2022-09-06

敵は共産主義だけではなく、あらゆる国家主義

経済学者・法哲学者、マレー・ロスバード
(1954年)

私たちが本当に戦わなければならないのは、共産主義だけでなく、あらゆる国家主義である。ある社会主義国に対して武器を取っても、社会主義を止めることはできない。むしろ社会主義を拡大させるに違いない。

真の戦いの場は、思想と理性の領域である。外国の国家主義に対して武器を取るだけでは、自分や他人を縛る鎖を締めつけるだけだ。明日ロシアと中国がともに消え去っても、人々が集団主義の教義を信じ続けるかぎり、共産主義は存在し続けるだろう。異端を力で押さえつけようとするのは、理性的な人間のやり方ではなく、子供の仕返しである。

しかし一部の保守派は、敵が単なる共産主義ではなく、国家主義であることを認識していない。その根本の理由は、国家の本質に対する理解がまだ不十分だからだ。

自由主義の基本命題によれば、国家が暴力を行使する権利を有するのは、個人の身体・財産を守るときだけである。

実際、リバタリアン(自由主義者)と保守派はともにこの命題に賛成だ。しかし多くの保守派は、そこでとどまってしまうという致命的な誤りを犯している。

ピーターは平和な市民であり、生産的な仕事に専念し、他人によけいな干渉をしない。国家と呼ばれる集団の中の誰かがピーターを訪ね、彼の身体・財産に将来起こるかもしれない侵害から守るため、金を出すように強制する権利があるだろうか。倫理的な答えは、「何の権利もない」としか言いようがない。

国家という暴力団は、金を取り立てた後も、侠気のあるヤクザと違い、犯罪現場から立ち去ろうとしない。それどころか、ピーターとその仲間に嫌がらせをし、絶えず高額の貢ぎ物を要求する。ライバルの強盗団(外国政府)が襲ってきたときにはピーターを国の軍隊に押し込める。ピーターに国家の軍旗に敬礼し、国家を統治者として認め、国家の命令をすべての正しい者が従うべき有効な法とみなすよう強要する。

国家という暴力団をどう思うか。支配者のプロパガンダに騙され、国家には何の問題もなく、自然で、必要だと信じる人々をどう思うか。国家という暴力団に騙されることに、人類は何千年にもわたり甘んじてきた。

民主主義国は違うと言う人がいるかもしれない。しかし民主主義は、単に国家集団の数を増やしただけである。問題はこうだ。略奪者になろうとする集団(政党)がいくつもあって、それぞれが利権を支配しようとする今の状況は、民主主義以前より良いのだろうか。答えは「ノー」だと思う。

民主主義の唯一の利点は、流血の革命やクーデターなしに、投票を通じて国家統治者を平和に交代させる機会を与えることである。強盗団は国家の戦利品をめぐって血生臭い内戦を行う代わりに、数年ごとにどの強盗団が国民を支配するかについて、国民自身に投票させる。しかし強盗団は決して、国家という体制そのものを維持するかどうかという選択について、その可能性をほのめかすことはない。

したがって、国家は防衛に必要な範囲に限定されるべきだと言う保守派は、最初から大きなジレンマに陥っている。なぜなら、国家は生まれつき原罪を負っているからだ。いかなる国家も、たとえ善意に満ちていても、強制によって存続している。

(次より抄訳)
The Real Aggressor | Mises Institute [LINK]

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