2022-05-06

ウクライナ問題でマスコミがまたもや失態

ウクライナ危機の報道は、過去の戦争と同様、偏向している

ケイトー研究所主任研究員、テッド・ガレン・カーペンター
(2022年5月2日)

ウクライナ戦争前の数カ月、米国の報道はペルシャ湾戦争、バルカン戦争、イラク戦争、リビアやシリアへの介入などにおける過ちをほぼすべて再現した。NATOの東方拡大など米国の行動を批判した一部の意見も、「民主的」なウクライナとの連帯を維持し、ロシアに妥協するなという津波に押し流された。

戦争が始まると、報道はさらに偏向した。米国は、ロシアの侵略に抵抗する「ウクライナとともに」立たなければならないというのが、メディアの重要なメッセージとなった。かつて一般に見られた、米国の利益はしばしば外国の利益とは異なるし、当然そうあるべきだという感覚が、著しく失われている。

米初代大統領ジョージ・ワシントンは退任挨拶で、「友好国に同情すれば、現実に共通の利益が存在しない場合に、架空の共通利益という幻想を助長し……十分な動機もなく、紛争や戦争に参加することになる」と述べた。メディアの報道にはこのような冷静さ、現実主義、慎重な態度が欠けている。

米国の報道からは、NATOの拡大、ウクライナをめぐる欧米とロシアの長年の動き、ウクライナ東部の分離独立戦争の意義など、紛争に至った様々な要因や事象がほとんど伝わってこない。その代わり、プーチンは悪人で、残忍な侵略者である。そうでないと示唆する者はロシアのプロパガンダの道具だという。

とりわけ浅薄なのはテレビ報道だ。米国の視聴者は、ロシア軍の砲弾が炸裂する映像、涙を流し必死で逃げる難民(ほとんどが女性と子供)、自国を守るために武装するウクライナ市民の決意などに目を奪われる。トラウマを抱えた難民の映像を大量に提供しても、紛争を理解することにはほとんどならない。

放映した資料の一部が捏造であったことは、マスコミの信用を失墜させた。ミス・ウクライナの女性が手にした武器は、エアソフトガンだった。ロシア軍艦に吹き飛ばされたというスネーク島の殉教者たちは、生きていた。ウクライナのパイロットとロシアの侵略者との空中戦の映像は、ビデオゲームだった。

報道で煽られた十字軍的な心理は、理性的な反対意見を委縮させた。批判者を「プーチン擁護派」「プーチン支持派」と断じる記事は、どこにでも見られるようになった。米国民の間に反露ヒステリーを煽ることで広がった不寛容な雰囲気は、第一次世界大戦中の米国の反ドイツ感情に似ている。

反対意見を封じ込め、民族的な憎悪の触媒となり、危険な軍事的十字軍を支援することは、米国民が責任ある報道機関に求めるものではない。残念なことに、手にしたものはまたしてもそれだ。

(次より抄訳)
The Press Fumbles Again on Ukraine - The American Conservative [LINK]

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