2022-09-02

小さな少数派が世界を自由に導くには

経済教育財団(FEE)コンテンツ・ディレクター、ダン・サンチェス
(2022年8月25日)

自由を好む人は、絶望したくなるかもしれない。どうしようもなく多勢に無勢だからだ。大衆は自由を好まないので、自由を廃止しようと躍起になっている支配者を支持したり、黙認したりする。

暴君から解放されるために、人々を自由に向かわせなければならない。しかし、大衆はあまりにも経済に無知だし、確たる道徳を持たず、政府のプロパガンダに騙されすぎる。無知で惑わされた大衆に、自由主義の政治哲学と自由市場の経済学を理解・納得してもらうのは、難しい注文のように思える。不可能ですらあるかもしれない。

幸いなことに、大衆に自由の哲学を受け入れさせるために、自由の哲学を習得させる必要はない。

重要な政治運動や大規模な社会変動の研究から明らかなのは、良いか悪いかにかかわらず、すべてごく少数の一派によって導かれていることだ。これら変化のいずれにも、大衆の理解が伴ったことは一度もない。

例えば、18世紀のアメリカ革命は、ジョン・ロックら自由の哲学を熱心に研究した建国の父たちのような、ごく少数の個人によって主導された。

産業革命をもたらした 19 世紀の自由主義的な経済改革も、アダム・スミスら自由主義経済学者を信奉するリチャード・コブデンやジョン・ブライトら、ごく少数の個人によって主導された。

18 世紀の平均的な米国人は、ジョン・ロックの著作『統治二論』に目を通したり、ロックの自然法哲学を理解したりしなかった。それでも、それを理解した人々の知的かつ道徳的なリーダーシップの下で、自分の権利を擁護し、暴政に反対した。

同様に、19 世紀の普通の英国人は、スミスの『国富論』を研究したり、「見えざる手」の意味を理解したりしなかった。それでも、それを理解した人々の知的かつ道徳的なリーダーシップの下で、とにかく自由貿易を支持し、重商主義政策に反対した。

自由から遠ざかる動きについても同じことが言える。 20 世紀の普通のロシア人は、マルクスの『資本論』を読んだり、労働価値説を理解したりしなかった。それでも、それを理解した人々の知的かつ道徳的なリーダーシップの下で、階級闘争を支持し、資本主義に反対した。

勝つために必要なのは過半数ではなく、人の心に火をつけようとする、怒りに満ちた、たゆまぬ少数派なのだ。

自由の運命は、二つの対立する少数派のどちらが多数派の心をつかむかにかかっている。それは大衆を哲学者や経済学者に変えるという問題ではない。世論に影響を与える集団のいずれが人々の尊敬と信頼を勝ち取り、影響力を獲得するかが問題だ。

影響力のある意見は、理解の深さ、信念の強さ、魅力的な説明をする力に基づく。リバタリアン(自由主義者)がこれらの美徳を明らかにするとき、自由は前進する。

大衆が自由を拒否し、専制政治を受け入れているとすれば、それは反自由主義の指導者が、上記の資質を達成し明示する点で、自由主義の指導者よりも優れていることを意味する。自由の伝統を引き継ぐ人々が、理解、献身、説明を改善するために必要な自己努力を怠っているのだ。

自由主義を公言する人々がそれぞれ自己改善に専念すれば、自然な副産物として、集団のリーダーになり、最後には社会全体のリーダーになる。真の模範に触発されて、社会を構成する個人は自己を改革し、自由に向かうだろう。その根底にある理論的な根拠を完全に理解していない人でさえも。

自由の哲学を深く理解している人々は、つねに数で圧倒されるだろう。しかし、それは絶望の言い訳にはならない。

(次より抄訳)
How a Tiny Minority Can Lead the World Toward Liberty - Foundation for Economic Education [LINK]

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