2020-08-29

山田芳裕『望郷太郎』

贈与の暗黒面


「贈与」が注目されている。週刊エコノミストOnlineの記事によれば、贈与とは、見返りを求めず「ただ与える」こと。資本主義はすべてを金で解決しようとするため、人間関係が希薄になってしまう。贈与の思想を取り入れることで、そうした資本主義の欠陥を是正できるという。


贈与の身近な例には、誕生日やクリスマスのプレゼントがある。これらが円滑な人間関係の助けになるのは事実だ。けれども贈与は、そうした明るい部分だけではない。山田芳裕『望郷太郎』では、贈与のおぞましい側面が劇的に描かれる。

赴任先の中東イラクで人工冬眠から五百年ぶりに目覚めた舞鶴太郎は、大寒波で世界が破滅し、妻も息子も失ったことを知る。太郎はせめて日本に残した娘の思い出の手がかりを探そうと、近代文明の絶えた大地を徒歩や馬で移動し、はるか祖国を目指す。

太郎は旅の途中、友人バルの故郷の村に立ち寄る(第2巻)。折しも、村は「大祭り」の季節。隣村との争いを避けるため、互いに大切な物や人を贈り合う風習だ。祭りで実際に何が起こるか知らない太郎は「金のない時代にしては、中々良い仕組みじゃないか」と感心する。

祭りの当日、まずバルの「西の村」から白いヒョウの毛皮を贈ると、隣の「中の村」から返礼としてトラの毛皮を贈られる。バルは太郎に言う。「トラの方が貴重。これだと対等にならず……負ける。もっと良い物贈らないと」

その後も、中の村はすべて西の村を上回る値打ちの物を返してくる。さらに西の村が馬五頭を贈ると、中の村は貴重な丸木舟五艘を焼いてみせ、豊かさを誇示。これに対し、西の村の長はなんと自分の家に火をつける。

太郎はようやく贈与合戦の異常さに気づき、「馬鹿げてる」とつぶやく。それを聞いたバルは言う。「馬鹿げてても……これが大祭り」「一旦度が過ぎると……際限なく過ぎていく」

それでも贈与合戦は止まらず、さらに恐ろしい事態へとエスカレートしていく。

近代西洋では、未開人は自然と調和して生きる純粋無垢な人々だとする「高貴な野蛮人」という考えが流布した。こうした未開人像はすでに科学的に否定されているが、その影響は今も消えない。贈与がもてはやされるのもその一端と言える。

『望郷太郎』はフィクションではあるが、贈与の暗黒面を正しくとらえた。作者が高貴な野蛮人の神話に惑わされず、近代文明が滅んだ世界に安易な救いはないと理解しているからだ。この苛酷な現実を太郎がどう乗り越えていくか、興味は尽きない。

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