2020-06-01

ビザンツ帝国と「中世のドル」

新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、米ドル相場の下落が加速している。3月9日の東京外国為替市場では約3年4か月ぶりに1ドル=101円台まで円高ドル安が進んだ。ドルはユーロなど他の通貨に対しても下落し、全面安の様相を示している。

金融市場では、コロナウイルスの感染拡大によって米国が景気後退局面に突入する可能性が高まり、ドル安を招いたとの見方が多い。けれども、より根の深い問題を無視できない。それはドルの信認を揺るがしかねない、巨額の政府債務である。

米国の連邦政府債務は23兆ドルを突破している。同国の中央銀行に当たる連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は2月、議会上院銀行委員会での証言で、債務残高の増加ペースが経済成長率を上回れば返済が困難になる恐れがあると憂慮を示した。

ところで、米ドルの略号「$」は、ソリドゥス金貨(Solidus)のSに由来するといわれる。ソリドゥス金貨はローマ皇帝のコンスタンティヌス帝によって創設され、その後長い間、信頼の高い通貨として広範な地域で用いられた。このため「中世のドル」とも呼ばれる。流通の中心地となったのはビザンツ帝国(東ローマ帝国)である。

コンスタンティヌス帝は330年、ビザンティウムに遷都し、コンスタンティノープル(現イスタンブール)と改称した。コンスタンティノープルは、アジアと欧州を結ぶ陸の交易路と、国会と地中海を結ぶ海の交易路との交点に位置したために、繁栄の条件を備えていた。


首都をはじめとして、都市は交易活動でにぎわった。ソリドゥス金貨は地中海周辺で使われるだけでなく、イランやエチオピアの商人によって、遠くインドにまで運ばれた。

現代のドルは米政府が発行している点を除けばただの紙切れだが、ソリドゥス金貨の場合、その信用は貨幣自体が含有する黄金にあった。4世紀の創設以来、11世紀頃までほぼ純金という高品位を保った。ソリドゥスとは「完全な純度をもつ」という意味だが、その名にふさわしい。

ソリドゥス金貨が高い品質を保ったのは、ビザンツ帝国の政府が無駄な支出を抑え、健全な財政を維持したことの反映である。

ビザンツ帝国の政府は「小さな政府」だった。たとえば官僚制である。ビザンツの官僚制と言えば、膨大な数の役人がおり、手続きやしきたりにうるさく、非能率で、賄賂やコネがまかりとおり、国の富を食いつぶす魔物のような存在、というイメージが流布されてきた。

しかし「このイメージは、少なくとも8世紀から10世紀の発展期に関する限りあてはまらない。まったく逆である」と、歴史学者の井上浩一氏は指摘する。9~10世紀の中央各官庁の定員を調べると、その数は想像されるよりはるかに少なく、下級の書吏を除けば、わずか600人余りだという。井上氏によれば、今日「小さな政府」とか「安上がりの政府」などと呼ばれるものを、発展期のビザンツ帝国はもっていた(『生き残った帝国ビザンティン』)。

たしかに高級官僚は驚くほどの高給をもらっていた。だが、その人数は限られていたから、官僚に支払われる給料の総額もたかが知れていた。井上氏の別の著書によれば、下級の書吏や使い走りは定められた手数料を受け取るか、高級官僚によって私的に雇われていたので、国家財政の負担とはならなかった(『ビザンツとスラヴ』)。

教育制度にも「小さな政府」の特色が見られる。子供の教育はどちらかといえば国家の管轄外で、民間で行われた。もちろん文部科学省のような官庁はなかった。読み書き算盤の初等教育は、教会や修道院の付属学校か、家庭でおもに母親によってなされた。高等教育は、修辞家やソフィストと呼ばれる知識人が開く私塾で行われた。民間に任せておいても十分に人材が補給されるだけの教育・文化水準の高さが、ビザンツ帝国にはあった。

民間でできることは民間に任せ、小さな政府を保ち、健全な通貨と財政を維持することで、ビザンツ帝国は長期にわたる存続の基礎を築いた。そのビザンツも、賢明な態度をいつまでも続けることはできなかった。「小さな政府」は徐々に「大きな政府」へと変貌してゆく。

きっかけは軍事的な拡大路線である。帝国の対外拡大とともに、兵役を果たす農民は遠い地方へ遠征に出かけることが多くなり、農作業が十分にできなくなった。政府からもらう給料は少なく、馬や武具は自前とされていた。やがて農民は土地を捨て、村を出て流浪せざるをえなくなった。土地を所有している限り、国家の税や軍役を逃れられないからである。

安上がりの農民兵を確保できない政府は、傭兵を雇わざるをえず、その費用が高くつくようになった。資金を調達しようにも、納税者である農民が逃亡という形で抵抗するから、増税は容易でない。そこでとった手段は借り入れである。定められた金額を政府に払い込むと、爵位や名誉官職が与えられ、それに応じた年金を受け取ることができるようにした。今でいえば国債制度に等しい。官位販売は国債発行であり、年金は利息である。

11世紀にはこの官位販売がどんどん拡大する。外国に領地を荒らされた土地所有者やイタリア都市との競争に押され始めた商人などが、より安定した収入を求めて官位を購入した。ビザンツ経済を支えていた人々が、国家に寄生する金利生活者に変わっていった。

当然、年金の支払いがかさむ。少しでもそれを軽減しようとして、政府がとった方法が、ソリドゥス金貨の改悪であった。ほぼ純金を保ってきた「中世のドル」は、11世紀後半には金含有率が半分以下に落ちる。

もちろん金貨の改悪は、官位を買って金利生活に入った者のみならず、給料を実質切り下げられた官僚や兵士からも強い反発を招く。彼らは官位の昇進を要求した。より高い官位にはより多くの年金が付いていたから、高い官位に進むことで、年金の実質額を確保しようというのである。皇帝たちはその要求を認め、それまでにはなかった高い官位が次々と新設される。

けれども、これはツケの先送りにすぎなかった。政府債務は雪だるまのように膨らみ、ついにニケフォロス3世(在位1078~81)の時代には、官位保有者に支払う年金が国家の収入の何倍かになった。皇帝は支払いを中止せざるをえなくなった。国家破産の宣言である。

その後、古い官位を事実上無価値にするという荒療治によって財政は一時持ち直すが、無理な遠征はやまず、国力を使い果たして1453年の滅亡に至る。

ビザンツの小さな政府が肥大したとき、経済の活力は失われ、衰亡が始まった。「中世のドル」の価値下落はそれと表裏一体だった。米ドルの下落は、現代の帝国ともいわれる米国の将来に何を暗示しているだろうか。

<参考文献>
井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社学術文庫
井上浩一・栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』(世界の歴史)中公文庫
Elgin Groseclose, Money and Man. University of Oklahoma Press

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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