2018-05-04

演歌は日本の伝統か

前号の本欄で、「江戸しぐさ」という偽りの伝統文化について書いた。同様のインチキや誤りは後を絶たない。

自民、民主、公明など超党派の有志議員が3月、演歌や歌謡曲を支援する議員連盟を結成したという。産経新聞が「日本の伝統文化の演歌を絶やすな! 超党派『演歌議連』発足へ」という見出しで報じた

発起人会合では、今村雅弘元農林水産副大臣が「日本の国民的な文化である演歌、歌謡曲をしっかり応援しよう」と呼びかけ、出席した歌手の杉良太郎が「演歌や歌謡曲は若者からの支持が低い。日本の良い伝統が忘れ去られようとしている」と危機感を表明し、支援を求めたという。

しかし、伝統が「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」(大辞林)だとすれば、演歌を日本の伝統文化と呼ぶのは正しくない。その事実を、輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)は詳しい調査に基づき明らかにする。

たしかに、演歌という言葉そのものは、明治時代に生まれた古いものである。しかし輪島によれば、本来の演歌とは自由民権運動の流れをくむ「歌による演説」であり、社会批判と風刺を旨とする「語り芸」だった。現在のように、演歌という言葉を「日本的」「伝統的」なレコード歌謡を指すために用いるようになったのは、昭和40年代(1960年代半ば)以降にすぎないという。

輪島によれば、レコード歌謡の一ジャンルとしての演歌を「発明」したのは、1966年にデビューし70年代にかけて若者を中心に人気を誇った小説家の五木寛之である。最初期の作品「艶歌」は、五木が小説家デビュー前に作詞家として専属契約していたレコード会社をモデルとしている。

また輪島によれば、演歌は「日本的」な要素のみで成り立っているものではない。森進一のしわがれ声はジャズの大御所ルイ・アームストロングを意識したものだし、都はるみの「唸り節」は驚くことに、ポップスの女王と呼ばれた弘田三枝子の歌唱法に由来するという。

だから演歌はダメだと言いたいわけではない。輪島の指摘から学ぶべき教訓は、文化を守るという大義名分のために、誤った事実に基づく権威づけをしないことである。それは守ろうとしている文化そのものに対する誤解を広めることになる。

もう一つ大切なのは、日本文化を守るという名目で、外国文化の流入を妨げないことである。日本文化は私たちが想像する以上に、さまざまな外国文化を取り入れて豊かに実っている。偏狭なナショナリズムにとらわれて外国文化を排除すれば、日本文化はやがてやせ衰えてしまうだろう。

(2016年4月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

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