2020-04-23

行動経済学の落とし穴~人間は本当に「不合理」か~

「行動経済学」が注目されています。人間は常に合理的に行動するものだという前提で築かれてきた従来の経済学に異を唱え、心理学に基づき、人間の不合理な経済行動を解明するという学問です。

最近人気の本、『ヘンテコノミクス』(原作・佐藤雅彦氏/菅俊一氏、画・高橋秀明氏)は行動経済学をマンガで解説します。全23話のエピソードで紹介される行動経済学のさまざまな知見は読んで楽しく、興味深いものがあります。


けれども一方で、各エピソードで人間の「不合理」さが明らかにされ、「人間とは、かくもヘンテコな生きものなり」という決めぜりふが繰り返されるうち、「本当にそうかな?」と疑問もわいてきます。


たとえば、第3話で解説される「フレーミング効果」。同じ情報でも言い方を変えると異なる印象を与える現象のことです。マンガでは、急病で手術することになった父親に対し、息子が医師から伝えられた「死亡率20%」という情報を「成功率80%」と言い換えることで、元気づけるエピソードが描かれます。

「成功率80%」と「死亡率20%」は論理的には同じ情報なのに、言い方を変えるだけで受け止め方が変化するとは、人間とはなんと「ヘンテコ」な生き物なのでしょうと解説で強調します。しかし、それは本当に「ヘンテコ」でしょうか。

マンガで手術の成功率(死亡率)を患者に伝えたのは息子ですが、現実には医師が直接伝える場合が多いでしょう。その場合、医師が「成功率」「死亡率」のどちらの表現を選択しようと、そのメッセージには何の違いもないのでしょうか。論理的には同じ意味だから表現の違いなど無視してよいのでしょうか。


そうではないでしょう。医師は「成功率」というポジティブな表現を使うことで、手術が最良の選択だと患者に知らせているのかもしれません。実際、心理学者ゲルト・ギーゲレンツァー氏の著書『なぜ直感のほうが上手くいくのか?』によれば、患者が手術を受け入れることが多いのは、医師がポジティブな表現を選択した場合だといいます。患者は医師の表現から、言外の意味を直感的に読み取るのです。

人間が会話から言外の意味を読み取り、役立てているとすれば、それは決して不合理でも「ヘンテコ」でもありません。人間の優れた性質をネガティブな言葉で表現するのは違和感を覚えます。著者自身におとしめる意図はなくても、悪い印象が独り歩きしかねません。

『ヘンテコノミクス』からもう1つ、例を引きましょう。第18話で紹介される「損失回避の法則」。おじさんから10万円のお年玉をもらった後、高級なグラスを割ってしまった女の子が、弁償の額をカードを引いて決めることになります。その際、おじさんから「5万円」1枚しかない左手のカードを引くのか、「10万円」「0円」の2枚がある右手のカードから1枚引くのかと聞かれ、「もし左手を選んだら、ぜったい5万円払わなくちゃいけない」「右手の方ならうまくいけば、払わなくて済む」と考え、2枚のカードから1枚を引いたところ、10万円のカードだったのでしょんぼりするという話です。人間は目の前の損をとにかく避けたいという心理が強いため、確実に5万円を払う選択を避けてしまう様子をまとめています。

似た心理として、目先の利益を優先してしまう「現在性バイアス」や、わずかなリスクでも回避しようとする「確実性バイアス」があります。けれども、これらのバイアス(心理的傾向)をすべて不合理と決めつけるのは乱暴です。人間は長い進化の過程を通じ外部環境への適応を繰り返し、心と体には生存に有利な機能が遺伝的に埋め込まれているはずだからです。

経済学者の依田高典氏は、現在性バイアスや確実性バイアスについて「やり直しの利かない不可逆な時間の中で、繰り返しを前提とする確率論を適用できない『確実な今』を大事にしなければ、取り返しがつかなくなるという進化論上、最適な戦略だった」と説明します(日本経済新聞社編『やさしい行動経済学』)。

そうだとすれば、目先の利益・損失に敏感な人間の性質は、進化論的にみればむしろ合理的であり、不合理と呼ぶのは適切ではないでしょう。

進化の過程で発達した性質は、産業革命以降に急激に変化した日常生活には役に立たないものがあるかもしれません。わずかなリスクを避けたせいでチャンスを逃す場合もあるかもしれません。しかし一方で行動が慎重になり、その結果、不幸にならずに済む場合もあるはずです。

私たちは行動経済学から、人間の「心のクセ」を学ぶことができます。その意味では有益な学問です。しかし人間の行動に「合理的」「不合理」といった、あいまいで誤解されやすいレッテルを貼ることには、慎重でなければならないでしょう。

不合理というレッテルは、合理的な行動に導いてやろうという思い上がった考えにつながりかねません。

昨年、ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の権威、リチャード・セイラー氏は「ナッジ」という手法を提唱します。強制ではなく、それとなく人々を誘導して「望ましい行動」を取らせるやり方です。もし本当に強制でないのなら、1つの工夫として評価してよいでしょう。

けれども実際にはどうでしょうか。セイラー氏はキャス・サンスティーン氏との共著『実践 行動経済学』で、手取り給与が減るのを嫌う人間の損失回避志向などを考慮に入れ、貯蓄を増やす工夫を二つ提案します。能動的に拒否しない限り年金に加入させる自動加入方式と、拠出率を自動的に引き上げるプログラムです。

任意の民間年金ならそれほど問題はないでしょう。ところがセイラー氏は、同じ仕組みを政府が運営する公的年金に組み込むよう推奨します。労働者は賃上げがあるごとに拠出率が引き上げられる年金プランに自動的に加入することになります。

一見、労働者のためになりそうです。しかし貯蓄を増やすことが一般に望ましいとしても、個人によって事情は異なります。拠出率の引き上げをストップできる仕組みにはなっていても、お役所の面倒な手続きを考えれば、事実上なかなか変更できず、労働者は柔軟な生活設計の自由を失いかねません。

企業も年金保険料の一部を負担しなければなりませんから、負担増で経営を圧迫される恐れがあります。そうなれば労働者の生活基盤そのものが不安定になります。「不合理」な労働者を助けるつもりの政策が、かえって不幸にしてしまうのです。

人間の心理は一筋縄でいかないことは事実ですが、それを不合理だと決めつけると、独善的な政策につながりかねません。その落とし穴に気をつけながら、行動経済学の知見を楽しみたいものです。
日経BizGate 2018/5/17)

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