2020-03-01

宋と都市の時代

中国の南東部に位置する、江西省・景徳鎮。千年以上の歴史を持つ、陶磁器の都である。この街が米中摩擦で大きな打撃を受けている。2019年6月25日に放送されたテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」によると、ある陶磁器メーカーでは、米国が前月、中国から輸入する陶磁製品の一部に対する関税を10%から25%に引き上げたことで、売り上げが約3割落ち込んだという。

景徳鎮は宋の時代に新しく興った都市である。以前は昌南鎮と呼ばれていたが、景徳年間(1004~1007年)に年号にちなんで景徳鎮と改称された。

ところで、景徳鎮の「鎮」は何に由来するか、ご存じだろうか。それは宋代の新興都市を指す「鎮市」である。この言葉は、宋代が中国史上、画期的な「都市の時代」だったことの名残である。大小多数の都市が、宋に空前の経済繁栄をもたらした。

中国の古代都市は、その多くが政治的理由から建設された。政府は都市の管理機能を維持するため、経済活動に対し、しばしば厳しい統制を行った。後述するように、唐の都・長安で、商人が決められた市場でのみ交易を許されたり、夜間の外出が禁止されたりしたことはその例だ。

これに対し、唐の滅亡後、五代十国の時代を経て全国を統一した宋(北宋)は、今の河南省に位置する開封に都を置いた。開封は周囲が平坦で攻められやすく守りにくい地勢のため、宋代以前には、ここに統一王朝の都が置かれたことはなかった。

しかし唐代中期以降、経済の中心が南の江南一帯に移ると、開封は大運河に面し、水上輸送の中枢であったため、経済的地位が大きく向上する。北宋を建てた太祖・趙匡胤は、地勢の険しい長安を放棄し、開封を国の首都とすることで、中央政府に十分な財政を確保しようとした。

著者 : 杭侃
創元社
発売日 : 2006-03-01

開封は、宮城と皇城(官庁街)からなる大内、その外側の内城(旧城)、一周26㎞あまりの外城(新城)という三重の城壁で囲まれた城郭都市に成長する。人口は最大で150万人にも達した。各城壁の周囲には運河兼用の堀が巡らされ、これらは城内を横断する汴河(べんが)や、城内に引き込まれたいくつかの小河と機能的に連結されていた。こうして首都開封は、大量の物資を満載した大小の船が運河を行き交う、商業・消費の大都市として繁栄する。


かつて唐の都・長安では、繁華街は東市・西市という二つの坊のみであり、それも日没を迎えて坊門が閉じられると、店じまいを急がねばならなかった。これに対し開封では、大内のすぐ外側にある大路・小路が各種の商店街となっており、飲食店・酒屋・妓楼・旅館などが軒を連ねる繁華街は、内城の至るところにあった。深夜営業の「夜市」までもが、各所で堂々と開店していた。高級住宅街もあり、広壮かつ高層な邸宅が並んでいた。

大内の南門(宣徳門)から内城(朱雀門)に至る道には皇帝の専用道路が敷かれていたが、この道にしても庶民はその両側を使うことができ、露店が立ち並んでいた。この道をさらに南に進み、汴河にかかる州橋を過ぎて朱雀門を通り抜けると、外城の竜津橋に至る。この南北の通りには、肉・魚・豆腐・野菜の揚げ物や煮物、砂糖菓子や氷水などを売っている飲食店が列をなし、真夜中まで雑踏が途切れなかったという。

1127年(靖康2年)に金の侵攻で北宋が滅んで南宋の時代となり、都は開封から臨安(浙江省杭州)に移る。南宋の臨安は宮殿こそ簡素だったが、都市のにぎわいは北宋の開封にひけをとらなかった。メインストリートは御街と呼ばれ、その両側は商店が集中しており、人々の往来は盛んで絶えることがなかった。娯楽事業も発展し、城内の瓦舎(演芸場)の数は23にも達した。場外には今も景勝地として知られる西湖があり、市民を楽しませた。

のちにイタリアの旅行家マルコ・ポーロは臨安に滞在し、「世界第一の豪華・富裕な都市」と賞賛している。

宋代に繁栄した商業は、多くの新興都市を生み出した。前述した鎮市である。鎮市は政治の中枢としての役割はなく、まったくの経済的必要性から発展した。鎮市の出現は、宋代の最も際立つ経済的特徴といわれる。

鎮市の多くは、都市の周辺や交通の要所、手工業原料の産地などで発生した市(草市)から発展した。草市の中には、交易が盛んになるにつれ、茶館や料理屋などの常設の小型店舗が登場する。人もそこに定住するようになる。こうして人口が密集し、商工業の繁栄する鎮市となっていった。北宋の神宗の時代(在位1067〜1085年)には、すでに全国の鎮市の数が1800余りにも達していた。

都市の拡大と鎮市の勃興によって、都市の人口は大幅に増加した。唐代では10万戸以上の都市は10余りにすぎなかったが、宋代には40余りに増えた。北宋では12%以上の世帯(約200万戸)が都市に住み、膨大な市民階層を形成する。

都市を中心とし、村の周辺にまで及ぶ鎮市と草市は、多層的かつ網の目状の地域市場を形成し、それによって商品の流通を全国的に推し広めた。

陶磁器は茶、絹などとともに、宋代に集中的に生産された商品である。漆器に取って代わり、中国人にとって主要な生活用品となった。芸術性の高い陶磁器は船に載って海外で売られ、多額の利益をもたらした。全国に有名な産地が生まれたが、景徳鎮はその一つだ。千年たった今も、陶磁器の名産地として中国経済を支える。

現在中国でも、日本など他の主要国でも、都市と地方の経済格差が社会問題として議論される。よく主張されるのは、政府は都市に課税し、経済発展の立ち遅れた地方に補助金を出すべきだという意見で、実際に政策として実行もされている。けれども、経済発展の牽引役である都市の活力を過大な税で奪ってしまっては、元も子もない。

米国のジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブズは著書『発展する地域 衰退する地域』で、経済発展の原動力は都市におけるイノベーション(新機軸)だと述べる。そのうえで、補助金は貧しい人が消費財を買えるようになるなど一見すばらしく思えるが、イノベーションを起こさないから、自立した経済発展にはつながらないと指摘。「都市から搾り取られる補助金は根本的には発展に逆行する取引」と警鐘を鳴らす。

商業が空前の発達を遂げ、中国近代経済の基礎を築いた宋の歴史は、経済発展に果たす都市の重要性を教えてくれる。

<参考文献>
杭侃、大森信徳訳『宋 成熟する文明』(図説中国文明史7)創元社
福井憲彦他『世界史B』東京書籍
伊原弘、梅村坦『宋と中央ユーラシア』(世界の歴史7)中公文庫
ジェイン・ジェイコブズ、中村達也訳『発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学』ちくま学芸文庫

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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