2020-08-06

トランプ米大統領、ケネディ暗殺関連文書の公開見送り…広まるCIAによる暗殺工作説

トランプ米大統領は4月26日、1963年に起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件に関する機密文書について、全面公開を引き続き見送り、3年半後の2021年10月までに改めて公開の是非を検討するよう中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)などの関係官庁に指示した。

トランプ氏は昨年10月、国立公文書館に保管されていた暗殺関連の非公開文書の全面公開を指示した。しかし、CIAやFBIが「情報源や外国政府に関する機密が含まれている」として一部文書の記述について公開に反対。トランプ氏は一部文書の記述に関し、180日間かけて公開の是非を決めるとしていた。その期限が訪れた今回、結局、全面公開は実現しなかった。


すでに事件から半世紀以上が過ぎているにもかかわらず、CIAやFBIがここまで公開を渋るのはなぜなのか。本当に彼らが主張するように国の安全保障上の理由からだけなのだろうか。

ケネディ暗殺関連文書をインターネットで多数公開する米民間団体、マリー・フェレル財団によると、総計36万8000ページを超す約2万1980もの文書が今なお全面的に非公開か、編集済みのかたちでしか公開されていない。同財団は今年3月、国立公文書館に公開書簡を送り、すべての文書を完全に公開するとともに、各政府機関に公開延期の理由を官報に掲載させるよう求めたが、実現していない。

残りの文書には何が含まれているのだろうか。確実にはわからないが、その多くはメキシコの首都、メキシコシティのCIA事務所にかかわるものとみられている。

メキシコシティには1963年9月、ケネディ暗殺犯とされるリー・オズワルドが訪れていた。暗殺の2カ月前のことだ。1990年代後半に公開された文書によれば、CIAとFBIはこの事実を知っており、オズワルドがメキシコのキューバ領事館とソ連大使館を訪ねたり、ケネディ殺害についておおっぴらに話したりしたことも承知していたという。ところがCIAなどはなぜか、暗殺事件直後に設立された政府の調査委員会(ウォーレン委員会)にこのことを報告しなかった。


CIAとオズワルド


取りざたされている理由はおもに2つある。ひとつは単純に、事前に犯行の予兆をつかんでいながら、暗殺を阻止できなかったことの責任を問われたくないから。情報機関もしょせんは官僚組織であることを考えれば、責任逃れに走る可能性はある。

しかし、より大きな背景を念頭に考えると、説得力に欠ける。昨年12月14日の本連載でも述べたように、オズワルドは共産主義の信奉者とされ、ソ連に亡命した経験があることなどから容疑が固まった。もしオズワルドが本当にキューバやソ連と接触していたのなら、オズワルドはウォーレン委員会が結論づけたような一匹狼ではなく、それら共産主義国の支援を受けた可能性がある。大変な国際問題になるのは必至だが、冷戦で共産主義国との対決姿勢を強めていたCIAなど米情報機関にとって、これ以上好都合なシナリオはない。そうなれば暗殺を阻止できなかった責任など、なんとでもごまかせる。

それにもかかわらず、情報機関がオズワルドとキューバやソ連との接触をウォーレン委員会に報告しなかったのは、むしろ不自然である。ここで一部の論者が指摘するのは、オズワルドはCIAの工作員だったとする根強い説だ。オズワルドはキューバやソ連との関係を演出するために、CIAによってメキシコに送り込まれたのではないかという。

このオズワルドは替え玉だったともいわれる。暗殺発生直後、副大統領から急遽昇格したジョンソン大統領に対し、フーバーFBI長官が「ソ連大使館でオズワルドと名乗った男の録音テープと写真を入手したが、声も容貌もオズワルドとは違っていた」と報告している。

CIAがオズワルドのメキシコ訪問を暗殺前に知っていたとウォーレン委員会に申し立てたら、政府が調査に乗り出し、一匹狼であるはずのオズワルドとのひそかな関係があぶり出されかねない。だからCIAは当時口をつぐみ、今でもメキシコ関連文書の多くを公開したがらない、というのが米有力ジャーナリストらの見方だ。

そのような事情があったからか、CIAはケネディ暗殺後、メキシコでのオズワルドの行動に関する調査を早々にやめてしまう。当時それを不審に思い、再調査を強く主張した人物がいた。チャールズ・トーマスという米国務省の外交官である。

トーマスの自殺


最近明らかになった記録によると、トーマスは、オズワルドがキューバ領事館で働いていたシルビア・デュランというメキシコ人女性と性的関係があったとする情報などを明らかにしたうえで、オズワルドとキューバの共謀をウォーレン委員会が見逃していないか確かめるよう、繰り返し求めた。

だがその主張は聞き入れられないまま、1969年、外交官として将来を有望視されていたトーマスはなぜか昇進を認められず、国務省から退職を強いられた。落胆したトーマスは1971年、自殺する。

国務省は後日、トーマスの昇進が認められなかったのは人事記録の手違いによるものと説明し、謝罪する。しかしトーマスの遺族は、国務省上層部にとってケネディ暗殺の再調査を求めるトーマスが目ざわりだったためだとみる。娘のゼルダさんはトランプ大統領に手紙を書き、ケネディ暗殺に関するすべての未公開文書を公開するよう求めたが、それは今回かなわなかった。

トーマスの悲劇は、オズワルドとキューバが共謀関係にあり、それを国務省やCIA、FBIなど政府上層部が隠蔽しようとした結果だと受け止める向きが多い。しかしすでに述べたように、その見方は説得力に欠ける。ケネディ暗殺への関与が疑われた政府上層部にとって、オズワルドとキューバやソ連の共謀は自分たちへの疑いを晴らすに都合が良く、隠す理由がないからだ。



元ワシントン・ポスト記者のジャーナリスト、ジェファーソン・モーリー氏は、トーマスが将来を断たれたのは、自分では気づかないうちに、オズワルドのメキシコ訪問がCIAの工作だという真相に迫ってしまったからだとみる。「トーマスはキャリア官僚として当然にも、国務省、FBI、CIAの上層部がケネディ暗殺の新事実に興味を抱くだろうと考えた。それは間違いだった。その結果、将来を断たれ、おそらくそのために死に追いやられた」と同氏は書く。

発生から半世紀以上たつ今も、国の安全保障を名目に、ケネディ暗殺関連文書の全貌を国民の目に触れさせまいとする米政治エリートたち。そうした隠蔽体質こそが国を危うくする。

●参考文献
JFK documents illuminate the death of a diplomat who asked too many questions about Oswald – JFK Facts
JFK documents could show the truth about a diplomat’s death 47 years ago | US news | The Guardian
JFK Files: What the Remaining Assassination Documents May Hold

Business Journal 2018.06.04)*筈井利人名義で執筆

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