2017年2月28日火曜日

神取道宏『ミクロ経済学の力』

著者 : 神取道宏
日本評論社
発売日 : 2016-05-16
 
「共同体の論理」の限界

「企業は営利でなく公共性を追求せよ」「自己利益のためではなく、みんなのために働こう」「貧富の差をなくし、平等な社会に」。どれも心情に強く訴える。人類が好む「共同体の論理」に基づくからだ。だが実行すれば経済は破綻する。

著者は「共同体の論理」と「市場の論理」の違いを強調する。共同体の論理は家族や友人、隣人など顔の見える人の助け合いを支える。公共心を重視し、自己利益の追求を嫌う。先史時代から共同体で長く暮らした人間の身についた考えだ。

一方、市場の論理は比較的最近登場した。「誰を、どうやって助けようか?」などと考える代わりに、市場で成立している価格を見ながら自己の利益を追求する。すると社会全体として、顔の見えない膨大な数の人の助け合いが可能になる。

利己心の追求を許す市場の論理は、共同体の論理に親しんだ人間には受け入れにくい。そこで一部の人々は、共同体の論理を経済全体の運営に使おうとした。それが社会主義だ。しかし結果は巨大な非効率が生まれ、経済は行き詰まった。

著者が言うとおり「他人への思いやり、公共心といった道徳律が機能する範囲は、われわれが常識で想像するよりもずっと狭かった」。世間の常識に反する真理を説く経済学は「陰鬱な科学」と嫌われる。だが、そこにこそ存在意義がある。

あえて異論を挟めば、著者が肯定する外部性や公共財の理論もまた、外見こそ洗練されているものの、本質は共同体の論理の産物であり、経済の運営にはなじまない。それでも、共同体の論理の限界をはっきり述べた本書の価値は高い。

2017年2月27日月曜日

〔翻訳〕保護貿易論者に5つの問い

Daniel J. Mitchell, 5 Questions to Ask Your Protectionist Friends(5つの質問を保護主義の友人にしてみよう)より抜粋。

知っていただろうか、米製造業の雇用減少の原因は生産性の向上(productivity growth)で、貿易ではないことを。製造業で雇用は減り続けているが、生産高は過去最高だ。生産性の改善により、少ない労働者で多くの生産が可能になった。これは世界現象だ。

知っていただろうか、貿易の自由度(trade openness)と国の繁栄には強い相関関係があることを。自由貿易政策をとる国ほど、1人あたりの経済生産高は大きい。

知っていただろうか、輸入企業を苦しめれば、輸出企業も必ず苦しむことを。大手多国籍企業(multinational firms)の多くは大量の国際貿易を行っている。つまり大手輸入企業であると同時に、大手輸出企業でもある。

知っていただろうか、保護主義は消費者に多大な損失(enormous losses)をこうむらせ、差し引きでみれば雇用を破壊することを。保護貿易によって雇用が救われても、一方で雇用が失われたり生まれなくなったりして、帳消しになる。

知っていただろうか、経済学者はほぼ全員一致で、貿易障壁(trade barriers)が繁栄を損なうとみていることを。経済学者に意見の合う問題はないと冗談の種にされるが、保護主義が誤っていることについては、ほとんど全員が同意する。

2017年2月26日日曜日

宮田律『アメリカはイスラム国に勝てない』


軍事介入の帰結

第6代米大統領ジョン・クインシー・アダムズは「アメリカは倒すべき怪物を探しに海外へ行ったりしない」と述べ、国外での軍事介入を強く戒めた。戦乱に明け暮れる欧州の教訓からだ。しかし戒めを忘れた米国は自業自得の苦境に陥る。

本書は、米国の介入が海外の政治情勢を悪化させ、自身を泥沼に陥れた諸事実を描く。中東では、イランの石油産業を国有化したモサッデグ政権を、1953年に米中央情報局(CIA)が中心になり打倒したが、誕生したのはパフラヴィー独裁体制だった。

南米のチリでも米国は、1973年にアジェンデ政権を倒したが、ここでもピノチェトの軍部独裁政権をもたらす。1980年以降、2014年のシリアまで14のイスラムの国を軍事攻撃するが、いずれも著しく安定を失うだけに終わる。

自分で自分の首を絞めるような行為も少なくない。米国は1980年代のアフガニスタンでの対ソ戦の際、イスラム教徒ゲリラのムジャヒディンに武器や資金を与え、軍事訓練を施したところ、それがのちに国際テロ組織アルカイダとなる。

こうした失敗にもかかわらず、2014年にはシリアの「穏健な武装勢力」に5億ドルの資金協力を決定する。「何も教訓を学んでいない」という著者の批判はもっともだ。財政が破綻するまで、米政府の愚行は終わらないのかもしれない。

2017年2月25日土曜日

〔翻訳〕保護主義は強欲で不当

Donald J. Boudreaux, Protectionism Is Theft Wrapped in Flags(保護主義は国旗で覆い隠した盗み)より抜粋。

企業が販売の条件として(as a term)、消費者に一定年数以上の購入継続を求めるのは合法だ。労働者が就労の条件として、雇用者に一定年数以上の雇用継続を求めるのも合法だ。しかし実際には、このような条件の契約はほとんど結ばれない。

これはおそらく、買い手からみれば、自分を縛って売り手を長期間ひいきするコストが、代わりに得られる値引き(price concessions)の利益より大きいからだ。売り手からみれば、長期契約を確保しても、(値引きの)コストに引き合わないからだ。

だから労働者は、外国人や同国人、機械(mechanization)に職を奪われても、抗議する権利は倫理的にも経済的にもない。同じく企業は、外国企業や国内企業、機械に売り上げを奪われても、それに抗議する権利は倫理的にも経済的にもない。

ところがしばしば、買い手がひいき先を国内生産者(domestic producers)から外国生産者に切り替えようとすると、国内生産者(企業と労働者)は強欲・不当にもこう主張する。「政府は道徳上の義務により、買い手に製品・労働力の購入を続けるよう強制せよ」

保護主義はまるで、試合の最中にルールを変えるようなものだ。不公正である。非生産的である。国旗で覆い隠した盗みであり、見かけ倒しの理論(specious theorizing)で偽りの神聖化を施されることが多すぎる。

2017年2月24日金曜日

〔翻訳〕ベーシックインカムは福祉より悪質

Bryan Caplan, UBI Is Even Worse Than Welfare(ベーシックインカムは福祉より悪質)より抜粋。

国民に一律に現金を給付するベーシックインカム(Universal Basic Income)は、現状の福祉制度より悪質である。実のところ、福祉国家に対する基本的な4つの批判がすべて、よりいっそう当てはまる。

(1) 慈善の強制はどれも不公正だが、ある種のものはその度合いが特に大きい。貧困家庭(poor families)の子供や重度障碍者など自助努力のできない人を助けるためならまだいい。あらゆる人を助けるよう強制するのは、正当化できない。

(2) ベーシックインカムは慈善の強制の中でも特に無駄が多い。自助努力のできない少数の人々を助けるのに費用は多くかからない。あらゆる市民に無条件で補助金(grant)を与えれば、巨額の資金を費やす。

(3) ベーシックインカムはおそらく現状の福祉政策よりも、人々に悪い誘因(worse incentives)を与える。労働・貯蓄意欲の喪失という福祉国家の悪影響が全国民に広がるだろう。給付財源の確保のため増税すれば、意欲喪失はさらにひどくなるだろう。

(4) そこそこのベーシックインカムでも、常識外れな費用がかかるだろう。1人当たり最低年1万ドル(約113万円)必要との声が多い。かりに3分の1のフラット課税でも、4人家族で年12万ドル(約1354万円)稼ぐまで実質無税になる。これは絵に描いた餅(pie in the sky)だ。

2017年2月23日木曜日

〔翻訳〕格差問題、4つの問い

Steven Horwitz, 4 Questions to Ask When Debating Inequality(不平等問題を論じる際にするべき4つの問い)より抜粋。

各種データによれば、所得格差拡大(rising income inequality)の議論はその多くが誤りか誇張、あるいは反証を無視している。しかしここでは、格差議論の際に問うべき4つの質問を取り上げたい。

(1) 議論の対象は格差か貧困か。もし貧困ならば、証拠は圧倒的だ。世界中でも米国内でも、このおよそ25年間で絶対的貧困(absolute poverty)は劇的に減少している。

(2) 問題の格差は所得か、財産か、消費か。財産(wealth)は資産と負債の差。ストックだ。所得(income)は特定の期間における財産の変化。フローだ。財産は多いが所得は少ない場合も、その逆もある。消費の格差は所得や財産ほど大きくない。

(3) 所得の移動(income mobility)はどうか。ある年に貧しい人の所得が何年後かにどの程度増えるかは、経済学者の間で議論がある。しかし間違いなく、所得の変化は存在する。所得移動の程度に関する議論抜きに、格差を論じることはできない。

(4) 格差がもたらす問題は正確には何か。もし貧困が減っていて貧困を抜け出すチャンスがそこそこあるなら、格差拡大の何が具体的に問題なのか。大金持ちと政治の癒着は縁故主義(cronyism)や再分配政策の問題で、格差自体が原因ではない。

2017年2月22日水曜日

米国と人道的戦争

本ブログに掲載した『なんとなく、リベラル』への書評に対し、著者の小谷野敦氏から「この著者は第一次大戦を人道的戦争としているがそうか?」「ヒトラーを放置すべきかという問いに、ヴェルサイユ条約の過ちを持ち出して答えている。筋が違う」「モンロー主義を持ちだしているが、あれは米国はアメリカ南北大陸について覇権をもつから手だしするなという意味だがそれも分かっていないのではないか」という反論がツイッターでなされ、それに私(木村)が再反論し、議論となった。以下、私の発言のみ抜粋。

2017年02月19日(日)


ブログの著者です。小谷野さんコメントありがとうございます。大戦の際、英仏米は「独皇帝の専制政治に対する民主主義の戦い」「小国の権利を擁護するための戦争」と称しました。人道的戦争そのものです。むろん背後には経済的利害もありますが、それはイラク戦争も同じです。

ヒトラーを放置すべきだった理由がブログでは不十分なので補足します。連合国がヒトラーを倒したことでホロコーストは終わったかもしれませんが、その代わり、たとえばドレスデン空襲で何万人ものドイツ市民が殺されました。戦争は人助けにはあまり向かない手段だと思います。

モンロー主義が特にセオドア・ルーズベルト以降、南米など西半球で米国の帝国主義的な覇権拡大に利用されたのは事実です。それでも一方で米国が欧州諸国の戦争に「手だし」するのを防いだ役割は評価できます。


第一次大戦が人道的戦いだという英仏米の言い分はたしかに名目でしかなかったかもしれません。しかしそれを言うなら、イラク戦争が人道的という米国の言い分も五十歩百歩でしょう。覇権や利権が真の狙いという意地悪な見方も少なくありません。

ヒトラー暗殺には賛成です。いっそ戦争を禁止し、国際紛争はすべて暗殺で決着をつけるようにすれば、世界はよほど平和になります。ただし爆撃機や軍艦が使えなくなるので、軍需産業の政治的支持が得にくいかもしれません。

米国はヒトラーに勝つためにスターリンと組み、「アンクル・ジョー」とおだて上げ、そのスターリンはヒトラーを上回る大虐殺をやってのけ、ヒトラーから救うはずだった東欧で全体主義支配をしたのですから、ヒトラーに勝ってよかったとはとても言えないと思います。

第一次大戦当時には、「独裁者」の代わりにカイザー(ドイツ皇帝)という「専制君主」が格好の悪役にされました。カイザーが本当に悪だったかどうかはともかく、民主主義が善という価値観に立てば、立派な打倒の対象でしょう。イラク戦争におけるフセインがそうだったように。

ある結果が良かったか良くなかったかは、それに払った代償を考慮しなければ判断できません。私はヒトラーを倒す方法として、暗殺は賛成と言いました。代償が小さい(と思う)からです。しかし現実に実践された方法は戦中・戦後の代償が大きすぎるので、賛成できません。

ヒトラーやスターリンや毛沢東やポル・ポトやピノチェトや北朝鮮はもちろんタチの悪い人殺しです。しかしまともな警察官は、人殺しを倒すために町内に爆弾を落としたりしません。


もしドイツ皇帝が小谷野さん(と私)の見方どおり「特段の悪ではなかった」とすれば、「特段の悪」であるかのように主張し、モンロー主義に反して欧州の戦争に介入したウィルソン政権の米国は、私の意見どおり、やはり間違っていたことになります。

じゃあヒトラーのドイツをどうすればよかったかといえば、英仏は自衛戦争を戦えばいい。米国は自衛でもない戦争を国民に強いるべきではなかった。英仏を助けたい米国人は、個人として義勇兵や資金援助の形で加勢すればいい。自分の意思に反し生命や財産を失わずに済みます。

ヒトラーが勝ってもいいとは思いません。しかしだからといって、ヒトラーを倒すために米国民に戦争を強いるべきだとは思いません。米政府の役割は米国民の生命・財産を守ることであって、ヒトラーの打倒はその役割を超え、むしろ本来の役割に反するからです。

ドイツはポーランドに侵攻したんであって英仏に侵攻したんじゃないから、私の理屈で言えば英仏はドイツを放置すればよかったことになる……。そのとおりですね。英仏政府の仕事はポーランドを守ることではありませんから。

一読者の相手をしてくださり、ありがとうございました。勉強になりました。今回はいろいろ生意気なことを書きましたが、小谷野さんの本やアマゾンレビューはいつも楽しみにしています。ますますのご活躍を。

佐和隆光『経済学のすすめ』


権力の下僕

近代経済学は政府の重商主義に対する批判から出発した。その出自からもわかるように本来、経済学の本領は権力批判にある。ところが今ではほとんど見る影もない。数学の濫用で「科学的」な外見をつくろい、政府の権威付けに重宝される下僕に成り下がった。

これは決して素人の暴言ではない。経済学者の著者は同様の批判を展開する。現代では「新しい数学が登場すると、すぐさまそれらを使って論文を書くのが経済学者の生業」であり、経済学は人文学と絶縁し、「数学の僕」と化したと嘆く。

物理学も数式を多用するが、理論と現実が直結する。しかし経済学は理論と現実が乖離し、現実の経済を分析するという本来の使命を「もはや果たし得ない」。このままでは国立大経済学部は廃止・転換されても仕方ないとまで著者は言う。

そんなお粗末な経済学にも需要はある。政府の審議会で、計量経済モデルを用いた予測結果が重宝されるのだ。計量経済学を専門とする著者によれば、予測結果はモデルの作り方で好きに操作できる。だがマスコミは「科学的」と信じ込む。

ピケティスティグリッツクルーグマンらを経済学者として高く評価する著者の意見には、必ずしも同意できない。しかし経済学が存在意義を問われているという厳しい認識はそのとおりだし、批判精神の復権を訴える態度にも共感する。

2017年2月21日火曜日

〔翻訳〕保護主義がウケる理由

Mark J. Perry, 25 Reasons Why Protectionism Is Taken Seriously When It's Actually a Form of Economic Suicide(保護主義という経済的自殺が真剣に受け取られる25の理由)より抜粋。 

貿易はゼロサム・ゲーム(zero-sum game)ではない。ウィン・ウィンの関係である。

消費者が負う保護主義のコストはほとんど見えない(mostly hidden)。生産者が受ける保護主義の利益は見えやすい。

保護主義で守られた雇用は見えやすい。失われた雇用は見えにくい。

個々の生産者が受ける保護主義の利益は大きい。消費者が負う保護主義のコストは総計では(in the aggregate)大きいが、個々には小さい。

消費者は保護主義のコストを何年も後に負担する。生産者は保護主義の利益をすぐ享受する。

保護主義の利益を求める生産者はよくまとまり、組織されている(well-organized)。 保護主義のコストを払う消費者はばらばらで、組織されていない。

政治家は保護主義から大きな政治的見返りがある。保護された国内企業から投票、支持、献金を得る。 政治家は貿易障壁(trade barriers)を撤廃・縮小しようとすると、大きな政治的代償を払う。保護されていた国内生産者から投票、支持、献金を失う。

「輸出をするのは愛国者」「輸入をするのは非国民」という間違った考え。 「輸出は善」「輸入は悪」という病的で誤った強迫観念(obsession)。 「貿易赤字は経済が弱い証拠」「貿易黒字は経済が強い証拠」という誤解。

2017年2月20日月曜日

〔翻訳〕セイの法則が語ること

Russell Lamberti, Say's Law: The Antidote to Countless Economic Fallacies(セイの法則――間違いだらけの経済学への解毒剤)より抜粋。 

セイの法則(Say’s Law)は次のように言い表せる。「誰もが買える商品の価値は、その商品が提供する市場価値に等しい」。あるエコノミストの説明を借りれば、「人が生産するのは消費するため」というありふれた現実を意味する。

マルクスの労働価値説(labor theory of value)とは異なり、生産という行為だけでは購買力を生み出すことはできない。人が価値を認めてくれる物を生産しなければならない。つまり、重要なのは生産そのものではなく、何を誰のために生産するかである。

不況で明らかになる企業の過失(business errors)は、市場での商品の評価を読み間違えた結果である。企業家の障害を取り除き、市場が求める商品を見つけなければならない。価格機構は最大の情報シグナルだから、柔軟な市場価格は適切な回復に必須だ。

経営資源の配分を誤り、資本を無駄遣いしてしまったら、(ケインズの主張とは逆に)貯蓄を減らすのでなく、増やさなければならない。それによって十分な資金を集め、新たな事業(new endeavors)に振り向けなければならない。

もし貯蓄を増やす(saving more)という個人の有徳な行為が、政府の介入なしには社会に混乱を招くとしたら、中央政府によるあらゆる計画が文明に必須として正当化されるだろう。しかし歴史が証明するとおり、それこそまさに文明崩壊への道である。

2017年2月19日日曜日

中島岳志『「リベラル保守」宣言』


政治による愛の強制

同情心は自発的なものである。苦しむ人を助けたいと思う人は、強制されなくてもそうする。政治による強制は、自然な同情心に水を差し、むしろ社会に反感と対立をもたらす。知識人の多くはそれを理解せず、政治による強制を支持する。

著者は東北大震災に見られたという日本人の同胞愛を称える。国民は「ナショナルなイマジネーションを稼動し、同胞の苦しみに涙をこぼし」たという。「稼動」という機械じみた言葉や大仰な表現はともかく、同情は人情の自然な発露だ。

もし国民の同情心が強ければ、政府が強制するまでもなく、人々は被災者を積極的に支援するはずだ。事実、多額の寄付がなされた。同情心も同胞愛も自発的なものだから、寄付こそ支援の手段にふさわしい。ところが著者はそう考えない。

著者は寄付について一切触れない。同胞の苦境に手を差し伸べる手段は、なぜか「国家的再配分」への協力しかない。つまり「税を多く納める」ことだという。同胞愛を称賛しつつ、実際には強制に頼るのは、自分の言葉を裏切っている。

他人を助ける余裕のない人もいる。税はそのような個人の事情を無視し、「被災者だけを特別扱い」と反感を広げる。しかも政府予算はしばしば無駄遣いされ、無関係な被災者まで「焼け太り」と非難を浴びる。政治と愛は両立しないのだ。

2017年2月18日土曜日

〔翻訳〕自由主義者とオルタナ右翼

Jeffrey Tucker, Five Differences Between the Alt-Right and Libertarianism(5つの違い――オルタナ右翼と自由主義)より抜粋。

自由主義者(リバタリアン)によれば、歴史を動かすのは自由と権力の対立である。自由主義者の政治目標は、権力の縮小と自由の拡大である。オルタナ右翼によれば、歴史を動かすのは部族、人種、共同体など非人格的集団(impersonal collectives)間の抗争である。

自由主義者は、各人の利益は調和すると考える。分業(division of labor)は人間社会の偉大な事実であり、労働力の生産性は他人との協力によって高まる。オルタナ右翼は、人間関係を特徴づけるのは根深い対立と考える。

自由主義者によれば、社会が生み出す最も優れ、すばらしいものは計画によっては作れないし、予測できない。むしろその逆である。オルタナ右翼によれば、社会は偉大な思想家(great thinkers)や指導者の意志によってトップダウンで築かれる。

古典的自由主義者(classical liberals)は貿易と移民の自由のために闘った。国境は地図に勝手に引かれた線にすぎず、国家権力を制限してくれる一方、経済と文明の発展を妨げると考えた。オルタナ右翼は例外なく、貿易と移民の自由に反対する。

自由主義者は、中世から自由放任(laissez faire)の時代にかけて起こった重大な変化を称賛する。商業社会が階級や人種の壁を壊し、より多くの人々に権利と尊厳をもたらしたからだ。オルタナ右翼にとってこの変化は文化、独自性、目標の喪失である。

2017年2月17日金曜日

〔翻訳〕自由主義的なイスラム教

S. Hammad Haider, Libertarian Islam(自由主義的なイスラム教)より抜粋。

イスラム教徒の自由主義は歴史に深く根ざしている。アメリカ建国の父の一人、ジェファーソン(Thomas Jefferson)はコーランを所蔵し、自由な社会はイスラム教徒を排除しないと哲学者ロックの言葉を引用し説明した。

イスラム教徒には世俗主義の豊かな伝統がある。その創始者はイスラム哲学者のイブン・ルシュド(Ibn Rushd)だ。彼は著作で、国家と宗教の分離を正当とする理由を述べた。

預言者ムハンマドは13年間軍務に服したが、敵の攻撃に反撃するだけだったという。ある研究者によると、「ジハード(Jihad=聖戦)」という言葉には多くの意味があるが、軍事の文脈では「自衛戦争」を意味する。

イスラム国(IS)を率いるスンニ派イスラム教徒は、同派の教義を原理主義的に解釈し、自らの野望に利用している。この解釈はムハンマドの死後起こった背教戦争やスンニ派思想家イブン・タイミーヤ(Ibn Taymiyah)、アブドゥル・ワッハーブ(Abdul Wahab)の著作に起源を持つ。

自由主義的なイスラム教という表現は、スンニ派教義の暴力的解釈の下では矛盾語法である。しかしどの大宗教にも、暴力的な解釈と平和的な解釈の歴史がある。イスラム教徒が非攻撃原則(Non-aggression principle=NAP)をその根本原理とする意味はますます大きい。

2017年2月16日木曜日

小谷野敦『なんとなく、リベラル』


米国の何を学ぶか

著者は感情的な反米論を批判し、米国からは学ぶべきところをとるのがよいという阿川尚之の意見に賛同する(p.114)。それには賛成だ。しかし問題は米国の何を学ぶかである。最近の米国の行動の多くは、米国自身の良き伝統に反しているからだ。

著者はイラク戦争を人道的に支持し、反対派に「ではフセインの独裁、反対派やクルド人への弾圧を放置しておいていいのか」と問う。ヒトラーによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を放置すべきだったのかと問う(p.219)。米国の伝統に学ぶなら、答えはイエスだ。

自衛に無関係な「人道的」戦争はしないのが、米国の伝統だ。第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズが述べたように、「諸外国がアメリカの志向する理念や理想に反する内政を行っても、他国の問題に干渉するのを慎んできた」「アメリカは倒すべき怪物を探しに海外へ行ったりしない」(ロン・ポール『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ』)。

しかしその後、米国は人道的戦争に乗り出す。結果は意図と違った。民主主義の大義を掲げて第一次世界大戦に参戦し、英仏がドイツに過酷なベルサイユ条約を強いるのを結果的に手助けし、ヒトラーの台頭を招く。ホロコーストはその結果である。

イラン・イラク戦争ではイランのイスラム原理主義は許せないとして、イラクのフセインを支援する。軍事介入が独裁者フセインを育てたのだ。その後イラク戦争でフセインを倒したところ、政治的不安定からイスラム国(IS)台頭をもたらした。

歴史に詳しい著者がなぜ上記のような人道的戦争の過ちに気づかないのか、不思議である。現実を見ない9条護憲論に対する著者の批判は正しい。だが軍事介入で世界を平和にできると信じる今の米国の外交政策は、同じくらい現実離れしている。しかも世界の人々にかける迷惑は、比べものにならないほど大きい。

著者は、日本は「専守防衛でいい」(p.115)と述べる。これにも賛成だ。しかしもしそうなら、わざわざ海外に怪物を探しに行くような米国の危険な外交政策を肯定し、それに付き従うのは矛盾である。

(追記)この書評に対し著者・小谷野敦氏より反論があり、ツイッター上で議論させていただきました。「米国と人道的戦争」を参照。

2017年2月15日水曜日

〔翻訳〕起業成功のカギ

Per Bylund, Why You Should Ignore the Success of Facebook and Uber(フェイスブックやウーバーの成功を無視しなければならない理由)より抜粋。

世間では有名ネット企業は成功者と考えるが、実際稼いでいる企業はほとんどない。有名だからビジネスモデルが健全とは限らない。起業志望者は例外的な成功物語をまねるのでなく、定評ある経営手法(established practices)と分別ある起業家精神を重視しよう。

市場を見つけてから製品を作ろう。起業家はときにアイデアに興奮し、顧客のことを考えずに製品を作る。プロダクト・マーケット・フィット(product-market fit=製品が市場ニーズを満たす)が大切だ。それには顧客の考えと行動を知る以外にない。

製品開発に顧客を巻き込もう。そうすれば、関心分野が明らかで問題意識が高く、購入意欲のある特定のペルソナ(persona=顧客像)に的を絞れる。顧客が新製品開発に参加すると技術開発や商品化速度、業績に良い効果があるとの研究もある。

できる限り現場に出よう。起業家精神は秘密主義(secrecy)や思索趣味とは対極にある。商機と市場の反響を最大にするには、現場に出て顧客が何を評価するか知る必要がある。問題と対策を見極めれば、利益の高い製品の開発・販売の助けになる。

起業のリスクは高い。フェイスブックやウーバーのような例外的成功をまねても、失敗の確率は大きくなるだけだ。代わりにやるべきは、市場を注意深く研究し、開発の早期から顧客を巻き込み、オフィスを飛び出して顧客と一対一で(one-on-one)触れ合うことだ。

2017年2月14日火曜日

〔翻訳〕税制改革ではなく減税を

Ron Paul, Cut, Don’t Reform, Taxes(税制改革ではなく減税を)より抜粋。

確定申告に追われる米国民の多くは、議会が税制改革の審議を再開するというニュースを歓迎したことだろう。しかし、ぬか喜びしないほうがいい。かりに徴税(tax collection)が簡素化されても、税制改革で国民の税負担は軽くならないからだ。

議員時代、税制改革は増税ではなく、税の抜け穴をふさぐだけだとよく聞かされた。しかし一部の米国民の節税手段をなくすのだから、明らかに増税だ。経済学者ミーゼス(Ludwig von Mises)の言うとおり、「資本主義は税の抜け穴から息をする」のだ。

税の抜け穴で個人は手元に自分のお金が増え、経済の効率が高まる。個人は自分のお金を政府の官僚(government bureaucrats)より効率よく使うからだ。議会は抜け穴をふさいで税制度を「効率化」するのでなく、所得税を廃止し、経済の効率と自由を高めるべきだ。

所得税を廃止したら、歳入の減少に見合うよう、歳出を減らさなければならない。大きな政府の支出を借金で賄えば、インフレ税(inflation tax)が国民を襲う。インフレ税は最悪の税だ。こっそり行われ、しかも逆進的だからだ。

議会は国内支出を少し減らすかもしれないが、ケインズ主義(Keynesianism)に基づく公共事業や軍事支出の増大に比べればわずかなものだ。議会が歳出削減を真剣に考えない限り、米国民は国税庁と中央銀行に虐げられ続けるだろう。

2017年2月13日月曜日

西嶋定生『秦漢帝国』



コスト無視の国防

防衛を政府が独占する弊害の一つは、コスト観念の欠如である。民間企業や個人であれば、いくら安全が大切でも、過大な金額を警備に注ぎ込まない。他の幸福が犠牲になるからだ。しかし、政府はしばしば国民に過大な負担を押しつける。

本書が述べるように、漢帝国は武帝の時代、戦争を繰り返した。最大の目的は侵入する匈奴への対抗で、やむをえない面はある。問題はコストだ。先代までに蓄えた豊富な国家財政を使い果たすが、歯止めはかからず、新しい財源を求める(p.201)。

財源確保のため実施したのは、増税、塩鉄専売、商品運搬の官営化など。農業を本、商工業を末とする思想に基づき、商工業者を増税の標的とした。脱税の告発に報奨金を与えて奨励した結果、中産者以上の商人はほとんど破産したという(p.251)。

塩鉄専売も、製鉄業や製塩業を営んでいた地方の豪族や大商人に打撃となる。増税や専売の実施後、社会不安が顕著になった。各地方で盗賊が城邑を攻め、兵器を奪い、地方官を殺す。政府は数千・数万を斬殺するが、鎮圧しきれなかった(p.267)。

武帝は晩年、外征で国力を疲弊させたことを後悔し、民力の回復を願い、辺境の開発を中止する(p.283)。コストを無視した国防で、守るべき国を衰微させたのだ。皮肉にもその後、侵入した異民族が建てた北魏・隋・唐王朝で中国は大いに栄える。

2017年2月12日日曜日

〔翻訳〕価格はコストで決まらない

Per Bylund, How Governments Destroy Consumer Sovereignty(政府が消費者主権を壊すやり方)より抜粋。

人は原価加算方式(“cost-plus” method)の罠に陥りやすい。消費財の価格は生産コストで決まると考えてしまう。残念なことに原価加算方式は世界中でMBA学生に教えられ、ビジネスと経済に対する官僚的な見方を助長している。

価格はコストで決まるのではない。あべこべだ。価格は究極的には消費者が商品やサービスをどう評価(valuations)するかで決まる。コストは生産者の判断で選択される。価格は企業家が決めるのではなく、発見する。一方、コストは生産者が想定する。

生産するかどうかの選択を左右するのは、第一に、最終製品にいくらの価格を付けられるかという企業家の予想(anticipation)だ。第二に、企業家がその製品を十分低いコストで生産できるかどうかだ。

原価加算方式を採用する企業は、企業であることを避けようとしている。コストを当然の前提と受け入れ、15%の利益上乗せなど単純な算式(arithmetic)で価格を「選ぶ」。結果は価格が高すぎて売れないか、安すぎて利益を取りはぐれるかだ。

原価加算方式が通用する例外は、規制された市場(regulated market)だ。新規参入に脅かされないので、適切な価格を発見しなくて済む。保護された既存企業の経営者たちが同じ考え方だと、特にうまくいく。競争しても、自由な市場ほど価格決定に響かない。

2017年2月11日土曜日

杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』


戦わない軍隊

歴史上、モンゴルといえば野蛮な騎馬軍団という負のイメージが強い。しかし、それは近代欧州で創作された虚構だと著者は指摘する。実際のモンゴルは情報戦・組織戦を重視してなるべく実戦せず、流血を避ける「戦わない軍隊」だった。

モンゴル騎馬軍団といっても「破壊力など、実はたかが知れている」と著者は言う。「機関銃も鉄砲もない。〔略〕未曾有の強大な暴力集団であるかのようにいうのは、まちがっている」。モンゴル軍の特徴は周到すぎるほどの計画性にあった。

たいてい二年をかけ、敵方について徹底した調査と調略工作を行った。「できれば、戦う前に、敵が崩れるか、自然のうちになびいてくれるように仕向けた」。軍はほとんどの場合、おおむねことが済んだあとを、ただ行進すればよかった。

13世紀のバグダード攻略の際も調査・下工作に加え、交渉と駆け引き、調略・切り崩しを重ねた。敵政権は内部分裂を起こし、無血開城する。約750年後のイラク戦争で、米軍は力に物を言わせバグダードを制圧したが、泥沼にはまる。

著者によれば、元寇におけるモンゴルの力は冷静な分析なしに過大評価されている。一方で、モンゴル時代に中国や韓半島から新たな文化・学術が伝わり、日本文化の基層を築いたたことは忘れられがちだ。不幸な偏見と言わざるをえない。

2017年2月10日金曜日

〔翻訳〕世界は改善している

Robert Colvile, Trump and Bannon see the world through blood-splattered spectacles(トランプとバノンは血まみれの眼鏡を通して世界を見る)より抜粋。

メディアの報道は悲観主義(pessimism)とドラマ性に偏向している。世界像を歪め、実際より悪く見せる。2016年にOECD(経済開発協力機構)加盟国でテロによる死亡件数は2014年の7.5倍に増えたというが、もともとの件数がきわめて少ない。

テロの大半(overwhelming proportion)はイラク、アフガニスタン、ナイジェリア、パキスタン、シリアで起こっている。この5カ国で2015年のテロによる死亡数の72%を占める。しかも世界全体では10%減少している。

テロは宗教的原理主義の産物ではなく、破綻国家(broken states)が生む。紛争や恐怖政治のない国で起こるテロは全体のわずか0.5%しかない。しかしこの0.5%が報道の大部分を占める。

世界ではさまざまな原因で、テロよりはるかに多くの人が死亡している。交通事故、転落、水難、てんかん、火事、毒、アルコール、梅毒、破傷風、虫垂炎(appendicitis)……。数の上では、これらはすべてテロよりはるかに命にかかわる脅威だ。

トランプ大統領の見方と逆に、世界は改善している。この数十年で貧困、疾病、栄養不良の率は急低下し、読み書き能力と繁栄の率は急上昇した。進歩を認識しにくいのは、報道のせいだけではなく、人間の認知バイアス(cognitive biases)のせいでもある。

2017年2月9日木曜日

藤田孝典『下流老人』

 

衣食住は降ってこない

貧困問題を憂える知識人の多くは、貧困を解決するにはカネを配ればよいと誤解している。しかしカネがあっても衣食住の供給が十分でなければ、それらを手に入れることはできない。再分配政策は供給力を削ぎ、むしろ貧困層を苦しめる。

著者が訴える老人の貧困問題は深刻である。しかし唱える対策は正しくない。「課税対象については、資産や所得を総合的に含めて議論し、取れる層から徴収することで所得の再分配機能を高め、社会保障を手厚くしていくことが不可欠だ」と述べる。

もちろん課税を強化すれば「資産家や高所得者は海外に逃げてしまう」。だから「高所得者の逃げ場である『タックスヘイブン』の対策も含め、グローバルな視点での議論が求められる」と言う。地の果てまでも追いかける、というわけだ。

著者が理解していないのは、貧困層に必要な衣食住は天から降ってはこないという事実だ。それは生産しなければならない。生産には資本がいる。資本を提供するのは資産家である。資産家への課税を強化すれば、資本が減り、生産は減る。

著者は「支出を減らす政策」を求める。具体策は家賃や医療費などの公的補助だ。しかしそれは支払う主体が政府に変わるだけで、支出自体は減らない。支出を減らすには生産を増やし、物価を下げることだ。資産家課税はそれに逆行する。

2017年2月8日水曜日

〔翻訳〕戦略なき海外派兵

Daniel L. Davis, The Simple Way to Save the U.S. Military(米軍を救う簡単な方法)より抜粋。

この数カ月で米国防総省(the Pentagon)はノルウェー、ポーランド、リトアニア、シリア、アフリカでの兵力増強を発表した。海外増派に拍車をかけるものだ。これは軍事的脅威の増大に対応したものではない。実のところ、明確な根拠はほとんどない。

この同時並行的な海外増派にはっきりした大戦略(grand strategy)はないし、脅威に対して軍隊をどう使うか統一した構想もない。国防総省が増派を発表するたびに軍指導者は戦術上の目標を説明するが、作戦そのものの目的については論じない。

戦術が有効だったか事後的に測る基準(metrics)もない。米軍は世界一有能でよく訓練されており、与えられた任務の大半をやり遂げる。しかし作戦の成功を測る基準がないために、任務の成功が国の安全に貢献したかどうか誰も判断できない。

米軍の国防能力は落ちている。原因は軍の酷使(overuse)だ。国益に必須でもない地域に派遣し、ささいな脅威と戦わせている。国防予算を増やせばむしろ逆効果だろう。政治家・官僚は、予算が増えるとそれをずっと使えると思い込むからだ。

米軍の国防能力を立て直す手順は二つ。まずトランプ大統領(President Trump)はぜひ、海外のどうでもいい多くの作戦に軍を送らないようにしてほしい。次に、議会は憲法上の使命を再認識し、海外派兵の決定に先立つ聴取・調査を復活しなければならない。

2017年2月7日火曜日

今野晴貴『ブラック企業』


正しい診断、誤った処方

ブラック企業を生み出したのは皮肉にも、温情あふれるイメージの日本型雇用である。終身雇用や年功序列の利益が薄れ、厳しい指揮命令という代償だけがのしかかる。著者はその病巣を正しく認識しながら、なぜか対症療法しか語らない。

長期の雇用を維持するには、社員に命令できる業務内容や業務時間が柔軟でなければならない。そうすれば業務の拡大・縮小に配置転換や労働時間の延長で対応し、解雇せずに済む。その代わり、理不尽な命令がまかり通るリスクも高まる。

著者は、ブラック企業対策に必要なのは「日本型雇用からの脱却」と正しく述べる。それなら求めるべきは、不況時解雇の基準があいまいな労働契約法の改正や、金銭賠償による解雇の容認などだろう。ところがそうした本筋の提案はない。

代わりに著者が提案するのは、労働時間規制、過労死防止基本法の制定、過労死や鬱病を出した企業に対する厳罰、雇用保険制度の拡充、公的な職業訓練実施……。これらは日本型雇用からの脱却とは関係ない。単なる対症療法でしかない。

病巣を放置し規制ばかり強化しても、ブラック企業はなくならない。それどころか企業の雇用コストを高め、労働者から就業の機会を奪う。生産コストを高め、物価を押し上げ、貧困層を苦しめる。なぜ正しい処方を避けるのか、不可解だ。

2017年2月6日月曜日

〔翻訳〕地産地消は飢えのレシピ

Tim Worstall, Local food is a recipe for starvation(地産地消は飢えのレシピ)より抜粋。

そうする余裕のある人は地産地消を楽しめばよい。しかし経済全体の仕組みとしては、私たちは地産地消をもうやめた。それには十分もっともな理由(very good reason)がある。飢えだ。

17世紀まで英国は飢餓に苦しんだ。飢餓をなくしたのは効率のよい輸送システムの普及である。18世紀まで飢餓が続いたのは、輸送網(transport network)の整備が遅れた土地だ。飢えをなくす方法は、どこかよそから食物を持ってくることだった。

今でも穀物の不作は珍しくない。しかしあらゆる土地から食物を入手できるおかげで、その影響は軽くて済む。食の安全保障(food security)に必要なのは、食物の国内生産ではない。天候パターンの異なるさまざまな土地に多くの供給元を持つことだ。

地産地消に頼らないおかげで、真冬にレタスを手に入れることもできる。季節の物にはもちろん良さがある。しかし冬にレタスやズッキーニ(courgettes)が売れる事実が示すように、人は冬にカブだけ食べて暮らしたくはないのだ。

平常時(normal times)には、世界貿易は食を多彩にしてくれる。非常時には、飢えを防いでくれる。地産地消とは不思議な運動だ。なぜ人類が過去一万年にわたって逃れようとしてきた食の生産方式に、わざわざ戻ろうとするのだろうか。

2017年2月5日日曜日

土肥恒之『ロシア・ロマノフ王朝の大地』


商人のロシア

ロシアというと、旧ソ連時代の冷たく無機質なイメージがいまだに拭いきれない。しかし社会主義に支配される以前のロシアは、商人が活躍する商業国家の一面もあった。北方領土問題も商人流の柔軟な発想が解決の鍵になるかもしれない。

本書はロシア商人の印象深い記述がある。ロシア最古の町の一つ、ノヴゴロドは国際交易都市だった。ノヴゴロド商人の交易範囲は北ヨーロッパの多くの都市に及ぶ。黒テンなどの良質の毛皮や蝋を売り、毛織物や銀などの貴金属を買った。

首都ペテルブルクが官僚と軍人の街であるのに対し、古くからの経済の中心地であるモスクワは商人の街だった。他方でモスクワは教会の街でもあった。19世紀末に500を超える教会があったが、その多くは商人たちの手で建設された。

モスクワ商人が支援したのは教会建立だけではない。貧しい市民・花嫁への寄付、養老院や看護院の建設・維持のほか、極貧の両親の子供や孤児のための奨学金などもあった。その後の社会主義革命より、はるかに人間的な弱者救済だろう。

日露の接触も商人から始まる。1702年、ピョートル大帝は漂流した大坂の商人「デンベイ(伝兵衛)」を引見。18世紀末、ラッコなどを求めてカムチャッカから千島諸島を南下したロシア人商人たちが、蝦夷地で松前藩の役人と会う。

2017年2月4日土曜日

〔翻訳〕原発は安くない

Noah Smith, The Dream of Cheap Nuclear Power Is Over(安い原発の夢は終わった)より抜粋。

原子力発電の最大の問題は、安全ではない。コストである。原発の経済性からみると、特に米国では、エネルギー全体の中で限られた役割(marginal part)にとどまり続けることはほぼ確実である。

多くのエネルギー源は初期費用(upfront costs)が割合小さい。しかし原発の固定費は膨大だ。米国で原発を新設するには約90億ドルかかる。シェール油井新設の1000倍以上、世界最大の太陽光発電所の3倍以上の費用だ。

原発新設にかかる90億ドルとは、時価総額最大のアップル社が2016年に借りた金額と同じだ。原発は大胆な若い起業家ではなく、GEや東芝といった大企業が政府から融資保証(loan guarantees)の形で多大な支援を受け、建造する。

原発のもう一つのリスクは安全だ。よく知られる事故や放射能漏れの恐れではなく、未知の危険だ。もしテロリストに爆破されたりハッカーにメルトダウンを起こされたりすれば、被害は壊滅的だ。防御には予想できないコスト(unanticipated costs)がかかる。

原発は巨大で危険をはらむ、政府補助を受けた企業による無駄な事業(boondoggle)である。いつの日か核融合発電や安くて小規模な核分裂反応炉ができれば、古い夢がよみがえるかもしれない。しかしそうならない限り、原発は未来の電力ではない。

2017年2月3日金曜日

鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』



人口増のカギは市場経済

人口減を食い止めようと、政府は結婚・妊娠・出産・育児の支援策を次々に打ち出す。しかし効果は疑問だし、私生活への干渉になりかねない。歴史を振り返ると、もっとスマートな人口増加策が見えてくる。それは市場経済の拡大である。

本書によれば、日本は過去1万年に人口の波が4つある。(1)縄文時代(2)弥生時代以降(3)14~15世紀以降(4)19世紀~現代――である。(1)(2)(4)はそれぞれ気温上昇、水稲農耕、工業化を支えに人口が増えた。

興味深いのは、室町時代に始まる(3)の波だ。人口成長を支えた原動力は「市場経済の展開」だと著者は指摘する。具体的には、隷属農民の労働力に依存する名主経営が解体し、家族労働力を主体とする小農経営への移行が進んだことだ。

室町時代には貨幣の普及とともに利潤獲得の機運が高まり、農民はよりよい生産方法を求めて選択的に行動するようになる。衣食住などの費用がかさむうえ、勤勉な労働が期待できない隷属農民に依存する名主経営は、生産効率が悪かった。

晩婚や生涯独身の多かった隷属農民が自立することで、社会全体の有配偶率が高まり、出生率が上昇した。一方で食生活の充実や住生活の向上により死亡率も改善する。この背景にも、生産力向上や流通の拡大など市場経済の発展があった。

現代の隷属農民といえば、さしづめ稼ぎの多くを税金で奪われる企業家や労働者だろう。社会保険料を含む税負担を大きく引き下げ、市場経済を活性化すること。小手先の少子化対策よりはるかに効果が大きいはずだ。

2017年2月2日木曜日

〔翻訳〕壁では解決できない

Ron Paul, A Better Solution Than Trump’s Border Wall(トランプの国境の壁より優れた解決法)より抜粋。

トランプ大統領が不法移民問題に取り組むのは正しいが、米国とメキシコの国境に壁を築く(construction of a wall)という案では、いくつかの理由により、あいにく問題は解決できない。

第1に、壁は役に立たない。テキサス州(Texas)はすでに十年前、国境でフェンスの設置を始めた。フェンスのせいで人々は国境沿いの私有地から仕切られ、土地を収容で奪われた。そのあげく、麻薬密輸や密入国の問題は未解決のままだ。

第2に壁は費用がかかりすぎる。政府推定の120億~150億ドルでは収まるまい。トランプ大統領はもしメキシコ政府が払わなければ同国製品に20%の関税をかけるという。それを結局払うのは米国の消費者だ。貧困層(poorest Americans)が一番苦しむ。

第3に、壁の建設は不法移民の本当の原因を無視している。真の対策は明らかだ。多くの移民を引きつける福祉の磁石(welfare magnet)を取り去る。25年間に及ぶ米国の中東での戦争をやめる。密輸をかえって奨励する麻薬との戦いをやめる――。

米国は少なくとも1990年以降、中東を爆撃してきた。昨年、オバマ大統領は2万6000発以上の爆弾を落とした。米国の無人機攻撃で数千人の市民が死んだ。無意味な介入(senseless intervention)をやめれば、米国を攻撃する動機は解消に向かうだろう。

2017年2月1日水曜日

柄谷行人『世界共和国へ』




自由は強制である?

自由と平等は両立しない。人間の資質や環境が千差万別である以上、完全な機会の平等は望めないし、まして結果の平等はありえない。だが問題は不平等ではなく、貧困である。不平等をなくすために自由を縛れば、貧困はむしろ悪化する。

著者はチョムスキーに基づき、「統制と自由」をタテ軸に、「不平等と平等」をヨコ軸に、国家の形態を4つに分類。このうち「統制・平等」は共産主義、「統制・不平等」は社会民主主義、「自由・不平等」は新自由主義に当たるという。

最後の「自由・平等」な国家を、著者はアソシエーショニズムと呼ぶ。現実的には存在しえないが、近づこうと努める理念になりうると言う。しかし自由と平等の両立は、丸い三角形と同じく論理的に不可能だから、理念にはなりえない。

不可能を可能にする一つの方法は、言葉の歪曲である。アソシエーショニズムでは「互酬」によって富の格差が生じないようにするという。ところがその互酬の例は、未開社会では得た富を贈与で消費するよう「強いられる」というものだ。

「強いられる」とは強制だ。もしこれがアソシエーショニズムの「自由」だとすれば、そんなオーウェルの『1984年』みたいな国にはあまり住みたくない。富をすべて消費する国では技術開発も設備投資もできないから、極貧は必至だ。

著者がアソシエーショニズムの理念実現をめざし、かつて企てたNAM(New Associationist Movement)という運動が挫折したのは、直接の原因はともかく、論理的に必然だったといえる。