2019-05-01

仏像はグローバル文化

フランスで開催中の「ジャポニスム2018」の一環として、2019年2月23日から3月18日まで、パリのギメ東洋美術館で興福寺(奈良市)の仏像展が開催された。展示されたのは同寺の木造金剛力士立像(国宝)と木造地蔵菩薩立像(重要文化財)である。

「ジャポニスム2018」は日仏友好160年を記念し、フランスで日本文化を紹介する複合型イベント。公式サイトには「世界はふたたび、日本文化に驚く」というキャッチコピーとともに、「世界にまだ知られていない日本文化の魅力」を紹介するという狙いが掲げられている。

仏像が日本を代表する文化の一つであることは間違いない。しかし同時に、古代以降のグローバルな交流から生まれ育った文化であることも、忘れないようにしたい。

仏教は紀元前5世紀頃、ガウタマ・シッダールタ(釈尊、のちにブッダ)によって開かれた。現在のインドとネパールの国境周辺で王国を形成していたシャーキャ(釈迦)族の王子として生まれた釈尊は、極端な苦行を否定して中道を説き、王侯や商人を信者にもつ。仏教は交易の拡大とともに大商人の保護を受け、信者を急速に増やしていった。


前1世紀頃、二つの大きな変化が訪れる。一つは、それまでの伝統的仏教に対する革新運動として、大乗仏教が起こったことである。

伝統的な仏教の特徴は、一言でいえば出家が鉄則という点にある。釈尊がそうであったように、家も富も捨て、妻子とも縁を切って修行に励んでこそ、この世の苦悩から解放され、解脱の境地に至ることができると説く。

これに対し、出家せずに在俗のまま仏教に帰依した在家の信者たちが、仏教は出家した僧だけではなく、民衆を救済するものであるべきだと主張するようになる。彼らは伝統的な仏教(上座仏教)を小乗(一部の人しか救わない小さな乗り物)と蔑称で呼び、自分たちの立場を大乗(すべての人を救う大きな乗り物)と称した。

大乗仏教は交易路を通じて北インドから西域を経て後漢時代に中国に伝播し、いわゆる北伝仏教として、朝鮮半島を経て6世紀に日本に伝えられることになる。

仏教に起こったもう一つの変化は、初めて仏像がつくられるようになったことである。


仏教の在家信者はブッダの死の直後から遺骨を崇拝してきたが、ブッダを像にして崇めることはなかった。ブッダは法輪、菩提樹、仏の足跡などとして象徴的に描かれていたにすぎない。

これに対し、西北インドとガンジス川流域で異なる様式の仏像がつくられるようになる。ガンダーラ美術と呼ばれる西北インドの仏教美術は、大乗仏教とともに東西交易路に乗って中央アジアから東アジアに広がっていく。

日本にも大きな影響を及ぼした大乗仏教と仏像は、それぞれ当時のグローバルな交流を背景に、異文化の影響を受けている。

仏像に影響を及ぼしたのは、よく知られるとおり、ギリシャ文化である。西北インドのガンダーラ地方でつくられた仏像は、彫りの深い顔、流れるような頭髪、衣のひだの線など、ギリシャ的な技法の影響が強く認められる。東西文化の融合によって生まれたこの仏教美術はガンダーラ美術と呼ばれる。ほぼ同時代にガンジス川上流域のマトゥラーで出現した仏像彫刻は、純インド風である。

一方、大乗仏教に影響を与えたとされるのは、イラン(ペルシャ)の宗教である。

大乗仏教は特徴のひとつとして、菩薩(ぼさつ)を信仰の対象とする。菩薩とは「ボーディ(悟り)を求めて努力するサットヴァ(存在)」という意味をもつサンスクリット語の音を漢字に写したものだ。伝統的な仏教においても、この言葉は、悟りを開く前のブッダの尊称として使われていた。

大乗仏教ではこの菩薩観をさらに展開させ、すでに触れたように、出家者はもとより在家の者でも悟りを得ようと決意し努力するならば、その者は菩薩であると主張した。その努力とは自分を犠牲にして他人の利益に努めることであるとし、それが結局は自分自身の利益になると説いた。この利他主義は古代イランの宗教、ゾロアスター教のサオシュヤント(利世者)の影響であるとする説がある。

しかし普通の人間には、自己を犠牲とする菩薩行の実践はきわめて困難だし、悟りよりも現世・来世の利益を得るほうが願わしい。そこで仏となる直前の段階にまで達した偉大な菩薩にすがり、救済を求めるようになる。代表的な菩薩は弥勒(みろく)、観音、地蔵などである。

弥勒とはサンスクリット語のマイトレーヤ(慈愛)を漢字に写した呼称である。弥勒菩薩は兜率天という天上界で現在説法しているが、ブッダが滅して56億7000万年後にこの世に降り、弥勒仏としてブッダの救済から漏れた人々を救うとされる。この弥勒信仰は、イランの太陽神であるミトラの信仰に影響を受けたといわれる。

観音菩薩は、仏教の教学上の建前では男性だが、実際には女神的存在として信仰され、水瓶を手にするなど水と密接な関係をもつことなどから、ゾロアスター教の女神アナーヒター(水の神)に関係するとみる説がある。

地蔵菩薩は、その死者供養との結びつきから、やはりゾロアスター教における死者の守護天使スラオシャとの関係が指摘される。

大乗仏教に対するイランの宗教の影響は、菩薩にとどまらない。大乗仏教では菩薩を超えた存在である仏(ブッダ)をも数多く創出した。この地上世界(娑婆)では釈迦仏がすでに世を去り、次のブッダである弥勒の出現までには気の遠くなるような年月を待たなければならないが、宇宙には他にも無数の仏国土があり、そこに行けば現在でも別のブッダの説法を聞くことができるという。

そうした無数の国土に住む仏の一人が阿弥陀である。サンスクリット名はアミターバ(無量光)ないしアミターユス(無量寿)とされる。阿弥陀信仰では阿弥陀仏の光明が諸仏を圧倒することを強調し、光明を信仰するゾロアスター教の影響が同じく指摘されている。

1〜3世紀に中央アジアから西北インドを支配したのは、イラン系のクシャーナ朝だった。その特徴は、多様な宗教を寛大な姿勢で認めたことである。

クシャーナ朝はローマとの貿易で栄え、ローマから得た金貨を鋳直し、発行した。その裏面に飾られた神々は、寛容な宗教政策をうかがわせる。領内の諸民族によって信仰されていたギリシャ・ローマ系、イラン系、インド系のさまざまな神々が飾られているのである。なかでも太陽神ミトラなどイラン系の神々の割合が高い。

歴史学者の山崎元一氏は「クシャーナ朝の各王は、諸民族・諸文化の混在する大領土の支配者にふさわしく文化上の差別政策をとることがなかったため、この王朝のもとで東西文化の融合が進展した」と指摘する。前述のように、ガンダーラ美術や大乗仏教も、この時代にこの地で発達した。

貿易のもたらす異文化を排除しない寛容さが大乗仏教を生み、多彩な仏や菩薩の姿をかたどる仏像を育てた。それが日本に渡り、豊かな文化を築いた。将来の日本文化を貧しいものにしないためには、古代インドの寛容さを忘れてはならないだろう。

<参考文献>
吉村貴『仏教の源流』青春出版社
山崎元一『古代インドの文明と社会』(世界の歴史3)中公文庫
井本英一編『東西交渉とイラン文化』勉誠出版

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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