2018-05-22

政府の嘘は国を滅ぼす

政治とは結果責任を問われる冷徹な行為であり、個人間の道徳を単純にあてはめることはできないという主張をよく目にする。しかしそれは浅はかな考えである。なぜなら政治も詰まるところ人間の営みであり、それゆえ人間普遍の道徳と無縁ではありえないからである。

米政治学者ジョン・ミアシャイマーの著書『なぜリーダーはウソをつくのか』(中公文庫)を読むと、そのことがよくわかる。

個人が嘘をつくことは不道徳な行為とされる。これに対し国際政治に関しては、政治指導者が嘘をつくのは賢いことであり、必要悪であり、状況によってはむしろ望ましいものであると考えられることが多い。

この場合の嘘とは、政治指導者が他国に対してつく嘘だと多くの人が想像することだろう。ところがミアシャイマーは意外な事実を明らかにする。筋金入りのリアリスト(現実主義者)を自認する彼は、最初は一般人と同じく、国際政治では国家間の嘘が日常的に見られるものだと信じていた。ところが調べてみたところ、「国家のリーダーや外交官たちは、思ったほど互いにウソはつかない」ことがわかったという。

その代わり、政治指導者は自国民に対しては嘘をつくことが多いとミアシャイマーは指摘する。たとえば米ブッシュ政権はイラク戦争の際、米国民に対し「イラクは大量破壊兵器を持っている」「サダム・フセインはオサマ・ビン・ラディンと密接な関係を持っている」といった嘘をついていた。

「中国や韓国は嘘を並べて世界に反日思想をまき散らしている」といった報道を読んで中韓けしからんと憤る人は、ミアシャイマーの指摘を噛み締めておくがよい。日本人に対して嘘をつく可能性が一番高いのは外国政府ではなく、日本政府なのである。

これに対し、政府が自国民に対してつく嘘は自国の「国益」のためだから構わないと擁護する向きもあろう。しかし、そこには二つの落とし穴がある。

第一に、嘘は国にとって利益になるのではなく、その反対に害を及ぼす危険もある。イラク戦争に際しブッシュ政権がついた嘘は、米国を泥沼の戦争という大災害に導いた。

第二に、嘘の使用が国内政治に飛び火し、重大なトラブルを起こす恐れがある。たとえば政治家やリーダーたちの行動について真実を知るのが不可能になってしまえば、有権者は彼らに説明責任を追求できなくなる。

中国の軍拡や北朝鮮の核ミサイル開発などについて日本政府は危機感を煽る。しかしそれがミアシャイマーのいう「恐怖の煽動」という嘘でないかどうか、冷静に見極めなければならない。国益を口実とした嘘の横行は道徳を腐敗させ、国を内側から滅ぼす。

(2018年2月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿。この号で連載終了)


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2018-05-21

人は誰でも残酷になる

評論家の石平が数年前に刊行した『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』(ビジネス社)という本がある。文化大革命や天安門事件、権力闘争、異民族征圧に際して生じた虐殺を暴露し、日本人と比べ人殺しが好きな中国人の真実を明らかにするという。

アマゾンに投稿された読者のレビューはどれも評価が高く、「やっぱり中国人の残虐さは日本人の比ではないようです」「ただ殺す人数が多いというだけではなく、その殺し方も非常に残虐で、特に女性に対するそれは想像するだけで吐き気がします」などと優越感に浸っている。

中国共産党をはじめ、支那人が多くの残虐行為を行ってきたことは事実である。しかしだからといって、日本人が支那人よりも残酷でないとは言えない。それを確かめるには「南京大虐殺」について調べる必要などなく、日本の歴史を少し知っていればよい。

戊辰戦争で明治政府軍は錦の御旗を掲げて会津若松に殺到し、会津戦争となった。だが官軍の所業は、とても正義にかなうとは言いかねるものだった。

星亮一『よみなおし戊辰戦争』(ちくま新書)は郷土史家、宮崎十三八の描写を紹介している。

それによれば、若松城下に襲いかかった薩摩、長州、土佐、肥前の西軍は土佐兵を先頭に城下の各町に殺到し、抵抗する会津兵はもとより、武士、町人百姓、老若男女の別なく、町のなかにいた者は見境なく斬られ、打ち殺され、あるいは砲弾の破片に当たって死んだ。

屋敷のなかは煙が充満し、火の手が迫る。そこにまた砲弾が炸裂した。至るところで阿鼻叫喚、修羅場はたちまちこの世の地獄となった。攻める者は血を見ると、怪鬼のように快感を覚えて、人影を見れば、撃ちまくったという。まるで伝えられる「南京大虐殺」の有様そのものである。

戦後処理も非道だった。明治新政府が「賊軍の死骸には手をつけるな」と厳命したため、千数百の遺体が城下に放置され、野犬や鳥の餌食になった。

それだけではない。会津藩士とその家族は戦後、遠く青森県の下北半島に流され、老人や子供が飢えのためにバタバタと命を落とす。

大正時代に入っても日本政府は会津に冷淡で、鹿児島や山口には旧制高等学校が設置されたが、会津若松には高校はおろか専門学校もできなかった。「これほどの差別があるだろうか」と宮崎は憤る。

人間の残酷性は国籍、民族、宗教を問わない。時と場合により、誰もが残酷になりうる。日本人だけがその本性と無縁でいられるわけがない。他国人の残酷性をあげつらい、自国人のそれに気づかない底の浅い人間観にはあきれるしかない。

(2017年12月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-20

文化は政治で守れない

保守派の政治家はよく、日本の伝統文化を守れと言う。しかし文化とはつねに海外の異なる文化を吸収して発展していく本質的にグローバルなもので、伝統文化もその例外ではない。

先日の衆院選で、希望の党の小池百合子代表は「伝統や文化や日本の心を守っていく保守の精神」を強調した。日本のこころの中野正志代表は、伝統や文化を後の世代に引き継ぐため、対北朝鮮などで「強い日本」にしようと訴えた。

だが文化を政治や軍事の力で守ることはできない。政治や軍事にできるのはせいぜい国境の守りを固めることだが、文化は国境を越えるし、海外の文化を吸収しなければ豊かな文化はできない。

日本の伝統文化も例外ではない。大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』(新潮選書)によれば、今でこそ日本古来の伝統の町とされる京都は、桓武天皇が都を遷した当時、朝鮮半島や支那から移住してきた渡来人であふれていた。7世紀の畿内の人口のほぼ30%が渡来人だったという。

朝鮮半島と日本の関係は古く、3世紀半ば、百済から多くの技術者や物資が渡来したとされる。さらに5世紀後半、秦の始皇帝の末裔と称する秦氏が嵯峨野・太秦周辺に居住。7世紀後半、百済と高句麗が滅亡すると、とりわけ日本と深い関係にあった百済からの亡命者が大挙して渡ってきた。

天皇の御所である大内裏自体、渡来人の秦河勝の邸宅だったという伝承もあり、広隆寺、伏見稲荷、松尾大社など秦氏の関わる寺社は京都に多い。

桓武天皇はそんな京都に長岡京、平安京を造営・遷都した。この造営・遷都も渡来人と関わりが深く、責任者だった藤原種継、藤原小黒麻呂はそれぞれ秦氏の母や妻を持つ。

桓武天皇が旧都・奈良から離れた渡来人の街、京都に都を遷した最大の理由も、母が百済の王族の末裔である渡来人だったからだ。桓武天皇は渡来人の血へのこだわりが強く、百済系や漢系など渡来人を六人も妻に迎えた。

妻の一人、百済永継はもともと藤原内麻呂の妻として真夏や冬嗣を生んだ後、桓武天皇に女官として仕えるうちに愛されて皇子を生む。歌人の僧正遍昭はその息子だ。冬嗣は藤原道長の先祖に当たる。

小倉百人一首で有名な遍昭、『源氏物語』の作者である紫式部の主人筋で愛人でもあった道長には、大塚が指摘するとおり、ともに百済系の血が流れているわけだ。

もし古代の日本が国境を閉ざし、朝鮮や支那からの渡来人を排除していたら、今の政治家が守れと叫ぶ伝統文化はそもそも生まれていなかっただろう。文化は政治で作ることも守ることもできない。

(2017年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-19

正義は一人で行え

勇ましい保守派知識人は、戦争などで公の義に殉じる者を称え、私利に拘泥する態度を軽蔑する。しかし生身の人間はそのように単純ではない。

幕末の桑名藩といえば、会津藩と並び、新政府軍から特に目の敵とされた藩として知られる。藩主松平定敬は戊辰戦争に身を投じた藩士たちを励ましながら各地を転々とし、苦難を味わう。

しかし森田健司『明治維新という幻想』(洋泉社)によれば、残された桑名藩の人々も同じように苦汁を嘗めた。

藩士たちは当初恭順を拒む。薩長率いる明治新政府の暴力は理不尽だと考えたからである。この考えは間違っていない。

新政府は定敬ら旧幕府の中で主導的立場にあった藩主から官位を剥奪して朝敵の汚名を着せたうえ、領地や財産を没収し、祖先の墓を祭ることさえ禁じた。旧幕臣の榎本武揚が怒りを込めて述べたように、「強藩の私意」に基づく不当な行為である。

屈服を潔しとしない桑名藩士たちは、城に籠もって戦い討ち死にする「守」か、開城して江戸に向かい、定敬と合流して再起する「開」のどちらを選ぶか神籤を引き、「開」に決定する。

ところが評定に参加できなかった下級藩士たちから「猛烈な反対意見」が寄せられる。その背景は、江戸に向かうにせよ、それを拒絶して藩に残るにせよ、藩から手当は一切出ないことだった。

「武士であっても、家族があり、生活がある。手当も出ないのであれば、目ぼしい私財のない下級藩士たち、そして家族は、野垂れ死ぬしかない」と森田は書く。背に腹は代えられず、幼い藩主を立て、新政府に恭順することを決める。

家老の酒井孫八郎は新政府の許しを得るため、箱館で抵抗を続けていた定敬を自ら訪ね、粘り強く説得した結果、降伏させることに成功する。

さてこの桑名藩の決断について、我が身や家族の安泰という私利を優先し、理不尽な暴力への抵抗という大義をかなぐり捨てた道徳的堕落だとは、さすがの勇ましい保守派知識人も言わないだろう。

もちろん自分の判断で公の義を優先し、それに殉じたければすればよいし、現にそうした桑名藩士もいた。箱館で最後まで抵抗し、藩の全責任を背負って切腹させられた森常吉は「なかなかに惜しき命にありながら君のためには何いとふべき」と辞世の句を遺す。

だが一度しかない自分の人生や家族のために命を惜しみ、強者に膝を屈することもまた、間違ってはいない。

正義は一人で自発的に行うものである。桑名藩はそれを理解していたように見える。個人の判断による不参加を許さない戦争は、正義の名に値しない。

(2017年10月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-18

「テロとの戦い」の欺瞞

主要国政府は首脳会議(サミット)などの場で毎度のように、「テロとの戦い」に向け結束を訴える。しかしテロの撲滅にはつながりそうにない。政治家や官僚にとって「テロとの戦い」とは、他の大義名分と同じく、権力闘争や利権確保の口実にすぎないからである。

青山弘之『シリア情勢』(岩波新書)によれば、「今世紀最悪の人道危機」と言われ、多数の難民を生み出す中東のシリア内戦は、「内戦」と呼ぶのは必ずしも適切でない。米露をはじめとする諸外国が軍事干渉を繰り返し、シリアの人々に代わって同国の行方を決定する存在となってしまったからだ。干渉の名目として掲げられるのが「テロとの戦い」である。

米国が主導する有志連合は2014年8月から9月にかけて、イスラム過激派「イスラム国」を殲滅するとして、イラク、シリア領内で空爆を開始した。しかし欧米諸国は最初からイスラム国に対し厳しい姿勢で臨んだわけではない。イスラム国は前年からアサド政権に対抗し活発に活動していたが、同政権を退陣に追い込みたい欧米諸国はこれを黙認した。

欧米諸国がイスラム国への対処に本腰を入れたのは、イスラム国がシリアからイラクへと勢力を拡大し、2014年6月に北部の都市モスルを制圧して以降だった。欧米諸国への石油の主要な供給地の一つであるイラクをめぐる経済安全保障が脅かされるに至り、ようやく腰を上げたのである。

米国はイスラム過激派以外の武装集団を「穏健な反体制派」と呼び、イスラム国と戦うよう積極支援した。ところがこの「穏健な反体制派」は、戦う相手であるはずのイスラム過激派と共闘関係にあった。

たとえば、米中央情報局(CIA)はヨルダンやシリア国内での「穏健な反体制派」への軍事教練を極秘で敢行し、ハック旅団、第十三師団、山地の鷹旅団といった組織を支援した。しかしこれらの勢力はイスラム過激派と共闘関係にあった。

「穏健な反体制派」支援は、「テロとの戦い」を根拠として正当化されていた。だが米国が支援した勢力はイスラム過激派と表裏一体の関係をなしていた。米国の政策は「テロとの戦い」のためにテロ組織を支援するという「マッチポンプ」だったと、青山は批判する。

先頃、イスラム国は有志連合が支援するイラク軍にモスルを奪還され、最高指導者バグダディが死亡したと報じられた。しかしもしイスラム国が滅びても、テロの脅威は消えない。むしろ欧米が支援した「穏健な反体制派」から新たな脅威が生まれる恐れがある。かつてCIAがソ連に対抗するためアフガニスタンで育てたムジャヒディン(イスラム聖戦士)が、テロ組織アルカイダになったようにである。

(2017年9月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿) 

2018-05-17

政治は道徳に干渉するな

日本を含め、経済大国と言われる国でも、国民が経済の道理を正しく理解しているとは限らない。それはやむを得ない面もある。私益の追求が社会を良くするという経済の道理は、人間の直感に反するからだ。

音楽ライブなどのチケットの高額転売が社会問題になる中、購入済みのチケットを定価で譲れるサイトを、音楽関連4団体が6月1日に開設した。同日の新聞各紙朝刊には意見広告を出し、「チケットは、お金もうけの道具ではありません」と転売業者を批判したという。

自分自身がチケットの販売収入で生計を立てていながら、「お金もうけの道具ではありません」などと宣言するのが滑稽だとは、どうやら思わなかったらしい。

もっとも転売業者が業界団体からだけでなく、一般のファンからも目の敵にされているのは事実である。どうしても行きたい公演のチケットを手に入れたり、行けなくなった公演のチケットを売ったりと、恩恵にあずかったことのあるファンは少なくないにもかかわらず、聞こえるのは非難の声がほとんどだ。

それは経済学者の蔵研也が『18歳から考える経済と社会の見方』(春秋社)で述べるように、マンデヴィルやアダム・スミスが明らかにした「私的な悪徳こそが実は公益につながっている」という逆説が、人間の直感に反するからである。

洋の東西を問わない。キリスト教社会ではかつて利子が禁じられ、イスラム教社会では今も禁止されている。重農主義など初期の経済学では農業だけが真の価値を生み出すと考え、江戸時代には士農工商の序列があった。蔵によれば、これは単に場所を移転して利益を得る商業活動は本質的に非生産的で、卑しく劣った拝金主義的な活動だという直感に基づく。

普通の人には、私益の追求が良い社会を作るという論理は不道徳だと感じられる。だからこうした論理は近代になるまで一般化しなかっただけでなく、学校で経済学を教わったはずの現代人も本心では納得していない。その感情がチケット転売問題などをきっかけにあらわになる。

この素朴な道徳感情を延長すれば、政治家が徳に基づき社会を監督すべきだという考えが導かれる。プラトンの理想とした「哲人王」の世界だ。

しかし具体的にどういった行為に徳があるかは、人の考えによってさまざまである。自由貿易か保護貿易か、大家族の復権か女性の社会進出か、市場競争か格差反対か、等々。答えを無理に一つに決めようとすれば、強い政治権力が必要となり、極端な場合、独裁政治に行き着く。

個人の価値観によって意見の分かれる問題に政治は干渉せず、自由に任せる。この近代の知恵を忘れないようにしたい。

(2017年7月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-16

右翼左翼の本性は同じ

右翼と左翼は正反対と世間では信じられている。たしかに表面上、異なる部分は多い。しかし本性は変わらない。一言でいえば、国家主義者である。

安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相はタカ派の右翼政治家として知られる。だが姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』(講談社学術文庫)が記すように、社会主義の強い影響を受けた。

戦前から戦中にかけ経済統制や総動員計画を立案・推進した、いわゆる革新官僚は、岸をはじめ、だいたい第一次世界大戦後から大正末にかけて帝国大学を卒業し、共産主義の全盛期に学生生活を送っている。岸以外では星野直樹、奥村喜和男、迫水久常らである。

これら革新官僚グループに共通するのは、若き日の彼らが「一般的風潮としてのマルクス=レーニン主義的な社会科学の影響」のもとにあったことだと同書は指摘する。

彼ら革新官僚は、マルクス・レーニン主義に由来する「歴史と時代とを社会科学的に分析する素養」を身につけ、世界史的な「全般的危機」に対応する「全機構的把握主義」の思考様式に慣れ親しんでいた。

後年、「反共の闘士」として名を馳せた岸は、マルクス主義や共産主義にいかれることはなかったと何度も断っている。しかし若き岸がかりにマルクス主義そのものに傾倒しなかったとしても、社会主義から強い影響を受けたのは間違いない。ただし社会主義は社会主義でも、北一輝の国家社会主義である。

岸は北の著作『国家改造案原理大綱』を、夜を徹して筆写したという。発禁となるこの著作は、クーデターによって日本を平等な社会にするシナリオが描かれている。私有財産制度を制限する一方、労働省新設で労働者の待遇を改善し、児童の教育権を保全するなどである。天皇大権を認める点を除けば、普通の社会主義と大差ない。

やがて岸は商工省から満州国に渡り、産業開発を推進する。そこで採られたのは、まさしく北一輝が示したような、国家社会主義的な立場に基づく統制経済モデルだった。「満州国経済建設要綱」は四つの眼目の一つとして、「経済統制(重要産業部門の国家的統制)」をあげている。

しかし利潤追求を否定したために、資本家が投資に尻込みし、産業開発は遅々として進まないという事態を招く。

岸の国家社会主義的な志向は戦後も続く。岸内閣では国民皆年金・皆保険など社会保障の基礎を築く。しかし現在、社会保障が財政危機の元凶となっているのは周知の事実である。

国家主義者は経済の道理に無知で、社会のさまざまな問題は政府が描いた設計図どおりに解決できると信じている。その浅はかさは右翼も左翼も変わりない。

(2017年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-15

軍事同盟の空論

保守派言論人は左翼の防衛論議を非現実的だと批判する。それはおおむね正しい。ところが困ったことに、保守派自身の防衛論議も同じくらい現実離れしている。

軍事アナリストの小川和久は『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)で集団的自衛権を子供のケンカにたとえ、次のように説明する。

小学校の六年一組にガキ大将がいて、だれかれ構わず暴力をふるっていた。最初はみんな、自分一人で殴り返すなど反撃していた。これは「個別的自衛」である。

しかしガキ大将と一対一でケンカをしても、いつもやられてしまう。そこで一組のある少年が、どうすればよいか考えた末、信頼できそうな仲間を十人募り、六年一組の仲間にこう宣言する。

「今後、十人のうち誰かがガキ大将からいじめられたり殴られたりしたときは、十人全員がいじめられたり殴られたりした、と考えることにする。ガキ大将に対しては、十人全員でやり返すことに決めた」

十人の一人一人を十人全員とみなして、十人の集団としてガキ大将に対抗する。これが「集団的自衛」である――。以上が小川の説明だ。

しかし少し考えればわかるように、これは現実離れした空論である。

ケンカの相手はいつもガキ大将一人だけとは限らない。学校生活を送るうち、十人の仲間にそれぞれケンカの相手ができるだろう。仲間全体では十人分の「敵」を相手にしなければならない。

仲間の誰かがケンカを始めたら、自分に直接関係なくても、助太刀に駆けつけなければならない。その可能性が自分以外に九人分もある。学校の目的は勉強なのに、ケンカに忙しすぎて勉強どころではあるまい。

しかも小川によれば、「十人のうち体の弱い子や風邪気味の子は、『今回はやめておく』と遠くから見ているだけでもよいのです」という。間違いなく仮病が続出し、自衛集団はたちまち機能しなくなるだろう。

そもそも小川のこの方式に本当に効果があるなら、とうの昔に全国の小中学生が多数の自衛集団を作り、日本の学校からいじめはなくなっているはずだ。もちろん現実は異なる。小川の空想と異なり、右に述べたような理由により、学校における「集団的自衛」はうまく機能しないからだ。

学校に限らない。現実の軍事同盟でも、トランプ米大統領が北大西洋条約機構(NATO)などを批判するとおり、タダ乗りが横行しやすい。それ以上に厄介なことに、敵の数をいたずらに増やし、国の安全をむしろ危うくする。

現実を無視した軍事同盟の称賛はたくさんだ。「他国の問題に巻き込まれるような同盟関係をどの国とも結ばない」というトーマス・ジェファーソンの言葉を噛みしめたい。

(2017年5月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-14

怪物退治の愚行

感情的な反米論は間違っている。米国から学ぶべき点は多い。しかし問題は、米国の何を学ぶかである。最近の米国の行動の多くは、米国自身の良き伝統に反しているからだ。

評論家の小谷野敦は『なんとなく、リベラル』(飛鳥新社)で米国のイラク戦争を人道的に支持し、反対派に「ではフセインの独裁、反対派やクルド人への弾圧を放置しておいていいのか」と問う。ヒトラーによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を放置すべきだったのかと問う。

米国の伝統に学ぶなら、答えは「放置すべきだった」である。

自衛に無関係な「人道的」戦争はしないのが、米国の伝統である。第六代大統領ジョン・クインシー・アダムズは「諸外国が米国の志向する理念や理想に反する内政を行っても、他国の問題に干渉するのを慎んできた」と述べ、「米国は倒すべき怪物を探しに海外へ行ったりしない」と戒めた。

しかしその後、米国は戒めを破り、人道的戦争に乗り出す。結果は意図と違った。民主主義の大義を掲げ第一次世界大戦に参戦し、英仏がドイツに過酷なベルサイユ条約を強いるのを結果的に手助けし、ヒトラーの台頭を招く。ホロコーストはその帰結である。

それだけではない。ヒトラーを倒すために組んだスターリンはヒトラー以上の大虐殺をやってのけ、ヒトラーから救うはずだった東欧を事実上支配し、ナチス・ドイツに劣らぬ恐怖政治を行った。

イラン・イラク戦争では、米政府はイランのイスラム原理主義は許せないとして、イラクのフセインを支援する。軍事介入が独裁者フセインを育てたのだ。その後イラク戦争でフセインを倒したところ、政治的不安定から過激組織イスラム国(IS)の台頭をもたらした。

小谷野は現実を見ない九条護憲論を批判する。それは正しい。しかし軍事介入で世界を平和にできると信じる今の米国の外交政策は、同じくらい現実離れしている。しかも世界の人々にかける迷惑は、比べものにならないほど大きい。

独裁者はその国の人々を苦しめる。しかしだからといって、独裁者を倒すために米国民に戦争を強いるのは正しくない。政府の役割は国民の生命・財産を守ることであって、自衛に無関係な独裁者打倒はその役割を超え、むしろ本来の使命に反する。

独裁者に虐げられる人々を助けたいと思う米国人は、個人として義勇兵や資金援助の形で加勢すればよい。他の米国人は自分の意思に反して生命や財産を失わずに済む。戦争はそのような選択の自由を奪う。

軍事不介入の伝統を忘れ、怪物退治の愚行を繰り返す米政府を批判することは、反米ではない。日本政府の誤りを批判することが反日でないようにである。

(2017年4月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-13

もう一つの平和ボケ

自衛権は国家の権利だから、軍隊を持つのは当然と言われる。もしそうならば、国民は主権者なのだから、個々の国民にも自衛のための武装の権利があるはずである。むしろ個人の自衛権は国家の自衛権に先立つと言える。

ところが個人の武装を当然の権利として認める米国と違い、日本の保守派文化人はその道理を理解しない。自衛といえば国家の専売特許と思い込み、その結果、筋の通らない珍妙な小説を書いたりする。それが百田尚樹『カエルの楽園』(新潮社)である。

蛙の国の寓話で左翼の平和主義を揶揄した本作には、重大な矛盾がある。楽園ナパージュに住む蛙は体に毒腺があるが、争う力を持つことを禁じる「三戒」に従い、子供のころに潰してしまうという。無防備につけ込み、隣国から凶暴な牛蛙が襲う。そこまではいい。

問題はその後だ。牛蛙は楽園の蛙を次々に食う。しかし食われた蛙の体内には、毒腺を潰しても、毒があるはずだ。

現実の世界でも、毒のある蛙を犬や猫が食うと、呼吸困難、麻痺、痙攣などを引き起こし、死ぬこともある。まして楽園の蛙の毒は、巨大な鷲の目を潰すほど強烈という。

ところが楽園の蛙を食った牛蛙は何ともない。本来なら毒にあたって死ぬか弱るかして、他の者は恐れをなして逃げ帰り、楽園は無事守られるはずだ。

もちろんそんなハッピーエンドにしてしまっては、「平和ボケ」の左翼を嘲笑したい作者の意図に反する。だから楽園の蛙が毒蛙であるという設定を無視し、牛蛙に勝たせなければならない。矛盾であり、物語として破綻している。

おかしな点はまだある。楽園の蛙たちは牛蛙の襲来を前に、反撃すべきか否か国会で激論を交わす。この描写は無意味だ。国会で決めようが決めまいが、体には反撃の毒があるのだから。

作者は政府が防衛を独占し、個人に丸腰を強いる日本社会の現実に引きずられ、自身で考えた物語の設定を忘れたらしい。これは、自衛は政府に任せてさえおけばいいという、別の意味での「平和ボケ」にほかならない。

自衛は政府に任せておけばいいという考えは、なぜ平和ボケか。理由はおもに二つある。

まず、個人が銃などで武装しなければ、治安の悪化する昨今、凶悪犯から身を守れない。警察はあるが、呼んでも間に合わない。腕力のない女性や老人には特に武器が必要である。銃を持った民間ボディーガードに任せてもいい。

次に、個人の安全に脅威となるのは外国の軍隊とは限らない。歴史を見れば、むしろ自国の軍隊や警察に生命・財産を脅かされる場合が少なくない。個人が武装すれば、政府の暴虐を未然に防げるだろう。むろん外敵の侵入にも有効である。

(2017年3月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

著者 : Andrew F Branca
Law of Self Defense LLC
発売日 : 2016-04-26

2018-05-12

正義に他人を巻き込むな

正しいと信じることは、自分一人で行うべきである。しかし世間には、自分の正義を他人に無理強いし、巻き込まなくては気の済まない厄介な人物が少なくない。

歴史上、そうした厄介な人物の中でも最悪な部類の一人を選ぶとしたら、アレクサンドロス大王だろう。歴史学者の森谷公俊は『アレクサンドロスの征服と神話』(講談社学術文庫)で飾らぬ実像を描く。

アレクサンドロスは自らの出生を最高神ゼウスに結びつけ、それゆえ神と人間の間に生まれた伝説の英雄たちと同じ血を引くと信じていた。アレクサンドロスはこうした英雄たちに憧れ、模倣し、凌駕しようとした。

特に憧れたのは、トロイ戦争の英雄アキレウスである。あるとき、アキレウスの有名な行為を模倣する機会が訪れた。ガザの町を降した際、生け捕りにしたペルシャ人指揮官のかかとに皮紐を通し、戦車につないで町の周囲を引きずらせたのである。アキレウスはトロイの大将ヘクトルを討ち取った際、同じ残酷な仕打ちをしたとされる。

アレクサンドロスはまた、強烈に名誉を求めた。インド遠征からの帰途、ゲドロシア砂漠の横断を決行し、二カ月に及ぶ死の行進を繰り広げる。過去に横断を成し遂げた、ペルシャ建国の父キュロス二世などの偉大な先人に対抗意識を燃やしたからである。アレクサンドロスの名誉心は満たされるだろうが、付き合わされる兵士たちはたまったものでない。

同書で紹介されるオリバー・ストーン監督の映画『アレクサンダー』で、アレクサンドロスは遠征がすでに八年に及ぶにもかかわらず、インダス川の前で兵士たちにさらなる前進を呼びかける。

側近は「まだ東へ進み、蛮族どもと戦い、象という怪物のいる地で百もの川を渡れと?」とたしなめるが、アレクサンドロスはきかない。「お前たちは実直さを失って堕落した」と部下を叱りつけ、「私は歩み続ける」と言い切る。

進むことが正義だと信じるのであれば、一人で行けばよい。しかしもちろん、アレクサンドロスはそうしない。反対者を処刑して不満を抑えつけ、帰還を望む兵士たちを無理やり道連れにするのである。

カントが説いたように、道徳的行為は自由意志に基づく。どれほど崇高な目的のためであろうと、強制された行為は道徳的といえない。まして目的が正義の名を借りた名誉心の満足でしかないとしたら、明らかに道徳に反する。

森谷はアレクサンドロスを「途方もないエゴイスト」と正しく断じるが、近代以降、多くの知識人は東西文明融合の旗手などと持ち上げた。政治とは他人への強制であるにもかかわらず、政治指導者を道徳的英雄と崇める浅はかな言論は後を絶たない。

(2017年2月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-11

国家の虚構

他人の財産を個人が奪えば窃盗犯だが、国家は税の名目で堂々と行う。国家には自衛権として武力の所持・行使が認められるのに、国家の主体であるはずの個人には許されない。これらの差別に合理的な根拠はない。

今年生誕九十年だった作家の星新一は、生涯に千一篇を超えるショートショート(超短編)を著した。子供にもわかるやさしい言葉で書かれているが、ユーモアに包み、右に述べたような国家の虚構を暴く作品が少なくない。『マイ国家』(新潮文庫)の表題作はその一つだ。

預金勧誘の銀行員がある家を飛び込みで訪ねると、家の主人からしびれ薬を飲まされ、お前は捕虜だと言い渡される。とまどう銀行員に主人は宣言する。「ここは独立国なのだ」

主人は大まじめに語る。「国家はどういうものか知っているか。一定の領土と、国民、それに政府つまり統治機構。この三つがそろっているもののことを言う。領土とはこの家、国民とはわたし、政府もわたし。小さいといえども、立派な国家だ」

小説でしかありえない話ではない。国際的に国家と承認されてはいないものの、欧州の北海に浮かぶ「シーランド公国」は人口4人。1967年、英国の退役軍人が公海上にある英国の海上要塞を占拠し、独立を宣言した。人口1人の国家があながち現実離れしているとはいえない。

「マイ国家」の主人、いや国家元首は、銀行員に日本の最近の「国情」を尋ねる。銀行員が政府は生活保護や健康保険、年金などに金を出していると話すと、「元首」は「まったく、ばからしくてならない」と言い、こう続ける。

「政府とは、ていさいのいい一種の義賊なんだな。しかも、おっそろしく能率の悪い義賊さ。大がかりに国民から金を巻きあげる。その親分がまずごっそりと取り〔略〕末端まで来る時には、すずめの涙ほどになる。それを恩に着せながら、貧民や病人や気の毒な人にめぐんでやるというしかけだ」

政府とは国民の財産を奪う盗賊だというこの考えも、突飛なものではない。インド仏教では、国王を泥棒と同列に見たという。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法に取る一方、国王は税金という形で合法に取るのが違うにすぎない。

刃物を持ち出す「元首」に銀行員が凶器はしまえと言うと、こう答える。「凶器とはなんだ。軍備と言え。自衛権は国家固有のもので、そのためには必要な軍備の所持と行使とがみとめられている」

国民の代理にすぎない政府が武力を独占し、国民自身が丸腰を強いられる矛盾を衝いている。国家は自衛のために軍隊を持てと言う論者はまず、米国のように、個人の武器所有も認めなければならない。

(2016年12月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-10

家族の偶像

子供の虐待や離婚の増加などが報じられるたびに、「家族の絆が薄れている」「家族の伝統を取り戻せ」という声が巻き起こる。しかし今の私たちが思い描く「古き良き日本」の家族は、過去の現実とは大きくずれている。

大塚ひかり『本当はひどかった昔の日本』(新潮社)は、古典文学に描かれた昔の日本人の日常を紹介し、家族をはじめとする「古き良き日本」がいかに美化された虚像であるかを浮かび上がらせる。

江戸時代は子供を大切にするどころか、捨て子が盛んだった。捨て子を育てた者にお上や共同体から養育料が払われる制度があり、これを悪用する「貧困ビジネス」がはびこった。養育費を受け取り、ろくに乳を飲ませずに死なせてしまう。井原西鶴『日本永代蔵』にも「乳呑子を養ひてほし殺し」という「身過」(世渡り)について記述があるという。

児童虐待も日常茶飯事だった。鶴屋南北『東海道四谷怪談』の主人公、民谷伊右衛門の母であるお熊は、わずか五六歳の継孫を一日中蜆売りに出し、売上が少ないと言って怒ったりつねったりする。

このお熊は三度も結婚を繰り返しているが、実は当時は非常に離婚が多かった。それも死別によらない離婚が目立つという。

江戸時代初期、日本のキリスト教信徒向けに書かれた『どちりなきりしたん』で、秘蹟を授けられる際に守るべき七つの決まりのうち、「ひとたび結婚したら離婚してはいけない」という決まりに対してだけ、弟子は「是あまりにきびしき御定也」と他に例を見ないほど強く反発する。

「当時の日本人にとって『離婚』を禁じられることはこれほどまでに納得できないことだったのです」と大塚は述べ、「江戸時代の家族のもろさ」が捨て子や虐待の多さの一因ともなっていたのだろうと記す。

江戸時代の家族が「もろい」というと意外かもしれないが、そもそも結婚して夫婦で子育てするといった「家族」を多くの人が作れるようになったのは17世紀頃(江戸時代初期)からという。それ以前、結婚できる人は限られていた。

『一寸法師』『ものくさ太郎』など多くの物語で、「結婚して子供もたくさんできました、めでたしめでたし」と終わるのは現代人には陳腐に見えるが、特権階級しか家族を持てない時代にあっては「究極のハッピーエンド」だったと大塚は指摘する。

昔から、人が家族を持ち、維持するのは生半可なことではなかったのである。ありもしない「古き良き日本」の偶像に縛られるより、結婚は難しいのがあたり前で、結婚できても夫婦や親子のごたごたはあって当然とわきまえ、肩の力を抜くほうが、幸せな人生が送れるに違いない。

(2016年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-09

「日本人」の幻想

民進党の新代表に蓮舫参院議員が選出されたが、代表選の最中、同議員に日本と台湾の「二重国籍」疑惑が持ち上がり、騒動になった。お粗末な話だ。蓮舫氏ではなく、騒いだ保守派メディアや言論人がである。

蓮舫氏が二重国籍にあたるかどうかは、日本が台湾(中華民国)を国家として承認していないことも絡み、判定が微妙である。しかし、かりに二重国籍だったとして、何が問題だと言うのか。世界では政治家の二重国籍は珍しくない。

米カリフォルニア州のシュワルツェネッガー元知事は米国とオーストリア、英国のジョンソン前ロンドン市長(現外相)は英米のそれぞれ二重国籍者だし、ペルーのフジモリ元大統領(ペルーと日本)、タイのアピシット元首相(タイと英国)など一国のトップもいる。

批判者の一部は「嘘をついているから経歴詐称だ、公職選挙法違反だ」と主張した。しかし選挙で「二重国籍ではない」と明言していない以上、経歴詐称にはあたらない。

二重国籍をことさら問題視し、叩く根底には、二重国籍者は「純粋」な日本人ではなく、だから信用できないという感情があるように思われる。だがこの感情は、国民というものに対する誤解に基づく。

東京経済大学准教授の早尾貴紀は『国ってなんだろう?』(平凡社)で、「日本人」とは明治以降、国民国家が形成される中で形づくられ、それ以降「日本人」という民族があるかのように思われるようになったと述べる。別に偏向した見方などではなく、西洋の国民国家にも共通する歴史的な事実である。

明治政府は誰が「国民」なのかはっきりさせるために、初めて全国的な戸籍を作った。明治5年の壬申戸籍である。登録対象とされたのは、横浜や神戸の居留地の外国人を除く皇族以外で、そのとき日本に居住していた全員だった。

当時の日本の範囲は、北海道から本州、四国、九州まで。その中には朝鮮半島や中国大陸、東南アジアなどから来ていた人々とその子孫も多数いた。江戸時代もアジアとは交易などで人の往来があったからである。これらの人々も無差別に戸籍に登録された。

その後の戸籍の継続は、戸籍を持つ親の子が戸籍に登録されるという血統主義の考え方がとられた。しかし最初の壬申戸籍に登録された「元祖日本人」は、住んでいた者全員だった。だから血筋としての純粋で均質な「日本人」の起源というものはないし、「日本人」という民族があったわけでもないと早尾は指摘する。

つまり「日本人」とは政治の産物であり、純粋な日本人とは幻想なのである。政治がすべての世の中では、人々は政治の産物を崇める。それは誤りであり、危うい。

(2016年10月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-08

歪められた武士像

文学や歴史の古典は、現代人の見落としがちな人間の真実を教えてくれる。ただし、そうした書物の内容は後世の政治イデオロギーによって歪曲されて伝わる場合が少なくないから、注意が必要である。

リオデジャネイロ五輪の報道で「武士」や「武士道」という言葉をしばしば目にしたが、武士ほど真の姿が歪められたものも少ないだろう。清水多吉『武士道の誤解』(日本経済新聞出版社)は、そうしたさまざまな歪曲・捏造の例を挙げる。

「七生報国」は、楠正成兄弟が湊川で討死した際の言葉が由来とされる。『太平記』によれば、自害に先立ち兄正成が弟正季に何か言い残すことはないかと尋ねると、正季は「七生までただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」と答えた。この言葉が「七度生まれ変わっても国に奉公したい」と改められ、戦前・戦中を通じてもてはやされることになった。

しかし実は、切り捨てられた言葉がある。弟正季の右の言葉を聞いた兄正成は同感しつつも、「罪業深き悪念なれども」、つまり「罪業にまみれた悪い考えではあるけれども」と釘を刺すのである。

仏教思想に影響されたこの言葉は、殺生を生業とする武士の自省を示し、物語に深みを増す。だが国民を戦争に駆り立てる軍国主義イデオロギーにとって、殺生が「罪業」などという考えは邪魔でしかない。かくて「七生報国」だけが高らかに謳い上げられたのである。

武士道を語るうえで必ず取り上げられる著作が山本常朝『葉隠』である。しかしこの書物は江戸時代には佐賀一国を出ることはほとんどなく、一部を除いてその存在すら知られていなかった。したがって、相良亨(東京大学名誉教授)のように『葉隠』で江戸中期の武士道を論ずるのはまったくの見当違いと清水は批判する。

『葉隠』が世に広まるのは、太平洋戦争直前に和辻哲郎らの校訂で岩波文庫に入ってからである。「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」という言葉が有名だが、文中に何度も出てくるにもかかわらず、和辻が『葉隠』論で無視した別の側面があると清水は指摘する。

それはこういう発言が示す側面である。「人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚かなことなり」

主君のために死ぬのも人間かもしれないが、「好いた事」をして暮らしたいと願うのははるかに人間臭い。常朝は「我は寝ることが好きなり」とまで述べている。

国家主義や軍国主義のイデオロギーにとって、古典の権威は便利でも、そこに描かれた人間の真実は都合が悪い。だから歪曲がなされる。騙されないようにしたい。

(2016年9月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-07

「文明の衝突」の嘘

イスラム過激派によるテロや難民問題をきっかけに、かつて米政治学者ハンチントンが唱えた「文明の衝突」は避けられないとの説が勢いを増している。しかしそれは誤りである。文明・文化の衝突と呼ばれる現象は、実は国家・政治の衝突にすぎない。

現在最も深刻な国際問題の一つであるアラブとイスラエルの対立は、「イスラム教とユダヤ教の宗教的対立」「聖書時代に遡る宿命」などと言われる。だがそれは間違っていると、中東政治を専門とする臼杵陽は『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書)で指摘する。

1948年のイスラエル建国以前、アラブ世界の圧倒的多数派はアラビア語を話すスンナ派イスラム教徒だったが、少数派の中に同じくアラビア語を話すユダヤ教徒が存在した。つまり同じアラブ人(アラビア語を話す者)でも異なる宗教を信仰する者がおり、しかも暴力的な紛争につながることはなかった。

この事実は、アラブとイスラエルの対立が決して二千年来の宿命の対立などではないことを示している。それでは、現在の対立をもたらした原因は何か。それは近代になってナショナリズムのイデオロギーで形成された民族意識だと臼杵は述べる。

本来の宗教文化と近代ナショナリズムは異質である。臼杵によれば、次のような史実がある。

エルサレムにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の共通の聖域があるが、7世紀にイスラム教徒がエルサレムにやって来たとき、この聖域は荒れ放題だった。なぜなら離散を前提に形成されたユダヤ教の信仰によれば、聖域に入ることは神によって禁じられていたからである。

敬虔なユダヤ教徒からすれば、聖域を排他的に占有することは意味のないことだった。このため、聖地を巡る争いが現在のような領土問題的な紛争をもたらすことはなかった。

ところが民族と領土を結びつける19世紀的な新しい考え方であるナショナリズムが登場すると、特定の土地は特定の民族あるいは国家に属さねばならないと考えられるようになる。イスラエルを建国したシオニストと呼ばれるユダヤ人たちからすれば、イスラム教徒が後からやって来てユダヤ教の聖地を占拠するのはけしからんという話になってしまう。

これが現代のアラブとイスラエルの対立をもたらした。文化の違いが暴力的な「衝突」を引き起こすわけではない。土地を領土として排他的に囲い込むナショナリズムこそ、真の原因なのである。

日本でも、シナ人には中華思想があるから侵略者だという言論を目にする。しかし少なくともこれまで、シナが日本を侵略したことはない。文明論を粧った法螺話に惑わされてはいけない。

(2016年7月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-06

沖縄独立という選択

大東亜戦争はアジア諸国の独立を助けたと、保守派言論人は胸を張る。その当否はともあれ、もし独立を望む人民を助けることが義にかなうと信じるのであれば、今こそ助太刀すべき人々がいる。沖縄県民である。

周知のように同県では先月、うるま市の女性会社員の遺体を遺棄した疑いで元米海兵隊員の米軍属が逮捕される事件が発生。米軍基地の集中を改めない中央政府への不満があらためて強まっている。

これに伴い注目されるのが、かねて一部で主張される沖縄独立論である。沖縄タイムズが3月に報じたところによると、現役大学生への意識調査で、政治、経済、安全保障が成り立つならば沖縄独立に賛成と答えた学生の割合が38%を占めたという。

沖縄独立など荒唐無稽と思うかもしれない。しかし少なくとも歴史的、法的には根拠のある話である。琉球新報社・新垣毅編著『沖縄の自己決定権』(高文研)に詳しい。

ところが維新後、明治政府は武力を背景に、琉球を沖縄県として強制的に日本へ併合する(琉球処分)。琉球側は密航して清国政府に直訴するなど救国運動に手を尽くし、一時は国際問題にまで発展するが、日清戦争での清の敗北で万策尽きる。約500年続いた琉球王国は滅んだ。

この琉球併合は法的にどう評価すべきか。同書によれば今日の国際法研究者は、琉球が3カ国と結んだ修好条約を根拠に「国際法に照らして不正だ」との見解を示す。

それによると、3条約締結の事実から、琉球は国際法上の主体であり、日本の一部ではなかったといえる。その琉球に対し、軍隊や警察が首里城を包囲し、沖縄県設置への同意を尚泰王に迫った日本政府の行為は、当時の国際慣習法が禁じた「国の代表者への強制」に当たる。

しかも、慣習法を成文化したウィーン条約法条約51条を基に、さかのぼって主権の保障を要求できるという。つまり沖縄独立論には十分な正当性がある。

もちろん政治的には困難だろうし、沖縄内でも独立論はまだ少数にとどまる。しかし沖縄の意思が無視される状況が続けば、現実味を増す可能性はある。スコットランドの独立運動など世界にも同様の潮流がある。

かつてアジア諸国が独立を果たした歴史を称えるなら、沖縄が自らの意思で同じ道を選ぶことに反対する理由はないはずである。

(2016年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-05

不偏不党は正しいか

放送法問題をきっかけに、ジャーナリズムの「政治的公平」が注目されている。日本ではこの標語やマスコミの「中立」「不偏不党」は当然と思われているが、海外ではそうではない。そればかりか、日本でもかつてはなじみのない考えだった。

国連人権理事会が任命した特別報告者のケイ米カリフォルニア大アーバイン校教授が先月、訪日調査を終え、放送事業者に「政治的公平」を求めた放送法4条の規定を根拠に高市早苗総務相が放送局の電波停止に繰り返し言及した問題について、「大いに懸念を抱いている。4条を廃止すべきだ」と述べた

ジャーナリズムの「政治的公平」が絶対だと信じる日本人は、ケイ教授の発言に驚いたことだろう。しかし海外では、「政治的公平」やそれに似た「中立」「不偏不党」は、ジャーナリズムにとって必ずしも良い意味の言葉ではない。

まず「政治的公平」はもともと、電波帯域の有限希少性に支えられた、放送ジャーナリズム特有の原則である。このためデジタル時代に入り、その必要性が薄れている。米国では規制緩和の一環として、連邦通信委員会による「公平原則」が撤廃された。

次に「中立」は、西洋で市民革命後、各新聞が政治抗争の中間に立ち位置を求めるため標榜した。しかし中間が真ん中だとすると、世の中が左に寄れば真ん中も左に傾き、右に寄れば右に傾くことになる。20世紀に入りこのことが反省された。早稲田大学ジャーナリズム教育研究所編『エンサイクロペディア現代ジャーナリズム』(同大学出版部)によれば、19世紀ロンドンでは多くの新聞が「中立」を掲げたが、現在ではほぼ皆無という。

日本の新聞に多い「不偏不党」は、当初から存在したわけではない。明治前期までは自由民権運動を背景に、政治的立場をはっきり主張する「大新聞」が力をもっていた。だが政府の厳しい言論統制で衰退していく。

それを決定的にしたのが、大正7年に起こった白虹事件である。米騒動の報道禁止に抗議し論陣を張る大阪朝日新聞に対し、寺内正毅内閣は記事中の「白虹日を貫けり」の一句が皇室の尊厳を冒瀆するものとして告発。鳥居素川編集局長や長谷川如是閑社会部長が退社に追い込まれた。

同紙がこのとき公表した「編集綱領」に「不偏不党の地に立ちて、公平無私の心を持し……」という文言があった。「不偏不党」とはジャーナリストの志を謳う理念ではなく、権力に恭順の意を示す転向声明だったのである。

国連の圧力で放送法が改正されたとしても、「中立」「不偏不党」の誤りに気づかない限り、日本のジャーナリズムは権力の監視という役割において半人前のままだろう。

(2016年5月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-04

演歌は日本の伝統か

前号の本欄で、「江戸しぐさ」という偽りの伝統文化について書いた。同様のインチキや誤りは後を絶たない。

自民、民主、公明など超党派の有志議員が3月、演歌や歌謡曲を支援する議員連盟を結成したという。産経新聞が「日本の伝統文化の演歌を絶やすな! 超党派『演歌議連』発足へ」という見出しで報じた

発起人会合では、今村雅弘元農林水産副大臣が「日本の国民的な文化である演歌、歌謡曲をしっかり応援しよう」と呼びかけ、出席した歌手の杉良太郎が「演歌や歌謡曲は若者からの支持が低い。日本の良い伝統が忘れ去られようとしている」と危機感を表明し、支援を求めたという。

しかし、伝統が「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」(大辞林)だとすれば、演歌を日本の伝統文化と呼ぶのは正しくない。その事実を、輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)は詳しい調査に基づき明らかにする。

たしかに、演歌という言葉そのものは、明治時代に生まれた古いものである。しかし輪島によれば、本来の演歌とは自由民権運動の流れをくむ「歌による演説」であり、社会批判と風刺を旨とする「語り芸」だった。現在のように、演歌という言葉を「日本的」「伝統的」なレコード歌謡を指すために用いるようになったのは、昭和40年代(1960年代半ば)以降にすぎないという。

輪島によれば、レコード歌謡の一ジャンルとしての演歌を「発明」したのは、1966年にデビューし70年代にかけて若者を中心に人気を誇った小説家の五木寛之である。最初期の作品「艶歌」は、五木が小説家デビュー前に作詞家として専属契約していたレコード会社をモデルとしている。

また輪島によれば、演歌は「日本的」な要素のみで成り立っているものではない。森進一のしわがれ声はジャズの大御所ルイ・アームストロングを意識したものだし、都はるみの「唸り節」は驚くことに、ポップスの女王と呼ばれた弘田三枝子の歌唱法に由来するという。

だから演歌はダメだと言いたいわけではない。輪島の指摘から学ぶべき教訓は、文化を守るという大義名分のために、誤った事実に基づく権威づけをしないことである。それは守ろうとしている文化そのものに対する誤解を広めることになる。

もう一つ大切なのは、日本文化を守るという名目で、外国文化の流入を妨げないことである。日本文化は私たちが想像する以上に、さまざまな外国文化を取り入れて豊かに実っている。偏狭なナショナリズムにとらわれて外国文化を排除すれば、日本文化はやがてやせ衰えてしまうだろう。

(2016年4月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2018-05-03

偽造された伝統

保守派の政治家や言論人は、「日本の伝統を守れ」と言う。この主張には二つの問題がある。

まず、伝統はつねに正しいとは限らない。かつて奴隷制は多くの国で大昔から続く伝統だった。次に、巷間いわれる伝統には、近現代の産物にすぎないものが少なくない。今回はこの二番目の問題について記す。

近年喧伝された伝統の一つに、「江戸しぐさ」がある。江戸時代の商人・町人から伝わるとされる作法で、小中学校の道徳教材にも掲載されている。ところがこの江戸しぐさなるもの、たかだか三十数年前に創作されたものだったのである。

江戸しぐさが歴史偽造であることは、歴史研究家の原田実が二冊の著書『江戸しぐさの正体』『江戸しぐさの終焉』(ともに星海社新書)で明らかにしている。

たとえば、江戸しぐさを代表する仕草の一つに、「傘かしげ」がある。雨の日に狭い路地ですれ違うときに、お互いの傘を反対方向に傾けることで雨水が相手にかかるのを防ぐ動作である。

しかし原田によれば、浮世絵や歌舞伎に傘が出てくるのは贅沢品だからで、庶民の雨具はおもに蓑笠や合羽だった。傘にしても、スプリングのある現代の洋傘と違ってすぼめやすいので、傾けるのでなく、すぼめて相手とすれ違うほうが楽だった。

そもそも江戸の商家や職人の家は、店頭や作業場として使う土間が道に面していた。傘かしげをやると、人の家の中に水をぶちまける恐れがある。

また「こぶし腰浮かせ」は、乗合の乗物などで席についてから、こぶし一つ分腰を浮かせて横に動いて席を詰める動作である。渡し舟や茶店の縁台で座る場所を作るための心遣いとされる。

だがこれも歴史的根拠がない。江戸の渡し舟に座席はなかった。現代のバスや電車と異なり、馬や荷物も一緒に運んだからである。茶店の縁台はくつろぐために湯呑や茶菓子を置いたから、きつく詰めて座ることはなかった。

原田によれば、江戸しぐさは1980年代、芝三光という人物によって生み出された。その手本は、芝が米軍施設でアルバイトとして働いた学生時代、将校用クラブで教わった英米式マナーではないかと原田は推測する。日本の古きよき作法の正体が英米式マナーだったとすれば、これ以上の皮肉はあるまい。

ここで思い浮かぶのは、最近議論となっている選択的夫婦別姓制度である。反対する保守派は、同姓は日本の伝統だと主張する。しかし実際には同姓制度は、明治政府が西洋化政策の一環として法律で強制したものである。

ある制度や習慣が大切だと思うのであれば、堂々と理を説けばよい。わざわざ偽造した伝統で権威づけようとするのは、何かやましいことがあるからではないか。

(2016年3月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)