2018-10-08

80年前の内部留保課税

希望の党が衆院選公約で検討を掲げた内部留保課税と同様の税は、およそ80年前、米国で導入されたことがあります。

1936年にこの税を導入したのは、大恐慌を受けてニューディール政策を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領です。留保利潤税(undistributed profits tax)と呼ばれました。

同年初めに最高裁が農産物加工税に違憲判決を出し、一方で退役軍人へのボーナス即時払い法が議会で成立したことで、6億2000万ドルもの歳入欠陥が発生すると見込まれていました。留保利潤税はその穴埋め財源として新設されます。

経営が順調な時期に蓄えた内部留保は、経済環境が厳しくなった際に損失を相殺し、業績のぶれを小さくする役割を果たします。内部留保が手薄だと業績が不安定になるし、従業員の解雇にもつながります。

しかしルーズベルト大統領は、大恐慌から立ち直れるかまだ微妙な時期に、課税でその備えを奪おうというのです。産業界は猛反発しますが、最高税率の引き下げなど一部修正されただけで導入されます。税率は7〜27%と定められました。

ところが運悪く、米国は導入の翌年、1937年恐慌と呼ばれる厳しい不況に襲われます。企業は留保利潤税を嫌って配当を大幅に増やしており、その分、資金に余裕がなくなっていました。心配されていたように解雇が増え、1937年5月に12.3%だった失業率は、1年後の1938年5月に20.1%まで急上昇します。

同じく懸念されたとおり、企業は内部留保が減った結果、設備投資を縮小します。エコノミストのロバート・ヒッグス氏によれば、大恐慌で急減した民間設備投資は1930年代後半に入り回復の兆しを見せていましたが、1938年に再び8億ドルの純減(減価償却分を差し引いたネットベース)に落ち込みます。

不況を悪化させた原因がすべて留保利潤税にあるわけではありませんが、大きな影響を及ぼしました。

やがて留保利潤税は、企業経営者らを証人として招いた議会証言で「企業内の原資を取り上げて企業投資を阻害し、不況への耐性を失わせた」と批判されます。議会は1939年、ルーズベルト大統領の反対を押し切り、同税を廃止します(諸富徹『私たちはなぜ税金を納めるのか』)。創設から3年後のことでした。

希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は内部留保課税の公約に修正もありうるとの認識を示しました。歴史の教訓を踏まえ、賢明な判断をしてもらいたいものです。(2017/10/08

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