2017-03-30

吉川幸次郎『杜甫ノート』


兵役・重税への怒り

漢詩というと俗世を離れ、花鳥風月を優雅にめでるようなイメージが何となくある。しかしよく考えてみれば、中国最大の詩人といわれる杜甫は、そのような風流とは対照的な、きわめて社会的・政治的な題材を繰り返し取り上げた。

唐の繁栄をもたらした自由な市場経済は、やがて政府と商人が癒着する縁故主義に変質し、兵役や重税で庶民を苦しめる。本書が述べるとおり、杜甫はその社会悪を詩で告発した。訳知り顔の文化人などにならず、不正に対する怒りを生涯持ち続けたのである。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

杜甫の年齢でいえば三十ごろまでの時期は、唐王朝の最盛期であった。〔略〕国内の治安はよく保たれて、物価は安く、長安その他の都市は繁栄し、農村は平和であったと、杜甫は追憶している。(247)

宮廷を中心とする贅沢な都市の生活は〔略〕広東、四川など遠方の物資の輸入をうながしたが、それによって巨利を博した商人は、政商として官僚と結託し、政界を腐敗させた。(270)

「富民」たちは、王侯をもしのぐ生活をいとなんでいたが、科挙試験が開かれるたびごとに、受験生たちをわが邸にとめて歓待したという。それは有利な投資であった。受験生たちは、未来の大官の卵であったからである。(278)

無際限にひろがった唐の領土、乃至(ないし)は勢力範囲を維持するためには、大量の国境守備部隊が必要であった。そのため、農村は労働力をうばわれて、いよいよ疲弊し、軍需商人はいよいよ私腹をこやした。(280)

〔杜甫の〕自覚にあるものは、かずかずの社会悪への、詩による抗議であった。〔略〕長詩「兵車行」には、国境の守備にかり出される兵士とその家族たちの悲しみを、露骨に歌う。(301)

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