2020-04-25

政府は無駄を減らしたがるか?~「証拠に基づく政策」の限界~

データ分析を活用した「証拠に基づく政策立案」が注目されています。Evidence Based Policy Making(EBPM)の訳で、政策の効果を定量的に把握して合理的な意思決定を行おうとする試みです。欧米では近年この考えが浸透し、日本でも導入する動きがあります。

もし証拠に基づく政策立案で行政の効率が高まり、税金の無駄遣いを減らすことに役立つのであれば、結構なことです。しかし実際の効果には懐疑的にならざるをえません。この手法には、大きく2つの限界があるからです。

統計学を駆使した経済政策の分析には、たしかに興味深いものがあります。2008年、リーマン・ショックに襲われた米国では景気刺激策として、低燃費車を高燃費車に買い替えれば約40万円の補助金を与える「ぽんこつ車買い替え支援プログラム」を行いました。この政策について、ある経済学者は車販売数の推移を分析し「一時的に駆け込み需要を生んだだけで、結果的には需要の総計を増加させはしなかった」と結論づけたそうです。


経済学者の伊藤公一朗氏は著書『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』で、日本のエコポイント政策についても同様のデータを収集し分析を行うことは可能なはずだと指摘します。その結果が行政の効率アップにつながれば、喜ばしいことです。


経済的な事象はデータから正しい結論を導けるとは限らない


しかし、そう簡単にはいきそうにありません。1つには、経済的な事象は、自然界の事象と異なり、データから正しい結論を導けるとは限らないからです。

物を対象とする自然科学は、閉じられた実験室でさまざまに条件を変えながら実験を繰り返し、事象を観察することができます。しかし経済学の対象は自分の意思で行動する生身の人間であり、倫理的・金銭的にも自然科学のような実験はほぼ不可能です。

経済学でも実験の手法が発達してきたとはいわれます。教育経済学を専門とする中室牧子氏は著書『「学力」の経済学』で、人をランダムに2つのグループに分け、一方には効果を確かめたい介入を行い、もう一方には介入をせず、比較対照する「ランダム化比較試験」を紹介します。

けれどもこの手法にも弱点があります。人が実験に反応して行動してしまうかもしれないからです。中室氏によれば、ケニアで学校給食の提供が子供の出席や学力に与える因果関係を明らかにするため、一方のグループでは給食を無償にし、他方ではしなかったところ、給食を目当てに子供を無償の学校に転入させようとする親が出てきました。

正しく比較するには、2つのグループの間に親の所得などの諸条件で偏りがあってはいけません。しかし、もし転入によって無償グループに親の所得の少ない子供が過度に増えれば、出席や学力の違いが給食の無償提供によるものか、親の所得によるものかがわからなくなってしまいます。

小規模のランダム化比較試験で効果が確認された政策介入を、もっと多くの人々に拡張すると効果が薄れてしまう「一般均衡効果」が生じる可能性もあります。たとえば、ある地域で行われたランダム化比較試験によって、大学教育の収益率が高いとわかれば、政府は大学教育を受ける人を増やそうとするでしょう。しかし、これまでは大卒者が少なかったから希少性があったのに、労働市場で大卒者の供給が増加すると、希少性が下がり、大卒者の賃金は低下し、当初想定していた収益率を下回ることが予想されます。

このように経済はデータから正しい結論を導けるとは限らないうえ、結論が正しかったとしても、それに基づく政策が期待した効果を上げるとはいえないのです。

政治家や官僚は効果がない政策もやめない場合がある


証拠に基づく政策立案のもう1つの限界は、政府を動かす政治家や官僚は欲望を持つ生身の人間であり、自分の利益にならないことはしないという事実です。

データ分析の結果、ある政策に効果がないと言われても、政治家や官僚は自分の利益になる政策であれば、あれこれ言い訳をつくってやめないでしょう。「弱者保護のため」「安全保障のため」「文化を守るため」など理由はいくらでもできます。どうしてもやめなければならないなら、別の政策に乗り換えるだけです。

人間は自己の利益を最大化することを目的として合理的に行動するという考えを、経済だけではなく政治にも適用する「公共選択論」という研究領域があります。代表的な学者でノーベル経済学賞を受賞した米国のジェームズ・ブキャナンは「政治家や官僚は一般人と変わらない。一般人と同じように、報酬を最大化しようとする」と述べます。証拠に基づく政策立案を手放しで推奨する専門家には、こうした現実的な人間観が欠けています。

証拠に基づく政策立案にこれらの限界がある以上、それほど強い期待をかけることはできません。事実、すでに大きな失敗例もあります。米国の「落ちこぼれ防止法」です。

2001年に成立した同法は、証拠に基づく政策立案の代表例といわれます。法律の中で「科学的な根拠に基づく」というフレーズが実に111回も用いられているといいます。

同法は学力を測るため、毎年すべての生徒に対し、読解力と数学のテストを義務づけます。前年と比較して進展の度合いを細かくチェックし、基準を満たさない場合、教員の再訓練などを行い、それでも成果が上がらなければ、学校閉鎖という厳しい措置をとります。競争強化により、生徒の学力は底上げされるはずでした。

ところが期待に反して、学力に大きな改善が見られない一方、教育省全体の予算は2015年でおよそ874億ドルと2000年の2倍強に膨らんでしまいます。とても政策の効率向上に役立ったとはいえません。

民間企業の場合、お金の無駄遣いが数字で示されれば、無駄減らしの意欲につながります。無駄遣いは経営効率を悪化させ、市場競争で不利になるからです。しかし政府の場合、効果が薄い政策の証拠を突き付けられても、自発的に無駄をなくす動機になりません。市場競争で収入が減る心配のない政府の関係者にとって、無駄な予算であっても温存するのが「合理的」だからです。

税金の無駄遣いを本当になくしたいのであれば、こうした政府の本質を前提に考える必要があるでしょう。
日経BizGate 2018/7/10)

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