2020-04-29

社会主義が破綻する理由~市場価格なしで経営判断はできない~

1917年に社会主義政権を樹立したロシア革命から11月7日で101年を迎えます。この日は旧ソ連時代の最大の祝日「革命記念日」で、赤の広場などで祝典が開かれていましたが、1991年のソ連崩壊後は政府主催の記念行事は開かれなくなりました。現在のロシアではロシア革命について、その後の社会主義政権下での政治弾圧や経済破綻の経験から、批判的な意見が多いといいます。

ところが一方、かつて資本主義陣営としてソ連と対峙(たいじ)した米英では、今になって社会主義が若者を中心に大衆の人気を集めています。

米国では2016年大統領選の民主党予備選で民主社会主義者のバーニー・サンダース上院議員が旋風を巻き起こし、11月の中間選挙に向け今年6月にニューヨークの選挙区で行われた同党予備選では、サンダース氏系で同じく民主社会主義者のアレクサンドリア・オカシオコルテス氏が現職の重鎮議員を破りました。


英国では、ジェレミー・コービン党首の下で社会主義的政策を打ち出す野党・労働党による政権獲得が現実味を帯びています。同党は鉄道を含め一部産業の国有化を目指しているほか、9月に開いた党大会では、大企業の株式の最大10%を基金に割り当て、配当を従業員に支払うよう義務付ける計画を発表しました。

ソ連や東欧の旧社会主義諸国の崩壊と、それによって明らかになった国民のきわめて貧しい生活から、世界は社会主義が劣悪で持続できない経済体制であることを学んだはずです。教訓はどこにいってしまったのでしょうか。

サンダース氏らが標榜する「民主社会主義」とは革命を否定し、議会制民主主義の中で社会主義の理想を実現しようとする考えです。独裁体制だったソ連や東欧の社会主義とは違うと支持者は強調します。けれども社会主義が持続不可能なことは、独裁制であろうと議会制であろうと変わりありません。それには理由があります。

社会主義経済が機能しない理由としてよく指摘されるのは、まじめに働いた人も怠けた人も同じ報酬しか受け取れないのであれば、誰もまじめに働かなくなってしまうというものです。これを経済学で「誘因問題」と呼びます。わかりやすく言えば「やりがい問題」です。

これに対し社会主義者は、その問題は克服できると反論します。人望厚い指導者が生産高、売上高などの目標を設定し、市民のやる気を鼓舞し、一丸となって努力すればよいといいます。要は気の持ちようというわけです。


必要なデータがないため事業の採算を判断できない


そううまく運ぶかどうかは疑問ですが、仮に誘因問題をなんとか克服できたとしましょう。ところが社会主義にはもう一つ、もっと深刻な問題があるのです。それは「経済計算問題」と呼ばれます。

この問題を早くから指摘したのは、オーストリア出身の経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスです。ミーゼスは次のように説きます。

社会主義とは、原材料、土地、道具、機械、建物といった「生産手段」を国有化する体制です。国有化されている以上、市場で売買されませんから、価格が存在しません。するとこれらの生産手段を使った事業の採算を判断できません。

資本主義であれば、ある事業が黒字ならさらに多くの資本や労働を投入し、逆に赤字なら事業の規模を縮小するといった判断ができます。社会主義ではそれができません。社会主義政府の指導者がどれほど頭脳明晰であっても、ある事業を続けたほうがよいか、それとも廃止したほうがよいか、合理的に判断できません。判断に必要なデータがないからです。

合理的な経済計画を立てることができなくても、社会主義がすぐに破綻するわけではありません。しかし経済は非効率にならざるをえず、少なくとも資本主義と比較して、貧困が広がり、経済成長が阻害されるでしょう。

ミーゼスが最初にこう主張したのは1920年。ロシア革命の勃発(ぼっぱつ)からまだ3年しかたっていない時期です。当時、世界の知識人や学生の間では社会主義が人類の希望として、今の社会主義ブーム以上に熱狂的に支持されていました。資本主義を上回る繁栄を社会主義によって実現できるという幻想に、ミーゼスは冷水を浴びせたのです。

ミーゼスの主張に社会主義側の経済学者たちは猛然と反発しました。やりがい問題は気の持ちようで克服できても、経済計算問題は社会主義そのものを論理的に不可能にしてしまうのですから、猛反発するのもうなずけます。

有力な反論とみられたのは、ポーランド人経済学者、オスカー・ランゲらによるものです。ランゲは、物の生産量と生産方法を決定するには、市場価格を使う代わりに、政府が中立な「せり人」となり、需要と供給がつりあう均衡価格を発見すればよいと主張しました(尾近裕幸・橋本努編著『オーストリア学派の経済学』)。

具体的には、まず企業が生産物の需要量を把握し供給量を決定して政府に報告します。それを受けて政府は「需要量が供給量を上回ったら価格を引き上げる」「下回ったら価格を引き下げる」という試行錯誤を繰り返し、すべての生産物の需要量と供給量がつりあうまで価格を調節するというものです。

しかしこの方法は、ミーゼスの批判に答えていません。企業が生産物の供給量を決めるには、費用を最小化する原材料の組み合わせを選択しなければなりませんが、原材料の市場価格が存在しなければ、その判断は不可能です。政府も、企業の決定が正しいかどうか判断できません。結局、生産手段に対する私有財産権が否定され、売買できない社会主義で正しい経営判断はできないのです。

ミーゼスやその弟子のハイエクは社会主義の経済学者と論争を繰り広げましたが、その後、ソ連の経済5カ年計画が当初はうまくいっているように見えたことから、ミーゼスらの社会主義批判は誤りとの見方が広がります。しかし実際にはソ連国民は貧困にあえいでおり、ミーゼスの予言から71年後の1991年、ソ連はついに崩壊します。

米国の著名な経済思想家、ロバート・ハイルブローナーは「ミーゼスが正しかったことが判明した」と述べています。

ソ連の経験から学んだはずの経験を忘れたかのように、世界は再び社会主義のバラ色の幻想に惑わされようとしています。天国のミーゼスはどんな思いでこの光景を見つめているでしょうか。
日経BizGate 2018/11/6)

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