2018-10-28

ケネディはなぜ死んだのか

陰謀論と聞くと、それだけで冷笑する人が少なくありません。たしかに、陰謀論には荒唐無稽なものもあります。けれども、すべてを頭から「トンデモ」と決めつけるのも理性的な態度とはいえません。

ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件を巡る機密文書の一部が米国立公文書館のウェブサイトで公開され、話題となっています。

日経電子版が伝えるように、ケネディが米テキサス州ダラスでのパレード中に狙撃され、死亡したのは54年前の1963年11月。米政府の調査委員会(ウォーレン委員会)は元海兵隊員のリー・オズワルド容疑者(移送中に射殺)による単独犯行と断定しましたが、証拠は乏しく、外国政府や米情報機関が黒幕との陰謀論が今も絶えません。

暗殺の真相をめぐっては議論が百出し、謎解きに挑戦した本は数えきれないほどです。その中で興味深いのは、2014年に邦訳が出たジェイムズ・ダグラス『ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか』です。

学生の反戦運動に参加しハワイ大学神学教授の職を辞した異色の経歴の持ち主であるダグラス氏が焦点を合わせるのは、冷戦の頂点でケネディが踏み出した外交政策の転換です。

ケネディは冷戦の戦士として登場し、大統領就任演説では、共産主義陣営に対抗するには十分な武力が必要との考えを表明しました。しかし核戦争寸前までいったキューバ危機を経て、軍縮と平和に方向転換します。

1963年5月、同年末までに南ベトナムから米軍関係者1000人を撤退させる具体的な計画を作成するよう命令。さらに、核実験禁止条約締結と全面的かつ完全な軍縮政策を同時にめざすよう命じた国家安全保障行動覚書第239号を発令します。

同年6月にはワシントンのアメリカン大学で卒業式のスピーチを行い、「軍事力によって米国が世界に強制するパクス・アメリカーナ」を拒否し、事実上、冷戦終結を提案します。凶弾に斃れたのはその5カ月後でした。

ケネディが敵である共産主義者との和平に向かったため、米中央情報局(CIA)や統合参謀本部、軍産複合体の反発を買い、これら国内勢力から暗殺されたというのがダグラス氏の考えです。

ダグラス氏は、具体的に誰が暗殺を計画し、命じたかまで特定はしていません。政府が情報をすべては明らかにしていない以上、やむをえないことです。重要なのは仮説をやみくもに否定せず、事実に基づき検証することです。今後の究明が待たれます。(2017/10/28

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