2018-07-29

雇用増は良いことか

経済統計は便利な半面、経済の本質を見えにくくします。たとえば雇用統計です。雇用の増加を示す数字が出ると、政府はそれを良いこととして強調します。しかしそもそも、雇用増はそれだけで良いことといえるのでしょうか。

厚生労働省が発表した6月の完全失業率は2.8%と引き続き低水準でした。働く意思のある人なら事実上誰でも働ける「完全雇用」状態にあります。正社員の有効求人倍率は初めて1倍を超え、企業の人手不足感が一段と鮮明になったと日経電子版の記事は伝えます。

雇用増が良いことだとすれば、日本経済は最高にすばらしい状態にあるように見えます。けれども、本当にそうなのでしょうか。

すでに報じられているとおり、2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設をめぐり、下請け業者で現場監督を務めていた23歳の男性が自殺したのは月200時間近い残業を強いられ精神疾患を発症したためだとして、両親が労災申請しました。真相究明はこれからですが、雇用され、人手不足の中で忙しく働くことが「良い」とは限らないとあらためて気づかされます。

時事通信の報道によれば、1998年長野冬季五輪でボブスレー・リュージュ会場となった「スパイラル」について、長野市は平昌五輪後の来年度以降は製氷を休止、競技場として利用しない方針を決めたそうです。「NIKKEI STYLE」のしばらく前の記事によれば、利用料収入は年700万円にすぎないのに、市が負担する維持管理費は年1億2千万円にのぼり、市民から「税金の無駄」との声が上がっていました。建設には多くの人が雇用されましたが、結果として「良い」ものを生み出したとはいえません。

五輪に限りません。ある事業が多くの雇用を生み出すからといって、雇用された人が必ずしも幸せとは限りません。価値あるものを生み出すとも限りません。経済全体についても同じです。統計で雇用が増え、失業率が下がり、有効求人倍率が上昇したからといって、それが「良い」こととは限りません。

米経済学者のスティーブン・ホーウィッツ氏は「政治家は雇用の創造ばかり気にしすぎる。気にするべきは価値の創造だ」と指摘し、こう続けます。「雇用の創造はたやすい。農場にある機械をすべて壊せば、すぐに何百万人もの雇用を生み出せるだろう。問題はそうした雇用を生み出すことで、私たちの暮らしが良くなるかどうかだ。答えはもちろんノーだ」

雇用統計の数字を見るとき、必ず思い出したい言葉です。(2017/07/29

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