2021-01-04

公益は私益、私益は公益


経済ニュースで「公益」という言葉をよく目にする。

日経の連載記事「コロナと資本主義」によると、環境配慮型の養鶏所を運営する米食品会社バイタル・ファームズは、株式上場の際、投資家向けの書類で「株主よりも公益」と異例の宣言をした。設備投資や買収提案を判断する際、短期的な株主利益だけではなく協力する農家や従業員の立場も考えるという。

この事例に限らず、今の世の中では、株主利益に代表される私益と、環境や雇用、地域社会といった公益は、対立するものという見方がほとんど当たり前になっているようだ。

いつからこうなってしまったのだろう。市場経済の世界では、公益と私益を対立するものとは考えないのが原則だったはずだ。

経済学者は、私益の追求こそが公益につながると説いてきた。アダム・スミスが『国富論』で、「われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである」と書いたのは有名だ。

別の言い方をしよう。市場経済での自由な取引では、売り手と買い手の双方が利益を得る。もしそうでなければ、そもそも取引は起こらない。

株主が、所有する企業を通じ、人々に製品・サービスを売れば、株主だけでなく、買った人々も利益を得る。さまざまな製品・サービスで社会のすべての人々に利益を届ければ、それはすなわち社会全体の利益、つまり公益と言っていい。株主は自分の利益を追求することによって、公益に貢献している。

企業経営者の中には、「税金を払うのが企業の社会貢献」と口にする人がいる。それは正しくない。製品・サービスを売り、人々を満足させた時点で、すでに社会に貢献しているのだから。

消費者が環境への配慮を企業に望めば、企業はすばやく対応する。スーパーなどの店舗にはすでにそのような商品があふれている。

「株主より公益」と宣言したバイタル社は、経営方針が投資家の共感を呼び、上場時に2億ドルの資金を集めたという。その中には、短期の利益狙いの投資家もいるかもしれない。それでも不都合はない。

同社が頭で考えていることとは違い、私益と公益は対立しない。市場経済の社会では、公益とは私益であり、私益はすなわち公益なのだ。

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