2016-07-10

大澤真幸編著『憲法9条とわれらが日本』



政府の能力への幻想

憲法は政府を縛り、個人の権利を守るためにある。9条が政府に戦争の放棄を命じるのは、政府による戦争という手段は個人の安全や権利を守らず、むしろ破壊し侵害するからと考えるべきである。リベラル派の論者4人はそれに気づかず、相変わらず政府やその集まりである国連に安全保障や平和創造の期待をかけようとする。

中島岳志は、9条に自衛隊の存在を明記し、自衛隊の暴走に歯止めをかけよと言う。しかし政府による解釈改憲が可能な以上、軍の暴走は止められない。暴走しかねない危険な存在なら、公認でなく廃止すべきである。

加藤典洋の提案のうち、非核宣言と外国軍事基地の拒否はよい。だが自衛隊を温存して国連待機軍にする案は、国連が個人の権利保護に不向きな政府の集まりである以上、有害無益である。災害救助も政府でやる理由はない。

井上達夫は、非暴力抵抗に徹する絶対平和主義を国全体に課すのは無理があるとして、9条削除を主張する。しかし9条が禁じるのは「国権の発動たる」戦争であり、民間の武力による自衛は禁じていないと解するべきである。

大澤真幸は、対立する陣営の双方を日本政府が非軍事的に支援せよと言う。これは赤十字やNPOのほうが向いているし、実績もある。政府がしゃしゃり出れば民間の活動を妨げ、国際問題に巻き込まれる恐れもある。

政府という官僚組織は鉄道や年金の運営が不得手であるのと同じように、国防や平和創造にも向いていない。何もしないのが一番よい。4人の論者がいずれも平和を尊ぶ点は評価できるが、政府の能力や善意に対する幻想から覚めなければ、平和は実現できない。

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