2019-10-01

イスラム資本主義の時代

イスラエルとの紛争がイメージされがちなパレスチナ自治区で、IT(情報技術)分野を中心とした起業の波が起きている。朝日新聞の記事によると、ガザ地区とヨルダン川西岸地区で設立されたITなど技術系の新興企業は、2009年の約20社から2015年には約140社に増加したという。

起業を生み出す市場経済は、中東を含む発展途上国で多く信仰されるイスラム教とは相容れないという印象が一般的だ。しかしパレスチナの例に見るように、イスラムが市場経済になじまないというイメージは必ずしも正しくない。それはイスラムの歴史からも明らかである。

7世紀のアラビア半島はオリエント世界や地中海世界からみると辺境で、メソポタミアやペルシャ、ローマなどの先行する文明からの影響は限られていた。半島にはアラブ人の諸部族が居住し、部族どうしで勢力争いをしていた。彼らの多くは多神教で、偶像崇拝を行なっていた。商業都市メッカは商人のクライシュ族が支配し、インド洋と地中海を結ぶ陸上交易で生計を立てていた。

クライシュ族の一人として生まれたムハンマドも商業に従事していたが、40歳のとき(610年ごろ)啓示を受け預言者となったことを自覚し、唯一神アラーへの帰依を説く。彼が啓示として受け取った言葉は、のちに「コーラン」としてイスラムの聖典となった。教義の基本は、唯一神アラーとやがて来る世界の終末を信じるものである。


イスラムは経済活動によって富を生み出すことを奨励した。コーランでは商業による利益を「アラーのお恵み」(第62章10節)と呼んでいる。自身が商人であったムハンマドは「金を儲ける者はアラーを喜ばす」と語ったという記録がある。

ムハンマドは物価統制に反対したことでも知られる。ある逸話によれば、敬虔な信者から市場の物価高を規制するよう求められた際、「アラーのみが物の価を支配したもう」と述べ、反対したという。後世の研究者の中には、ここに近代経済学の父とされるアダム・スミスの「見えざる手」に似た発想をみる向きもある。少なくともムハンマドが市場経済を否定する社会主義者でなかったことは確かである。


8〜13世紀に訪れたイスラム帝国の黄金時代にも、市場経済に好意的な姿勢は変わらなかった。著名な学者イブン・ハルドゥーンは、人々の協業が社会の富を生み出すと述べた。豊かな国は労働力が豊富だから豊かになるのであり、古代の諸民族が残した金を占有しているからだとか、金鉱山が他の地方より多いからだとかではないという。これは現代の経済学に照らしても正しい指摘だ。

イブン・ハルドゥーンによれば、人民に対する課税率が低ければ、人々に満足感をもたらし、労働意欲をそそって労働が活発になる。すると個人の所得も増え、課税額も増える。結局その総和である国家の税収入も増加する。これは、税率が高い水準にある場合、税率を引き下げることでかえって税収が増えるという「ラッファー曲線」の考えを先取りしたものだ。

彼は一方で、国家による過度の財産権侵害、強制労働、強制売買、専売制などはいずれも人民の生計手段を奪うものとして激しく非難している。

コーランでは、市場経済の基礎となる私有財産の擁護もうたっている。「裁判官に賄賂をつかって、他人の財産の一部を不法に食ってはならぬ」(第2章188節)、「自分の家以外の家にはいる時は、必ず許しを求め、その家の者に挨拶してからにしなくてはいけない」(第24章27節)などである。

ムハンマドと弟子たちは622年、迫害を逃れてメディナに移住し、その地で住民と協力してイスラムに基づく新しい社会と国家をつくった。630年には無血開城でメッカに入り、やがてアラビア半島はイスラム勢力に統一された。

ムハンマドの死後、イスラム教徒のアラブ人はカリフと呼ばれる指導者の下、さらなる領域拡大に乗り出す。東ローマ帝国からシリア、エジプトを奪い、ササン朝ペルシャを651年に滅ぼした。さらに西方へと拡大し、ウマイヤ朝の時代にはモロッコへと進出し、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸し、この地を征服する。

軍事的な征服はイスラム教の拡大に重要な役割を果たしたものの、いくつかの地域では商人や伝道師によって平和裡に広められた。東アフリカ、インド、中国、インドネシアなどである。

イスラム教を受容した各地域は、一体化したイスラム世界の中に自然に組み込まれていった。そこではシャリア(イスラム法)の下で都市が繁栄し、その都市を結ぶ交通・運搬網が整備された。流通の拡大は、バグダッドやカイロなどを中心として、スペインから東南アジアに至る各都市を結ぶイスラム・ネットワークを生んだ。

750年にウマイヤ朝を倒したアッバース朝は、中央アジア西部から北アフリカに至る支配を安定させることで、唐やビザンツ帝国などへ向かう東西のルートをバグダッドで結びつけ、中国と欧州の交易品だけでなく、最先端の技術、文化や新たな農産物の移動を促した。北からはシベリア、スカンジナビアの毛皮やスラブ系の奴隷が、西アフリカからは大量の金が交易された。大規模な隊商(キャラバン)貿易が行われ、往来しやすいように隊商宿が整備された。

イスラム教徒や「啓典の民」と呼ばれるユダヤ教徒、キリスト教徒の商人たちは、イスラムの法(シャリア)に従って安全かつ自由に商取引を行なった。貨幣経済の発展、金融業者への預金、手形・小切手の使用、共同出資に基づく協業組織などもイスラム世界で生まれた。

これらの金融制度はやがて西洋に取り入れられていく。アラビア語で小切手を意味する「サック」は、英語で同じ意味を持つ「チェック」の語源となった。金融以外にもアルジェブラ(代数学)、アルケミー(錬金術)、アルカリ、アルマナック(暦)などアラビア語由来の英語は数多い。もちろんアラビア数字もある。

フランスの著名な歴史家、フェルナン・ブローデルは「西洋資本主義で他地域に起源を持つものは、間違いなくイスラムからやって来たものだ」と述べている。

惜しいことに、このように中世に栄えたイスラム資本主義はその後、戦争、侵略、貿易ルートの変化などにより没落し、イスラム文明全体の凋落をもたらした。現代のイスラム諸国が経済の停滞から立ち直るカギは、イスラムが本来持つ市場経済の創造力を取り戻すことにありそうだ。

<参考文献>
井筒俊彦訳『コーラン』(全3冊)岩波文庫
森本公誠『イブン=ハルドゥーン』講談社学術文庫
北村厚『教養のグローバル・ヒストリー 大人のための世界史入門』ミネルヴァ書房
Mustafa Akyol, Islam without Extremes: A Muslim Case for Liberty, W. W. Norton & Company
Nouh El Harmouzi & Linda Whetstone (eds.), Islamic Foundations of a Free Society, London Publishing Partnership

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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