2022-07-07

資本主義を守ろう

ジャーナリスト、ヘンリー・ハズリット
(1953年)

「民主主義」という言葉は、人によって意味が違いすぎる曖昧な言葉の一つだ。その時々の論争の必要性に応じ、アコーディオンのように引き伸ばしたり、圧縮したりすることができる。ある人々にとっては、政府が人々の自由な意思に依存し、人々の意思が変わればいつでも政府を平和に変更できるような政治制度を意味する。他の人々にとっては歯止めのない衆愚政治であり、法令によって誰もが同等の功績と権威を持つと宣言される。少数派には多数派が尊重しなければならないような権利はなく、誰の財産も勝手に没収され、稼ぐ努力を何もしなかった人々に分配される。能力、努力、貢献の明らかな不平等にもかかわらず、所得は均等化される。この後者の民主主義の概念は、必然的に共産主義体制へ導くものであり、自由な体制へ導くものではない。

「民主主義」の概念はおもに政治体制を指す。しかし共産主義はおもに経済制度を意味し、それに伴う政治体制は結果にすぎない。したがって、「民主主義」はいかなる場合も、共産主義の反対語ではない。それは西が北の反対であるとか、寒さが黒の反対であるとかと宣言するようなものだ。

共産主義の真の反対は資本主義である。共産主義者はそれを知っているが、それ以外のほとんどの人は知らない。

これが共産主義に反対する人々の思想的弱さの本当の理由であり、共産主義に反対するほとんどの宣伝に効果がない理由である。これまで米国務省、米国営放送ボイス・オブ・アメリカ、西側諸国の政府が行ってきた公式宣伝はとくにそうだ。これらはすべて、共産主義の反対語として「民主主義」を掲げる。理由の一つは混乱して共産主義を信じているからであり、もう一つは資本主義を守る意志も勇気もないからである。

資本主義を掲げることに尻込みする背景には、いくつかの理由がある。そもそも「資本主義」という言葉自体が、マルクスとエンゲルスによって作られ、使われるようになった。これは中傷の言葉として意図して考案されたものである。この言葉は、おそらく今でもほとんどの人が思っているように、資本家たちによって、資本家たちのために発展した制度をほのめかすものだった。

欧米の官僚の大半は、資本主義の基本原理を本当は信じていない。経済の自由は、官僚の心にはなじまない。政府の権力者にとって、政府の力を弱めることを信じるのは自然ではない。官僚は、何が資本主義を機能させるのか、どのような措置が資本主義に適合するのか、よく理解していない。官僚はその性質上、政府による支援という、資本主義とは相容れない制度を好む。だから巨額の海外援助、国際通貨基金、国連の果てしない干渉を好む。これらの措置や制度が実際は、国際貿易や民間投資の自由な流れを遅らせ、妨げていることに気づかない。

米国の官僚が資本主義を理解し、好んでいる場合でも、気まずいことに、欧州の重要な同盟国のいくつかは社会主義に染まっている。社会主義の同盟国を怒らせることを恐れて、資本主義を具体的な言葉で賞賛する勇気がないのである。共産主義に反対する本当の主張は、公式にはほとんど語られることがない。

(次より抄訳)
Let's Defend Capitalism | Mises Institute [LINK]

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