2020-07-01

バイキング、商人の顔

欧州で新型コロナウイルスがまん延する中、北欧のスウェーデンは欧州主要国の中で、街を封鎖しない最後の国と言われる。飲食店や小学校は通常通りで、外出制限もない。厳しい外出制限を課す英仏などとは対照的だ。

スウェーデン政府は国民の行動制限より、その自主性を重視する。ステファン・ロベーン首相は、国民自ら在宅勤務をし、高齢者への接触や大人数の集会を避ければ、規制がなくとも感染拡大は防げるとしている。

スウェーデン式対策は全面封鎖より経済への打撃が少ない。東京新聞によると、4月3日、安倍晋三首相はロベーン首相と電話協議。「両国は類似した科学的知見に基づくアプローチをとっている」と認識を共にした。安倍首相は同7日に緊急事態宣言を発令した際、都市封鎖は行わない方針を明言している。


スウェーデンは福祉国家のイメージが強いけれども、自由な経済を重視するもう一つの顔をもつ。貿易に門戸を開き、規制も少ない。自動車のボルボ、通信機器のエリクソン、家具のイケア、衣料のH&M、音楽ストリーミングのスポティファイなど著名なグローバル企業を多く輩出している。

世界をまたにかけてビジネスを展開するスウェーデン人の遺伝子は、彼らの遠い祖先にさかぼるものかもしれない。バイキングである。


わが国でバイキングといえば、8世紀から11世紀にかけて、ロングシップ(長い船)に乗って欧州へ侵攻し、破壊と掠奪を行った北欧の海賊のことである。これは西欧で抱かれているバイキングのイメージやハリウッド映画の影響である。

しかし、バイキングには別の顔がある。歴史学者の熊野聰氏によると、東欧では、傭兵、政治的征服者のイメージとともに、北欧から来た商人のイメージが強い。西方でも通商を行ったことが知られ、東方でも機会さえあれば掠奪をしたとみられるが、イメージは西と東で異なる(『ヴァイキングの歴史』)。

バイキングは故郷の北欧では基本的に農耕民だったが、収穫が気候に左右されて不安定だったため、他の収入を求めて、航海に適した夏、船で海に乗り出したのである。

現代の北欧では、バイキングとは、西に向かった者と東に向かった者では現象的に違いはあっても、どちらも本国で満たすことのできない野心を抱いて船出し、一部は財をなし、栄誉を得て帰国したが、一部は遠い異郷に倒れ、あるいは異国に定着して農民や有力者となった同郷の人々としてとらえられているという。

東方に赴いたバイキングが商人として取り扱った最大の主力商品は、毛皮である。

毛皮は、化石燃料による暖房が可能になる以前は、寒暖の差が激しい草原や砂漠、高緯度に位置する中国・欧州などでの生活には欠かせなかった。防寒用の日用品として利用されるだけでなく、高価な品種は社会の地位や身分の高さを示すシンボルにもなった。

ユーラシア大陸北部の欧州、ロシアからシベリアにつながる森林地帯は、古くから毛皮の産地として有名だった。ユーラシアの中緯度の大乾燥地帯で四大文明が誕生し、帝国が形成されたが、それらの地域では良質の毛皮の自給ができず、森林地帯の毛皮に羨望のまなざしが集まった。

ロシアの森林地帯を代表する毛皮は、柔らかさと光沢をもつクロテンの毛皮だった。クロテンはイタチ科の雑食動物。夜行性のため捕獲が困難なうえ、年に2~4頭の子を産み育てるだけという繁殖率の低さも毛皮の価値を高めた。なかでも漆黒の毛皮は最高級品とされ、東西の支配層の垂涎の的になった。日本でも平安時代に渤海から輸入されたクロテンの毛皮が貴族の間で珍重されている。

しかしラクダを操る乾燥地帯の商人には、鬱蒼たる森林で商売を行うノウハウがなく、専門の毛皮商人が必要になった。そこで登場したのがバイキングである。

バイキングが交易を通じてロシアと深くかかわった歴史は、ロシアという国名に痕跡を残している。「ロシア」が国号として使われたのは16世紀ごろのことだが、それ以前は「ルーシ」という呼称が一般的だった。その「ルーシ」とは、一説によれば、スラブ語で「船のこぎ手」の意味である。つまり川船を使って毛皮を運んだバイキングを指している。

バイキングはロシアの河川の特性を熟知していた。バルト海沿岸からロシアの森林地帯に入り、毛皮、奴隷、蜂蜜などの特産品を入手。カスピ海に向けてゆったりと流れるボルガ川を下り、交易都市イティルでユダヤ商人やイスラム商人に売却した。毛皮はその後、イスラム商人の手で大消費都市バグダッドへと送られた。

イラクのバグダッドは、イスラム帝国アッバース朝がシリアのダマスカスから遷都した新都である。遷都の結果、イスラム商圏が一挙に東方に広がった。この広大な商圏に、北の森林地帯から延びる毛皮ルートが合流したのである。

バイキングの毛皮商人について、当時のあるアラブ人は「完璧な体格」「ナツメヤシのように背が高く、赤みがかった肌」「闘斧、剣、ナイフを肌身はなさず携行」などと記述している。バイキング商人の妻たちは、夫がまとまった銀貨を手に入れるたびに作る、金や銀の首輪をしていたという(宮崎正勝『北からの世界史』)。

バイキングとイスラム圏のつながりは貨幣によっても裏付けられる。現在、バルト海沿岸やボルガ川流域のバイキングの墓から、9~10世紀に鋳造されたイスラム銀貨が大量に発掘されている。また、バルト海に浮かぶスウェーデン最大の島、ゴトランド島からも多くのイスラム銀貨が出土した。同島はバイキングの交易拠点だったと考えられている。北欧のバイキング社会では、中世の西欧よりも早く、貨幣経済が浸透していたのである。

10世紀になると、アッバース朝でのイスラム教シーア派の台頭や中央アジアでのトルコ系遊牧民の勢力拡大により、戦争が繰り返され、ロシアの森林地帯からイスラム圏への交易路が断たれる。それ以降、バイキングは新興地域である欧州へ毛皮交易の相手先を移していく。

バイキングを形容する「右手に剣、左手に秤」という言葉がある。彼らは剣を持つ掠奪者であると同時に、秤を持つ商人でもあった。その末裔であるスウェーデンの人々は、コロナ危機の荒波をしたたかに乗り越える針路を示してくれるかもしれない。

<参考文献>
熊野聰『ヴァイキングの歴史』(創元世界史ライブラリー)創元社
宮崎正勝『北からの世界史: 柔らかい黄金と北極海航路』原書房

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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