2022-04-26

ミンスク2:主流メディアのニュースでは決して聞くことのできない言葉

平和活動家、ウォルト・ズロトー(2022.4.23)

百人の米国人に聞いても、ミンスク2という言葉を聞いたことがある人はまずいないだろう。しかしウクライナ戦争がどのように始まったかを尋ねると、「ロシアのプーチン大統領がある日、目を覚まし、ソビエト帝国を再建することに決め、まずウクライナに攻め込んだ」と返ってくる可能性が高い。

ミンスク2は、ドンバス東部のルガンスク、ドネツク両州において、親西欧の超国家主義政府と親ロシアのウクライナ人との内戦を終わらせるために、ロシア、ウクライナ、フランス、ドイツによって2015年に合意された。

なぜウクライナで内戦が起きたのか。ウクライナはロシア帝国とソビエト連邦によって四世紀にわたり、ばらばらの民族を寄せ集めて作られた国だ。主な民族は、北部・西部の西欧寄りのウクライナ語圏の人々と、東部・南部のロシア語圏の人々である。

ソ連の支配下では比較的平和が保たれていた。1999年にソ連の支配から解放されると、二つの異質な集団の緊張関係が再び表面化した。15年後、米国はロシア寄りのヤヌコビッチ大統領を暴力で排除し、ポロシェンコ率いる超民族主義政権を据えるクーデターを支援し、平和解決のチャンスを吹き飛ばした。

こうしてドンバス地方の内戦が始まり、キエフが憎むべきロシア寄りのウクライナ人を服従させ、疎外しようとした結果、1万4000人以上のウクライナ人が死亡した。過去3年間の殺戮を指揮したのが、現大統領のゼレンスキーである。

しかしウクライナには、2014年のミンスク合意、そして2015年のミンスク合意2という形で、早くから内戦からの出口があった。ミンスク2は、離脱したドネツク、ルガンスク両州の自治、戦闘員の恩赦、ウクライナ政府への代表派遣を求めたものだ。

しかし、米国と実権を握る超国家主義者に煽られて、クーデター後のポロシェンコ大統領とゼレンスキー大統領は、離脱州とクリミアとを奪還するために、内戦を続けることを選択した。

ロシアの犯罪的な戦争に先立つ数カ月で、ウクライナは米国による武器と訓練の助けを借りて、ドンバスでの犯罪的な砲撃を劇的に増やし、3月に予想された侵攻のために10万の軍隊さえ集結させた。

NATOがウクライナのロシア国境まで侵攻してくる脅威から、ロシアの侵攻は合法であり、国防上必要だったのだろうか。もちろん、そんなことはない。しかし、ロシアが何もしないで黙っていることを期待すれば、侵略は事実上避けられない。

政府とメディアは、この戦争をクレムリンの狂人とソビエト帝国再建の夢と決めつけ、何百万という言葉を費やしてきた。しかし、ウクライナと米国がミンスク2を尊重・実行していれば、もっとうまくやることができた。

(次より抄訳)
Minsk II: Two Words You'll Never Hear on Mainstream News - Antiwar.com Original

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