2022-04-10

リバタリアンの戦争理論

経済学者・法哲学者、マレー・ロスバード(1963年)

リバタリアン理論の基本原則は、誰も他人の身体や財産に対し暴力を振るったり、暴力を振るうと脅迫したりしてはならない、というものである。暴力は、そのような暴力を振るう人間に対してのみ用いることができる。つまり、他者の攻撃的な暴力に対する防御としてのみ用いることができる。

無実の人の身体や財産に対する暴力を禁ずるルールは絶対的である。 このことは、侵害の主観的動機が何であろうと、当てはまる。 たとえロビンフッドであっても、飢えに苦しむ人であっても、別の人の攻撃から自分を防衛している最中の人であっても、他者の財産や身体を犯すことは悪であり、犯罪である。

自分の身体や財産を守るために犯罪者に対して暴力を行使することは正当であり、他の罪のない人々の権利を侵害することは完全に許されない。戦争は、 暴力行使の対象が個々の犯罪者そのものだけに厳しく限定されている場合にのみ適正である。歴史上の戦争や紛争のうち、一体どれほどがこの基準に合致していたか、我々自身で判定できよう。

弓矢は侵害的な目的にも使えるが、侵害者に対してだけ使うにとどめることもできる。核兵器は、たとえ「通常型の」投下爆弾でさえ、そうすることができない。 核兵器はそれ自体で、無差別大量破壊の装置なのである。したがって、 核兵器ないし類似の兵器の使用、あるいは使用するという脅迫は、微塵も正当化の余地のない、人類に対する犯罪であると結論しなければならない。

選択的に使うことができない、つまりリバタリアン的な仕方では使えないというところが、まさに現代兵器の特性である。したがって、その存在自体が非難されねばならず、核軍縮はそれ自体目的として追求されるべき善である。

それとも、リバタリアンは価格統制や所得税については適切にも憤りをおぼえるのに、大量殺戮という究極の犯罪に対しては肩をすくめるか、あるいは積極的にこれを支持しさえするというのだろうか?

(次より抄訳)
A Libertarian Theory of War | Mises Institute
https://mises.org/library/libertarian-theory-war

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