廃止することを保証する。13年以内には、全関税の97%が撤廃されるだろう。世界銀行の予測では、2035年までにこの膨大な自由化の努力によってアフリカの国内総生産が4500億ドル増加し、熟練労働者と非熟練労働者の賃金が10%上昇し、1日1.90ドル未満で暮らす極貧から3000万人以上が脱却する。同じ試算によれば、2035年までに、1日1.90ドルから5.50ドルで暮らす中程度の貧困から6800万人以上の人々を抜け出させる。世銀は、「初期の貧困率が最も高い国」が「最大の改善」を示すことになるとしている。

アフリカ自由貿易圏がもたらすと思われる経済的利益はみごとである。このような急速な成長は、結局のところ、大陸の大部分を貧困に陥れてきた経済ナショナリズムとたもとを分かった結果である。

アフリカと社会主義との混乱した関係は、1950年代後半から1960年代初頭にかけて、多数の新たな独立国家が資本主義モデルを拒否したことに始まる。新しい指導者の多くは、資本主義と植民地主義を同義語とみなしていた。1963年、タンザニアの初代大統領ニエレレは、「植民地主義がアフリカにもたらした資本主義の考え方を否定するのであれば、それに付随する資本主義の手法も否定しなければならない」と述べている。

1957年、ガーナはアフリカで初めて独立を果たした。その指導者エンクルマは、自称「マルクス社会主義者」であり、「社会主義的変革のみがガーナ経済の植民地的構造を根絶する」と提言した。やがてエンクルマは、他のアフリカ諸国も独立によって、「国家による経済の完全所有」を追求するよう促した。

多くのアフリカの指導者がガーナの例にならった。ギニアのセク・トゥーレは、「アフリカの服を着たマルクス主義」を追求し、政府が承認しないすべての商業活動を禁止した。タンザニアでは新憲法で「社会主義国家」と定め、「富の蓄積を防ぐ」と誓った。セネガルの初代大統領サンゴールは、独立後のセネガルは「マルクスとエンゲルスによって導かれる」と述べた。

アフリカの知識人たちが社会主義に熱中した結果、アフリカ大陸の経済の多くが中央計画によって混乱させられてしまった。何十年もの間、価格や賃金の統制、私有財産の収用、非効率的な国有企業といった、経済を衰弱させる政策がいたるところで行われてきた。

アフリカ自由貿易圏が調印された2018年当時、アフリカ連合(AU)の議長国だったルワンダのカガメ大統領は、自らを熱心な自由貿易主義者で、自由貿易国シンガポールの初代首相リー・クアンユーの思想的弟子であると述べている。同様に、同連合の現議長である南アフリカのラマポーザ大統領は、自由貿易が「アフリカの経済的潜在力を解き放つ」と宣言している。

アフリカ諸国が自由貿易を受け入れ始めれば、今後数年で、数億人とは言わないまでも、数千万人のアフリカ人が貧困から抜け出すと期待できるだろう。

(次より抄訳)
Africa Tries Free Trade - HumanProgress [LINK]

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