2015-01-15

介入政策の代償

仏パリの新聞社襲撃事件を受け、米欧政府首脳はテロとの対決を口々に表明した。しかし彼らは、テロをもたらした責任の少なくとも一部が自身の外交政策にあることに頬かむりしている。

徹底した自由主義者(リバタリアン)である元連邦下院議員ロン・ポール(Ron Paul)は、事件直後にも問題の本質が米欧の介入主義的な外交政策にあることを指摘したが、その後あらためて、詳しい意見を文章にした

ポールは書く。米国の主流メディアや多くの人々はフランス国民との連帯を唱え、言論の自由のために戦うと誓った。しかしこれらの人々は、言論の自由を定めた合衆国憲法修正第1条が米政府によって繰り返し蹂躙されているのを知らないのだろうか。オバマ大統領は過去の政権すべての合計よりも多くスパイ防止法を適用し、内部告発者を黙らせ、投獄している。抗議者はどこにいるのか。中央情報局(CIA)が水責めその他の拷問をおこなったと告発した、ジョン・キリアコウの釈放を求める抗議者はどこにいるのか。内部告発者は投獄されたのに、拷問をおこなった者は罪に問われない。それでも何の抗議もない。

イスラム過激主義が台頭した責任の少なくとも一端は米仏政府にある。報道によると、パリの狙撃犯2人は夏をシリアで過ごし、アサド政権の転覆を図る反乱軍とともに戦った。フランスの若いイスラム教徒をスカウトし、シリアに派遣してアサド政権と戦わせたともいう。米仏政府は外国兵を訓練・武装し、シリアに潜伏させてアサドを倒すのに4年近くもかけた。言い換えれば、シリアに関していえば、パリの2人の殺人犯は「私たちの」側の人間だった。彼らはシリアと戦うのにフランスや米国製の武器を使いさえしたかもしれない。

1980年代のアフガニスタンに始まって、米国とその同盟国はイスラム教徒の戦士をわざと急進的にし、戦えと言われた相手だけと戦うよう望んだ。米国民が9・11から学んだのは、イスラム教徒の戦士が戻ってきて私たちを襲う場合もあるということである。フランス国民も新聞社襲撃でそれを学んだ。


危険な外交政策がブローバック(しっぺ返し。予期できない負の結末)をもたらすことを知り、米仏政府は考えを改めるだろうか。改めないだろう。政府はブローバックについて考えようとしないからだ。政府が信じたいのは、イスラム教徒の戦士が自分たちを襲うのは、彼らが自分たちの自由を憎んでいるか、自分たちの言論の自由を我慢できないからだというおとぎ話である。

「おそらく私たちみんなをより安全にする方法は、米国とその同盟国がこれら過激派の支援をやめることである」。ポールはそう訴える。

ポールは続ける。襲撃のもう1つの教訓は、9・11後に現れた監視国家は、一般市民をつけ回し、盗聴し、苦しめるのはたいへん得意だが、テロを防ぐのは不得意だということである。

2人の容疑者は長い間、米仏情報機関に監視されていたという。報道によれば、2人は米国の登場拒否リストに記載され、少なくとも1人は2008年、米占領軍と戦うためイラクに渡ろうとしたとして、起訴されている。CNNによると、2人は2011年にイエメンに行き、アルカイダと訓練をした。彼らはテロリストと直接かかわりのある人物だったのである。米仏情報機関はどれくらいの期間、2人について知っており、それなのに何もしなかったのか。そしてその理由は何なのか。

最後にポールはこう強調する。中東における米国と同盟国の強引な外交政策は多数の人々を急進的にし、私たちの安全を損ねた。認めたいかどうかにかかわらず、ブローバックは現実にある。安全を保証するものは何もないけれども、不介入政策だけが新たな攻撃の危険を小さくすることができる――。


ポールの言うとおりだろう。今回の事件を受け各国政府がテロ撲滅のためと称して中東への強権的な介入を強めれば、さらに大きなしっぺ返しが待っているだろう。

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