2020-09-10

安倍首相が絶賛する令和の出典元「万葉集」は、政府に蹂躙された庶民の悲痛の記録

5月1日午前0時から新元号「令和」に切り替わった。令和の出典は中国古典(漢籍)ではなく、初めて日本の古典「万葉集」から採った。巻5、梅花の歌32首の序文、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」から引用している。
 
安倍晋三首相は4月1日の令和発表時の談話で「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」と述べた。


万葉集の多くの歌に「四季折々の美しい自然」が詠まれているのは事実だ。しかし、それだけではない。奈良時代末期に編まれたこの歌集には、当時の庶民の苦しみ、悲しみを詠んだ歌が収められている。彼らを苦しませ、悲しませたのは当時の政府だった。

当時の庶民の暮らしや感情を伝えるのは、「東歌(あずまうた)」「防人歌(さきもりうた)」と呼ばれる一群の歌である。東歌は東国の農民によって歌われ、防人歌は九州防衛のために置かれた防人と呼ばれる兵士によって詠まれた。防人はおもに東国出身者だったので、題材は東歌と共通するものが多く、東国方言で歌われている。東歌は、全20巻ある万葉集のうち、巻14に収録されている。

「信濃道(しなのぢ)は今の墾道(はりみち)刈株(かりばね)に足ふましなむ履(くつ)はけ我が背」
(訳:信濃道は近頃新しく拓いた道なので、あちこちに出ている切り株でけがをしないよう履をはいてください)

夫の身を案じる妻の歌の趣だ。ここにいう信濃道は、713年(和銅6年)7月に開通した木曽路にあたるらしい。完成に11年あまりを要した難工事で、その間、多くの人々が労役に従事した。税の一種である強制労働だった。

切り拓いた新道に切り株が残してあるのは、強制労働をさせる役人にうっかり踏ませようという庶民の仕返しとの見方もある。もっとも、役人は履をはいているから、踏んでもそれほど痛くはなかっただろう。


公共工事が庶民に負担をかける構図は変わらない


今の日本では、目に見える強制労働による公共工事こそないものの、その代わり国民は税金を取られ、それが道路などの建設に使われる。そうしてつくられた道は一部の業者を潤すだけでろくに使われない農道・林道だったり、車道と歩道の分離もされていない危険な道路だったりする。公共工事が庶民に負担をかける構図は昔も今も変わらない。

「我が面の忘れむ時(しだ)は国はふり嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ」
(訳:私の顔を忘れそうなときは、国中にあふれて嶺に立ち上るあの雲を見て偲んでください)

遠路に旅立つ夫を送り出す妻の歌とみられる。もしかすると面影を忘れてしまうかもしれないほど、長期の別れが予想されている。これは多くの人々が防人に取られ夫婦の別離を強いられた、東国人の経験を示すものと思われる。

防人として徴兵されることに伴う家族との別離は、防人歌で多く歌われる。防人歌はおもに巻20に収録されている。防人は軍令上、家族の帯同が許されていたが、交通や医療の発達していない時代に、実際に危険を冒して遠い九州まで家族を連れて行く者は限られていた。

防人たちはまず国衙(地方の役所)に集まり、役人に率いられて都へ上り、難波から船で筑紫(福岡県)に赴いた。都までの費用は自分で工面しなければならない。任期は3年、それも往復の日数は含まれないし、任期はなかなか守られない。一生帰れないことも覚悟しなければならなかった。残された家族は生活に苦しんだ。

防人歌には、軍務の意気込みや使命感を宣言する勇ましいものもあるが、中心となるのは、家族との別離を悲しむ本音を吐露した歌である。

「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて世に忘られず」
(訳:故郷に残してきた妻は、ひどく自分を恋い焦がれているらしい。飲もうとする水の面にその姿がありありと見えて、どうしても忘れられない)

遠江国(静岡県)出身の防人の歌だ。妻だけでなく、子供や父母とも別れなければならない。

「行先(ゆこさき)に波なとゑらひ後(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来ぬ」
(訳:行く先に波よ荒くうねるな、後方には子供と妻を残してきたのだ)

下総国(千葉県)の防人が歌った。

「水鳥の発(た)ちの急ぎに父母に物言(は)ず来にて今ぞ悔しき」
(訳:出発の際の慌しさに、父母にゆっくり話もせずに来てしまって、今になってまことに残念である)

万葉集全体では父母への思いを述べる歌は少ない。ところが防人歌では多くを占め、妻や恋人への歌とほぼ匹敵する。外からの力で家族と引き離されるとき、普段はそれほど意識しない親への情愛が強く湧き上がってくるのだろう。

徴兵の非人間性を歌った古典


家族を引き裂く防人の制度が、徴兵された人々をいかに精神的に追い詰めるものだったかを伝える話が、万葉集とほぼ同時代に編まれた日本最初の説話集「日本霊異記」にある。

聖武天皇の時代、武蔵国(東京都)の吉志火麻呂(きしのひまろ)という人が防人として徴発され、妻を残し、母と一緒に筑紫に赴いた。時が経つにつれて妻に会いたくなり、母を殺して喪に服し、故郷に帰ろうとしたが、母を殺そうとした瞬間、地の裂け目に落ちて死んだという。

安倍首相は前出の談話で、万葉集について「天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」として、防人歌や東歌に触れた。

しかし、ここまで述べたように、万葉集に収められた庶民の歌には、天皇や貴族を頂点とする政府によって強制された、労働や兵役の苦しみ、家族との別れの悲しみが歌われている。「国民文化」などという言葉で、支配する者とされる者との対立をあいまいにしては、万葉集の真実は伝わらず、防人たちは浮かばれないだろう。

今の日本には幸い、徴兵制は存在しないが、海外ではフランスやスウェーデンのように、テロ対策や安全保障を理由に徴兵制を復活させる動きもある。「令和」をきっかけに注目を集める万葉集は、戦争の地ならしであるナショナリズム発揚の道具としてではなく、徴兵の非人間性を歌った古典として、多くの日本人に読まれるべきである。

<参考文献>
阪下圭八『万葉集 東歌・防人歌の心』新日本新書
中西進『古代史で楽しむ万葉集』角川ソフィア文庫
中西進『万葉の秀歌』ちくま学芸文庫
佐佐木信綱校訳『万葉集(現代語訳付)』やまとうたeブックス
関和彦『古代農民忍羽を訪ねて』中公新書

Business Journal 2019.05.13)

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