2020-08-13

障害者への強制不妊手術という優生政策を正当化…“福祉国家”の危険な正体

旧優生保護法(1948~96年)下で約2万5000人もの障害者らに対し不妊手術が行われていた問題は昨年、日本社会に大きな衝撃を与えた。社会問題化を受け、与野党は2018年12月に救済法の基本方針案をまとめた。本人の請求に基づき、厚生労働省が被害認定した人に一時金を支給するとの内容だ。今年の通常国会での成立を目指す。

これまで差別や偏見を恐れ被害を訴え出られなかった人々が、勇気を出して国を相手に裁判を起こした成果である。メディアによる報道も社会の関心を呼び起こした。


しかし、どのメディアも踏み込みが足りないと感じられることがある。それは、強制不妊という非人道的な行為をもたらした根本的な原因の究明である。いや、報道のところどころで遠慮がちに触れられてはいるものの、はっきり名指しすることをためらっているようにみえる。

強制不妊をもたらした「犯人」とは、福祉国家である。強制不妊に代表される優生政策(悪性の遺伝的素質を淘汰し改善を図る政策)というと、ナチスドイツとその指導者ヒトラーを思い浮かべる人が多いだろう。また、優生政策は戦争に向けた富国強兵策の一種だと考える人も少なくない。そうした先入観からは、社会福祉の充実を目指し、ナチスとは正反対に人道的だと思われている福祉国家が強制不妊をもたらしたなどという指摘は、とんでもない暴論に聞こえるに違いない。

しかし優生政策をヒトラーやナチスだけに結びつけると、歴史の重要な事実を見落とし、問題の本質が見えなくなる。


ワイマール憲法が生んだ不幸


優生政策を理論的に支える優生学は20世紀の幕開けとともに、進化論発祥の地である英国から欧米に広まった。そのなかで、ドイツではナチス以前のワイマール共和国の時代に、優生政策の素地が徐々に形成されていった。北欧のデンマークではナチスドイツよりも早く、強制不妊手術を認める断種法が制定され、スウェーデンでも1930年代以降、実質強制といえる不妊手術が実施されていた(『優生学と人間社会』)。

ワイマール期のドイツと30年代以降の北欧に共通するのは、福祉国家の形成ということである。詳しく見てみよう。

ワイマール共和国とは1919年、ドイツが第1次世界大戦に敗れた直後の革命的な状況のなかで、社会民主党を指導勢力として成立した共和国ドイツの通称。ワイマール憲法と呼ばれる同国の憲法は人民主権、男女普通選挙制の導入のほか、労働者の権利保障などを規定し、現代福祉国家の原型を提示したといわれる。

ところがこのワイマール憲法には、次のような規定があった。

「夫婦は、家庭生活、国民の維持と増加の基盤として、この憲法による特別の保護下に置かれる。(略)家庭の純粋性の維持、健全化、社会における促進は、国家と市町村の任務である」(119条)

「子孫を肉体的、精神的、社会的に優秀に育つべく教育することは、両親が負っている最高位の義務であると共に自然の権利であり、両親の行動を国家共同体が監視する」(120条)

夫婦による子づくり、子育てという極めて私的な領域に国家が介入することを積極的に認めている。こうした規定が盛り込まれた背景には、当時、第1次世界大戦で多くの女性が夫を亡くすなか、子育ての負担を国家が肩代わりするという判断があった。一見、女性や家族に優しいようだが、それは国家が人間の生命の誕生や維持に深く介入し、権利と同時に義務を負わせることを意味する。社会主義の理念を掲げる社民党には、将来の経済を担う世代は単に親の子供ではなく、国家の子供でなければならないとの考えもあった。

ワイマール憲法のこうした考えを具体化したのが、1920年の戸籍法改正である。

「戸籍局は、婚約者ならびに法律上その同意が必要な者に対し、婚姻登録に先立って、婚姻前の医学検診の重要性に注意を促すパンフレットを交付しなければならない」との条項を追加。これを受け健康省が作成・交付したパンフレットでは、健康な相手と結婚することが崇高な義務だとし、結核、性病、精神病、アルコールや薬物の中毒症にかかっている人と結婚すれば、自分自身の健康が損なわれるだけでなく、病気や障害のある子供が生まれることで社会に大きな負担をかけるなどと記した。

強制不妊手術を認める断種法の制定も、社民党内部で求める声があり、成立こそしなかったものの、議会に法案が提出された。これは1933年、ナチス政権下で実現することになる。

かつて日本の厚生省は、食糧難や人口増などへの対応を迫られていた社会情勢を背景に、障害者に対する強制不妊は日本国憲法に定める「公共の福祉」に合致すると正当化した。この「公共の福祉」もワイマール憲法で初めて明記された概念である。

ナチスドイツより強化された戦後日本の優生保護政策


一方、北欧デンマークではナチスドイツに先立つ1929年、社民党政権下で断種法が制定される。性犯罪の恐れのある者に対する去勢手術とともに、精神病院や施設で暮らす「異常者」に対する不妊手術を合法化。手術には原則として本人の同意が必要とされたが、当人に法的な同意能力が期待できない場合は、後見人の代理申請による実施が認められた。その後、知的障害者のケアにかかる費用をすべて国が負担するなどの福祉政策が導入されると、それと引き換えのかたちで知的障害者への不妊手術が加速していく。

スウェーデンの断種法は1934年に制定された。やはり福祉国家の確立を訴えた社民党政権下での出来事である。精神病患者、知的障害者に対する不妊手術が合法化された。41年の改正で本人の同意が明記されるが、実際には施設・刑務所からの退所や待遇改善の条件として不妊手術が提示されるなど実質強制のケースが多かった。

スウェーデンの不妊手術は戦後の1975年まで続く。この事実は97年に同国のジャーナリストが告発するまで、歴史に埋もれていた。最近、日本における強制不妊の関連報道であらためて知った人も多いだろう。

戦後日本における強制不妊も、左派政党が先導した点など、欧州の福祉国家ときわめて似ている。第2次世界大戦後の1947年、「不良な子孫」の出生を防ぐことなどを目的とする優生保護法案を提出したのは社会党員の衆議院議員3名だった。この法案は審議未了に終わるが、翌48年には別の優生保護法案が社会党を含む超党派の議員によって提出され、成立した。

注目しなければならないのは、福祉国家に向け歩き出した戦後日本の優生保護法は、ナチスドイツを手本にした戦時中の国民優生法よりも、優生政策が強化されたことだ。国民優生法では除外されていたハンセン病が中絶および不妊手術の対象となり、52年改正では「配偶者が精神病もしくは精神薄弱を有している者」などが不妊手術の対象として新たにつけ加えられた。新聞などマスコミも健康優良児表彰などを通じ、政府の優生政策を後押しした。

政府が福祉国家を看板に掲げても、予算が無尽蔵でない以上、大盤振る舞いには限度がある。経済力に乏しく福祉の対象となる「不良な子孫」を減らす方向に傾くのは、自明の理だ。優生政策を福祉国家とは正反対の「市場原理主義」に結びつけて論じる向きもあるが、的外れである。

前出『優生学と人間社会』共著者の一人で、ドイツや北欧の優生政策に詳しい市野川容孝・東大大学院教授は「新聞には、旧法(旧優生保護法)の人権侵害を今につながる問題として報じてほしい」(2018年10月16日付毎日新聞)と求める。

その第一歩は、メディアの世界で今なお神聖視される福祉国家こそ、強制不妊という恐るべき陰謀をたくらみ、実行した犯人だとはっきり認識することである。

<参考文献>
米本昌平・松原洋子・ぬで島次郎・市野川容孝『優生学と人間社会』講談社現代新書
森永佳江「福祉国家における優生政策の意義」久留米大学文学部紀要
窪田順生「朝日も読売も優生思想丸出し記事連発の過去、過ちを認めないマスコミ」ダイヤモンド・オンライン

Business Journal 2019.01.30)

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