2022-04-29

ウクライナの独立を支持する? では米国の州の分離も支持するわけだね。

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン(2022年4月28日)

国家は突然出現するものではない。通常、二つの方法のいずれか、あるいは両方の組み合わせによって誕生する。まず、二つ以上の小さな国家から、征服や自発的な統合を経て形成されることがある。また、ある国家の一部が分離独立し、独自の国家を形成することによっても、国家は誕生する。

ウクライナの場合は、三十年前にソビエト連邦の一部から分離独立した国家である。実際、ウクライナは1990年代初頭に起こった地方分権と分離独立の潮流の一部だった。もちろん、こうした分離独立の動きには、当時の「正統な」中央政府が反対した。

1991年末にはバルト三国も独立を宣言した。ソ連はこれに反対し、違法と判断した。当時ソ連から15の国家が誕生した。分離独立はソ連の枠を超えて広がり、1991年にはスロベニアがユーゴスラビアからの独立を宣言した。1993年、チェコとスロバキアが分離し、チェコスロバキアは完全に解体された。

米国がこうした分離独立に概して反対したことは示唆に富む。バルト三国の独立を認めるのも遅かった。第二次世界大戦後のソ連によるバルト三国の併合を、公式には認めていなかったにもかかわらずである。ブッシュ(父)大統領はウクライナが分離独立を宣言する数カ月前、分離独立派に怒っている。

当時米国の立場は、ソ連であれチェコスロバキアであれ国境は神聖なもので、変更・廃止・軽視してはならないというものだった。しかし一世代のうちに、分離独立に反対するソ連を支援する立場から、分離独立を主張するバルト三国にNATOを通じて軍事防衛を保証する立場へと変化したのである。

米支配層は長い間、分離独立に対し二重基準だった。アフリカ、インド、パキスタンなど「脱植民地化」の場合には支持してきた。ウクライナの場合は次のような二重基準が採用されそうだ。「ソ連は当時、民主主義国家でなかったから独立は問題ない。(米国など)国民に投票権があるところでは許されない」

この説明には問題がある。ソ連は民主主義への移行を急速に進めていた。米国はゴルバチョフによるこの改革を支持しており、ウクライナの独立に反対したのもそのためだ。米国はウクライナやバルト三国が、ソ連が崩壊した後も存続する巨大な国家の中に残ることを望んでいたのである。

だがウクライナ人は、たとえ投票が認められても独立が必要と考えた。中央政府の支配層に好かれない文化的少数派は、民主主義よりも独立によって真に自決するチャンスがある。当時ウクライナの分離派は、ソ連崩壊後の民主主義ではロシア系民族が政治を支配すると考えた。それは正しかったのだろう。

分離独立と大胆な地方分権だけが解決できる問題は、民主主義では解決できない。今度、「ウクライナの味方だ」と言う米国人に会ったら、「分離独立派の仲間に会えてうれしいよ」と言ってあげたい。

(次より抄訳)
You Support Ukraine's Independence? Then You Support Secession. | Mises Wire https://mises.org/wire/you-support-ukraines-independence-then-you-support-secession

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