2016年12月31日土曜日

岡田憲治『デモクラシーは、仁義である』


民主主義は仁義を滅ぼす

暴力には二種類ある。政府による公認の暴力と、暴力団などによる非公認の暴力だ。このうち、より怖ろしいのは公認の暴力である。政治的な公認は必ずしも正義を意味しないにもかかわらず、正義の旗印の下に徹底的に実行されるからだ。

著者は、民主主義という「仁義」が廃れると、すべて暴力が解決する裏社会の理不尽なルールに表社会が支配されてしまうと警鐘を鳴らす。しかしこの主張は、すでに民主主義の名の下に巨大な暴力が日常化している事実を見落としている。

暴力団が用心棒代と称して数万円のみかじめ料を取れば、恐喝罪で逮捕される。一方、政府が劣悪な福祉、教育、司法の対価として国民から年収の4割もの税や保険料を取っても、逮捕されない。逮捕されるのは支払いを拒んだ国民の方だ。

著者は、民主主義とは「我々弱く無力な人間たちにとって、本当に最後の砦」と擁護する。しかし一般国民が政府からまだ身ぐるみ剥がされずに済むのは、民主主義のおかげではない。財産権という、政治に先立つ別の原理のおかげである。

著者によれば、仁義とは「規範」「ルール」「道義」である。ところが民主主義は正義の名の下に、他人の財産を奪ってはならないという、人間の最も普遍的な規範の一つを破壊する。著者の主張と逆に、民主主義は仁義を滅ぼすのである。

2016年12月30日金曜日

〔翻訳〕マルクスの神話

Carmen Elena Dorobăț, Mises on the Myth of Marx(ミーゼスが論じるマルクスの神話)より抜粋。

経済学者ミーゼスは、いくつかの著作でマルクスの神話を批判した。マルクスの著作にある矛盾や誤り(inconsistencies and errors)を指摘し、文体を批判した。(以下はミーゼスからの引用)

マルクスの経済学はリカードの〔誤った〕経済学をさらに混乱させたものでしかない。ジェボンズとメンガー(Jevons and Menger)が限界革命で経済学の新たな時代を開いたとき、マルクスの活動期は終わりに近く、『資本論』の第一巻はすでに出版されていた。

〔リカードやマルクスの労働価値説を否定する〕限界理論に対してマルクスが示した唯一の反応は、『資本論』(Das Kapital)の第二巻以降の出版を遅らせることだった。それらは出版当初すでに、近代的な経済科学からかけ離れていた。

マルクスは政治的著作(political writings)でしか、力強く訴える文章を書けない。それも鮮やかな対句や覚えやすい文句、空っぽな中身を隠す言葉遊びの文によってである。

マルクスが説く救済説(doctrine of salvation)は人々の恨みを正当化し、嫉妬と欲望を復讐心に変え、歴史の使命に向かわせる。使命の自覚を促すため、君たちは人類の未来をもたらすと呼びかける。

マルクスは庶民の恨みを科学の装い(nimbus of science)で飾り立て、知的・倫理的水準の高い人々を惹きつけた。あらゆる社会主義運動は、マルクスの救済説を多少なりとも取り入れている。

2016年12月29日木曜日

池上彰『高校生からわかる「資本論」』


マルクスの幻想

マルクスの再評価を叫ぶ論者は、自由な資本主義が労働者を不幸にすると主張する。しかし歴史上、実際に労働者の生活水準を高めたのは資本主義である。論者が労働者のためを思ったつもりで唱える規制強化は、労働者をむしろ苦しめる。

本書の著者も、資本主義が労働者を不幸にするというマルクス主義者の誤った主張を無批判に受け入れ、議論を展開する。派遣切りのニュースに触れ、これは「アメリカの新自由主義」の影響で派遣労働の自由化が推進されたせいだと書く。

しかしこれは誤りだ。2004年に実施された派遣労働の規制緩和は、労働者保護を目的とする国際労働機関(ILO)の方針に基づく。欧州の高い失業率を改善するために、不安定であっても雇用機会を増やすことが必要と考えたのだ。

著者は派遣切りに憤る。だが日本で派遣社員が増えたのは正社員の雇用を守るためだ。著者自身が礼賛する労働者保護規制のせいで不況でも正社員を解雇できないため、派遣社員が調整弁に使われた。著者は規制の負の部分を無視している。

戦後日本の官僚は大学でマルクス経済学を学んだので、資本主義をコントロールしたと著者は称える。戦時中、マルクス主義をひそかに学んだ革新官僚らによって経済体制が設計され、国家総動員法で国民を苦しめたことを知らないようだ。

著者は時事問題についてわかりやすく解説してくれるが、経済の理屈がからむ話になると学生時代に親しんだというマルクスの幻想にとらわれ、いいところがない。残念だ。

2016年12月28日水曜日

〔翻訳〕政府は移民問題を解決できない

Matthew McCaffrey, Entrepreneurship is the Key to Immigration(企業家精神は移民問題のカギ)より抜粋。

市場は価格体系を頼りに、需要の緊急度が高いところから経営資源を配分する。価格体系は刻々と変化するが、それは企業家(entrepreneurs)が生産要素の将来の価格を予想するからだ。労働はそうした生産要素の一つである。

もし企業家が犯罪者の移民を職場に迎え入れたら、犯罪者は法で罰せられ、企業家は市場で罰せられる。労働市場が自由なら、移民の受け入れは個人の平和な交流(peaceful interactions)を通じて決定される。

政府は市場を真似できない。製造するべき靴の数量や品質がわからないように、移民の適切な人数や特質がわからない。リスクを取る企業家がおらず判断を助ける価格体系(price system)がないので、移民について行き当たりばったりの選択しかできない。

企業家は市場でつねに判断の正しさを試される。もし判断を誤り、怠け者や犯罪者の移民を受け入れれば、代償を払う。しかし政府は何の罰も受けない。それどころか国民の恐怖やヒステリー(fear and hysteria)を煽り、より多くの権力を握ることができる。

政府はしばしば労働組合(labor unions)の政治力に左右されるが、労組は強硬な移民反対派である。人為的に押し上げられた組合員の賃金が移民によって脅かされると知っているからだ。政府は労組をなだめるため、適切な移民でも受け入れを拒む。

2016年12月27日火曜日

岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』


等価交換という嘘

経済に関する本に「等価交換」という言葉が出てきたら、気をつけたほうがいい。等価交換とはマルクス経済学の用語であり、マルクス経済学は学問的に間違っているからだ。この語が繰り返される表題作で議論が混乱するのは当然である。

著者は「モノの売り買いとは、原則的にはおたがいに価値の等しいモノと貨幣とのあいだの交換」と述べる。しかし価値が等しいなら、わざわざ交換する意味はない。交換は、双方が互いに、より大きな価値が手に入ると思うから行われる。もし取引したモノと貨幣の価値が等しいなら、コンビニで会計を済ませた商品をその場で返品し、払ったお金を取り戻しても満足できるはずだが、誰もそんなことはしない。

著者はもったいぶって「実は、あくまでも等価交換の原則にもとづきながらも利潤を生み出すことのできる場所が、いわば場所ならぬ場所において存在する」と言う。だが等価交換という前提が間違っているから、結論も正しくはならない。

異なる二つの価値体系の間を媒介し、一方で相対的に安いものを買い、他方で相対的に高いものを売る。著者によれば、これこそ「等価交換のもとで利潤を生み出す唯一の方法」と言う。例として、地理的に離れた二つの共同体を結ぶ遠隔地貿易をあげる。

しかし現実には、同じ町や村の中でも商取引は日常的に行われるし、利潤も生まれる。価値観は集団によって異なるのではなく、個人によって異なるからだ。まったく同じ価値観を持つ個人はこの世に存在しないから、資本主義(市場経済)は必ず機能する。

このエッセイは単行本の出版から三十年以上たった今でも、不思議なほど高く評価されている。おそらくまっとうな経済学を知らない読者が文学趣味に幻惑されるからだろう。罪深いことだ。

他のエッセイ(「遅れてきたマルクス」「知識と経済不均衡」)でのワルラス批判など賛同できる部分はあるものの、等価交換という大きな誤りをカバーできるものではない。

2016年12月26日月曜日

〔翻訳〕不換紙幣という人工物

Frank Shostak, Why Are Dollar Bills Worth Anything?(ドル紙幣に価値がある理由)より抜粋。

自由な市場経済では、銀行が紙幣(paper certificates)を刷りすぎると購買力でみた価値が下がる。保有者は購買力を守るため紙幣を金に換えようとする。全員が同時にそうすれば、銀行は倒産する。だから金の裏付けのない紙幣の発行に歯止めがかかる。

しかし政府はこの歯止めを外すことができる。命令(decree)を出し、紙幣を金に換えなくてもよくするのだ。銀行はぼろ儲けのチャンスが広がり、紙幣をとめどなく刷ろうとする。物価高騰の恐れが強まり、市場経済を破壊しかねなくなる。

政府はこうした市場経済の崩壊を防ぐには、お金の供給量を管理しなければならない。銀行の過剰な紙幣発行に歯止めをかけ、連鎖倒産(bankrupting each other)を防ぐ。このため独占的な銀行(中央銀行)を設立し、紙幣量の拡大を管理する。

中央銀行は自らの権威を示すため、民間銀行の紙幣に代えて独自の紙幣を発行する。中央銀行券に購買力(purchasing power)が生まれるのは、歴史的に金の裏付けのある民間銀行券と固定レートで交換されるからだ。

俗説と異なり、ドル紙幣の価値は商品貨幣(金)との歴史的つながりから生まれた。政府の命令や社会の慣習からではない。現代の不換紙幣(fiat money)は市場経済から生まれたものではないし、生まれることもできない。

2016年12月25日日曜日

池上彰・佐藤優『希望の資本論』


『資本論』という商材

学者や評論家の世界では、明晰な論理で平易に書かれた本よりも、いたずらに難解な書物が重宝される。専門家として解説してみせ、自分の権威を高め、利益を得るのに都合がよいからだ。マルクスの『資本論』はそんな便利な商材の一つである。

本書では『資本論』のあらたかな御利益が熱心に説かれる。佐藤は同書を理解するには一年かかると言い、それには正しい読み方を教える「チューター的な人」が必要と話す。まるでカルチャースクールの売り込みのように商魂たくましい。

続く佐藤の発言は、これはもうカルチャースクールそのものだ。『資本論』の読み方を一回身につければ、「華道や茶道、あるいは外国語能力と一緒で、一生使って運用できる」。池上は「そっちの実用、効用できたか」と調子を合わせる。

さて、そんなありがたい『資本論』で何が学べるか。同書の第一巻と第三巻では、労働量の記述に矛盾がある。凡人なら、矛盾のある本はダメだと考える。しかし佐藤は、これを「視座を少し変えると事柄の本質が見えてくる」と評価する。

視座の違いと矛盾は全然別物のはずだが、佐藤にその認識はないようだ。池上も「論理の勉強になる」と同意する。矛盾の批判は論理の勉強になるが、矛盾をありがたがるのは論理的思考と正反対である。マルクスで論理は学べそうにない。

2016年12月24日土曜日

〔翻訳〕移民問題は市場に委ねよ

Jeff Deist, Market Borders, not Open Borders(移民受け入れは政府でなく、市場が決めよ)より抜粋。

移民問題については、他のあらゆる政治問題と同様、意思決定権を地方に委譲する(localized decision-making)ことが必要である。政治の単位が小さければ小さいほど、自己決定権を個人に委ねるという理想に近づく。

独政府がイスラム諸国からの移民を支援し、ドイツ人に強要している。これは市場の需要(market demand)の結果ではない。政府がお膳立てして、人々を割り振っているにすぎない。しかもその大半は本当の難民ではない。

今の各国政府は国境管理(border control)やテロのような厄介な問題にまともに対処できない。政治的な思惑がはびこり、官僚組織は非効率で、行動の動機も歪んでいるからだ。だから問題が複雑で手に負えなくなる。解決は市場に任せなければならない。

安全保障に市場が存在するように、移民にも市場がある。国境開放(open borders)を支持する人は、市場内部における好みの違いを無視している。突然の移民流入が引き起こした著しい外部性を無視するようにである。

本当の問題は、国境を開放するか規制するかではない。誰が決定するかだ。市場が多く求めれば多数の移民を受け入れ、少なくしか求めなければ少数の移民だけを受け入れる。これが自由主義者の立場(libertarian position)からの答えである。

2016年12月23日金曜日

斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』


「左派は個人主義」のウソ

右翼と左翼は、著者が述べるように、目指す方向が違うだけで、どちらも全体主義に近い。右翼と左翼を水で薄めた右派と左派も本質は同じはずだ。ところが著者は、左派だけは全体主義でなく個人主義に近いと主張する。それはおかしい。

著者が代弁する左派の主張はこうだ。「金持ちからとった税金を低所得者層にまわす再分配政策に力を入れてもらってだな、格差をできるだけ小さくしてさ、貧困対策もしっかりやってもらってさ、高校や大学の学費なんか無料にしてほしい」

この主張の一体どこが個人主義だろうか。全体の利益のために、金持ちという一部の個人を犠牲にする全体主義ではないか。それとも左派にとって、金持ちは個人のうちに入らないのだろうか。だとすればレーニンや北一輝と発想は変わらない。

著者は個人主義を擁護すると言いつつ、個人を守るうえで欠かせない、私有財産権や法の下の平等をないがしろにする。これでは国家権力と戦えない。インフレ税で財産権を侵すアベノミクスを称賛するのは、著者の議論の頼りなさを示す。

国家権力は放っておくと必ず全体主義に近づくから個人主義は大切だ、という著者の認識は正しい。ところが民主主義は個人主義に基づく制度だと著者は書く。民主主義で選ばれた権力は立派な国家権力なのだから、必ず全体主義に近づくはずだ。

個人主義でなく全体主義に近い点で、左派は右派と変わらない。全体主義を防ぐカギは、財産権と法の下の平等にある。それを理解しない限り、政府に対する有効な批判はできないし、個人の生活を守ることもできない。

2016年12月22日木曜日

〔翻訳〕金融健全化への道

Jp Cortez, Stefan Gleason, Six Steps Trump Can Take Toward Better Monetary Policy(トランプが金融政策改善に向け実行できる6つの手順)より抜粋。

健全な貨幣(sound money)への動きがぜひとも必要だ。中央銀行の廃止までいかなくても、トランプ政権が金融政策改善のために踏むことのできるいくつかの手順がある。

(1)連邦準備銀行の監査(Audit the Fed)。政治家と有権者の一致した見方によれば、連銀は政府支援機関が受けるべき最も基本的な監督さえ受けていない。幹部らは米経済を左右する決定ができるにもかかわらずである。

(2)金準備の監査(Audit the Gold)。1950年代を最後にまともな監査はほとんど行われていない。1億4734万オンスとされる金準備がまだフォートノックスの保管庫にあるとしても、リースや担保に流用されている恐れがある。

(3)貴金属課税の廃止。連邦政府のインフレ政策でドル紙幣(Federal Reserve Note)の購買力が下がると、金や銀の名目価値は全般に上昇し、「値上がり益」を生む。この利益は実質上の価値はまったくないのに、課税されてしまう。

(4)連邦準備理事会(FRB)、大統領経済諮問委員会(CEA)、商品先物取引委員会(CFTC)のメンバーに、健全な貨幣の支持者を指名すること。最もインパクトがあるのはFRBの人事だ。グリーンスパン議長に始まり、FRBは過去30年間、低金利と量的緩和で通貨供給を増やし、無責任な市場プレーヤーの救済でモラルハザード(moral hazards)をもたらした。トランプ次期大統領は7人の理事のうち4人を指名できる。

2016年12月21日水曜日

井上達夫・小林よしのり『ザ・議論!』

ザ・議論!  「リベラルVS保守」究極対決
ザ・議論!  「リベラルVS保守」究極対決

国家主義者の無知

右翼と左翼は一見正反対だが、根本は同じだ。どちらも国家主義者である。経済の道理について驚くほど無知であり、社会の問題は国家によって解決できると信じている。右翼と左翼をマイルドにした保守とリベラルも、本質は変わらない。

井上は、多国籍企業は政治的責任を問われない「経済権力」だと批判する。国が民主的に決めた税制や労働・環境規制などでコストが高くなると国外に逃避し、雇用など国内経済に悪影響が出るので、規制したくてもできないからだという。

生活や環境の防護は国家の役割だと井上は信じているようだ。だが大衆の生活水準を高め、技術改良で環境汚染を減らしてきたのは、国家ではなく企業である。規制は改善の妨げになる。井上は移動の自由の行使を、権力の行使と混同してもいる。

井上は、日本共産党は「愛国政党」だから貿易政策は保護主義を主張していると評価し、小林も賛同する。だが保護主義とは国民から輸入品を買う自由を奪って生活水準を下げ、その犠牲で一部の産業関係者を潤すことだ。愛国どころか売国の所業である。

井上は、共産党が尖閣諸島の領土主権を主張する点も愛国的だと評価し、小林も同意する。しかし、もし本気で国民の生活水準を高めたいのなら、そのような「愛国心」は有害だ。戦後日本は多くの領土を失ったが、はるかに豊かになった。

井上と小林は、ナショナリズムとは国家主義ではなく国民主義だと擁護する。しかし上記のように、具体的な主張の中身は結局国家主義である。国民主義というなら、問題解決を国家権力に頼るのでなく、国民の自由な経済活動に委ねてもいいはずだ。

戦争責任に関する井上の議論など有益な部分はあるものの、全体として高くは評価できない。

2016年12月20日火曜日

〔翻訳〕欧州はなぜ繁栄したか

Ralph Raico, The European Miracle(欧州の奇跡)より抜粋。

欧州が経済的に発展したカギは、徹底した分権化(radically decentralized)である。中国、インド、イスラム圏などと対照的に、欧州を構成したのは分断され、互いに競い合う権力だった。

ローマ滅亡後、欧州大陸全域を支配できる帝国はなかった。その代わり、欧州は王国、公国、都市国家、教会領など多数の政体からなるモザイク(mosaic)へと発展した。

この体制の下では、どの君主も財産権(property rights)を侵害できなかった。つねに他の君主と競合関係にあるため、財産没収、押収めいた課税、交易規制などをやれば必ず報いを受けた。資本と資本家が隣国に逃げ、競争相手が繁栄することになる。

君主は国内でも権利の章典(charters of rights)によって縛られ、臣民の希望をかなえるよう強いられた。割合小さな国でも権力は農園、結社、都市、宗教共同体、兵団、大学などに分散し、固有の自由を保障された。欧州の大部分で法の支配が確立された。

欧州の奇跡(European miracle)の基礎となったのは、略奪的な課税を抑制し、政府を競わせて勝手な振る舞いを制限したことである。私有財産をより自由に利用できるようになったことで、技術革新を続け、市場で試すことができた。

2016年12月19日月曜日

高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)
ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

目をそむけた本質

政治の本質は暴力である。民主主義は政治の一形態である。ゆえに民主主義の本質は暴力である。この単純な事実を、民主主義を擁護する論者は認めようとしない。レトリックでごまかそうとする。しかし、それでは正しい議論はできない。

著者は、ウォール街占拠運動のデモは、暴力から「限りなく離れることを目指しているように見える」という。たしかにデモ参加者の暴力沙汰はないかもしれない。だが彼らが求める格差社会の是正は、課税という暴力なしに実現できない。

著者は、真摯な討議を重視する「熟議民主主義」の考えに共感する。真摯な討議は良い。しかし時間には限りがあるし、民主主義の原則が多数決である以上、結局は多数の意見が少数に強制される。この問題から著者は目をそむけている。

民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、意見を聞いてくれた多数派に「ありがとう」といえるシステムだと著者はいう。しかし意見を聞いてくれたことに対する感謝と、承服できない決定を強制される理不尽や怒りとは別問題だろう。

著者は、民主主義とは「たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒にやっていくためのシステム」とも述べる。だがその理想は、民主主義であれ何であれ、政治では実現できない。真の答えは政治の外にある。

2016年12月18日日曜日

〔翻訳〕医療費高騰は政府の失敗

Dale Steinreich, Has "Market Failure" Caused High Health-Care Prices?(「市場の失敗」で医療費は高騰したのか)より抜粋。

「医療の購入優先順位(purchase priority)は食料、住居に次いで高いから医療費は高くなる」という説に根拠はない。衣服や交通手段がなければ病院に行けないから、それらの優先順位は医療より高い。それでも衣服や交通手段の値段は医療ほど高くならない。

医療業界には市場の作用(market processes)がない。新製品が出ても市場競争にさらされないので、新薬や新型機器は途方もなく高い値段で売られ、保険会社は値切りもせず支払う。当然、コストは高騰する。

問題の根本は政府に保護された大手製薬会社(Big Pharma)と、政府が強制する医療保険だ。医療の官製「市場」には規制のため競争がほとんどないので、もっと自由な市場のある産業と違い、技術が進歩しても値段が下がらない。

医療産業は規制強化の結果、民間企業としては事実上存在しない。医師会(American Medical Association)のように、特別な利害関係の上に成り立っている。

医療政策立案やコンサルタントなどの周辺産業も同様だ。誰も読まない長い論文を発行し、高級ホテルやリゾート地で延々とシンポジウムを開き、増加する問題への「解決法」(solutions)を書いて高額の報酬を得る。問題の原因は官民癒着自体なのに。

2016年12月17日土曜日

猪木武徳『自由の思想史』


社会に統治は必要か

国家と社会は違う。国家は強制で成り立つが、社会は自発的な協力に基づく。民主主義は国家の一形態で、市場経済は自発的交換だから、両者は異質だ。だから副題で「市場とデモクラシー」を一緒くたにする本書には奇妙な記述が目立つ。

著者はトマス・アクィナスに基づき、人間が生まれつき社会的な群生動物だとすれば、その集団を舵取る「統治」は不可欠だと述べる。これは国家と社会を混同した議論だ。国家には強制による統治が必要でも、自発的な社会にはいらない。

おかしなことに、著者は別の箇所ではハイエクを踏まえ、社会が自発的な交換だけで成り立つことを強調している。「経済社会では、市場での売買(交換)が、利害対立や抗争(盗みや略奪)を非人格的な力で調整する共同体を成立させる」

また著者はケインズを引き、株価は「多数の無知な個人の群集心理の結果となる世間的評価」だから、必ずしも実質的な投資価値と一致しないと書く。しかしこれも、著者が肯定的に紹介する、ハイエクの市場価格に関する見解と矛盾する。

ハイエクによれば、市場経済で、個人は経済に影響を及ぼすさまざまな事象に無知でもさしつかえない。それらはすべて市場価格に集約・反映されるからだ。政府が金利株価自体を歪めない限り、株価は実質価値から極端に離れはしない。だから民主主義の下で選ばれる政治家と政策が人々の考える価値と必ずしも一致しないことを、株式市場の譬喩で論じる著者の議論は正しくない。

本書には個別に興味深いエピソードはあるものの、それら相互の関係を掘り下げないまま終わる。このような総花主義は、著者自身が強調する「真理に近づく」態度にふさわしくない。

2016年12月16日金曜日

〔翻訳〕CIAという無能な役所

Ryan McMaken, The CIA Has Always Been Incompetent(CIAは昔から無能)より抜粋。

「ロシアは米大統領選を操作していた」と結論づけたCIAを、トランプは「フセインが大量破壊兵器を持っていると言ったのと同じ連中さ」と一笑に付した。ワシントン・ポスト紙(Washington Post)ですら、推論に頼って事実を重視していないと認める。

CIAは典型的な役所(government agencies)でしかない。多くの時間を議会対策に費やし、一番の動機といえば自分たちの計画・予算を守ることと権限拡大だ。公共選択論が教えるとおり、この行動は利己的な官僚集団そのものである。

「自由な市場」の味方を自称し、制限された政府(limited government)を求めると言ったそばから、CIAのやることを何でも擁護する無邪気な人たちがいる。「安全を守ってくれるから」だそうだ。

CIAはソ連(Soviet Union)崩壊の直前まで、同国の経済力は強大で、米国を圧倒しそうだと主張していた。冷戦中、CIAの最大の存在理由はソ連情報の収集・分析だったにもかかわらず、それに見事に失敗したのだから、廃止されても当然だったろう。

CIAによれば、最近ロシアの脅威がまたぞろ迫っているという。しかし実際に証拠を見せることができるのだろうか。「とにかく信じろ」(Just trust us)という言葉しかないように思える。

2016年12月15日木曜日

副島隆彦『ユーロ恐慌』


「デフレは不況」の勘違い

インフレとは本来、通貨量が膨張することで、今では物価全般が上昇する現象を指す。デフレとは逆に通貨量が収縮することで、今では物価全般が下落する現象を指す。インフレに好況という意味はないし、デフレに不況という意味もない。

「インフレは好況(好景気)」「デフレは不況(不景気)」と誤解している人は少なくない。それが一般の人ならやむをえない。だが経済の専門家を名乗る人物となると、洒落にならない。本書の著者は以前からその誤りを繰り返している。

本書でもそうだ。第三章にこんな記述がある。「デフレ経済(大不況)というのは実に恐ろしいものだ」。デフレ経済をカッコで大不況と説明している。デフレと不況の混同である。同じ章に「インフレ(成長経済)」という表現もある。

もしかすると著者は、「デフレのときには不況になりやすい」「インフレのときには好況になりやすい」と言いたいのだろうか。そうだとしても、やはり誤りだ。アトキンソンらの実証研究によれば、デフレと不況の関連性はまったくない

日銀のマイナス金利や量的緩和に対する著者の批判は正しい。しかしデフレは悪という迷信を信じる点で、政府・日銀と変わらない。だから公共事業という別の介入を推奨する国家主義者ケインズを「偉大なるケインズ」などと持ち上げる。

2016年12月14日水曜日

〔翻訳〕政府は思考の反面教師

Jeffrey Tucker, 5 Ways To Think Like a State(政府のような5つの思考法)より抜粋。

どの政府機関にもみられる誤った思考法(way of thinking)の特徴は何だろうか。どうすれば政府のように考えられるか、探ってみよう。

(1)知るべきことは何でも承知していると思い込む。社会は決まった仕組みで動き、予定どおりの結果になると考える。物事にはつながりがあることを知らず、歴史は展開次第で予想外の結果(unexpected results)に至ることを知らない。

(2)勝利に導くのは強制だと思い込む。国家主義思考の特徴で、一番露骨なのは戦時だ。反乱軍には「衝撃と畏怖」(shock and awe)で対抗しろ。ダメなら戦車だ、大砲だ、情宣だ、増派だ。手荒なほど抑止力になると信じているらしい。

(3)意見が違う者は必ず裏切り者や反逆者になると思い込む。政府の考えでは、良い市民には二種類しかない。奴隷(serf)かおべっか使い(sycophant)だ。それ以外は反逆者として監視されるか、売国奴として滅ぼされなければならない。

(4)思想より物質の世界が重要だと思い込む。政府の特徴は、物的財産に対する支配である。物を愛するあまり、壮大でいかめしい官庁を建て、巨大な記念碑(monuments)を造る。しかし結局、人の心は支配できない。

(5)許可なしに計画変更を認めない。政府は社会秩序(social order)の最終形を知っており、それは強制によって達成でき、想定外の事態はありえない。だとすれば、予定外の変化が起こらないようにするのが一番ということになる。

2016年12月13日火曜日

橋本卓典『捨てられる銀行』

捨てられる銀行 (講談社現代新書)
捨てられる銀行 (講談社現代新書)

金融庁を捨てよう

自由な市場では、企業は顧客を満足させるよう努める。さもなければ顧客から見放され、淘汰されるからだ。しかし政府が経済に介入すると、顧客より政府の顔色をうかがって仕事をするようになる。その場合、企業を責めるのは的外れだ。

著者は、ほとんどの地方銀行が顧客本意の経営をしておらず、このままでは見捨てられるだろうと批判する。しかし著者自身の記述を読むだけで、銀行の経営姿勢をゆがめたのは、金融庁をはじめとする政府の介入政策であることがわかる。

特に問題な政策は二つある。一つは金融検査マニュアル。無担保の短期継続融資(短コロ)はかつてごく一般的な貸し出しの手法だったが、正常運転資金を超えれば不良債権とマニュアルでみなされたため、銀行は震え上がって正常範囲内でも担保付き長期融資に変更。取引先の業況に無関心になった。

もう一つは信用保証制度。中小企業が倒産などで銀行からの借金を返済できない場合、信用保証協会が100%肩代わりする。小渕、麻生政権下で拡大。銀行は貸し倒れのリスクから解放される代わりに、企業の事業価値を見る力を失った。

著者は金融庁を変えようとする森信親長官に期待する。しかし森長官の方針は安倍政権が唱える「地方創生」に沿ったもので、経済の道理より政治の都合を優先する過ちを繰り返している。見捨てられるべきなのは銀行ではなく、金融庁だ。

2016年12月12日月曜日

〔翻訳〕ロボットがもたらす福音

Thomas E. Woods, Jr., The Good News They're Not Telling You(語られない福音)より抜粋。

昔、多くの人は農民だったが、仕事の99%は機械が取って代わった。人間は以前なら想像もしなかった新しい仕事(brand new jobs)を始めた。それによって私たちはより人間らしくなったといえる。機械にできない多様なことをやれるようになったからだ。

人間は半導体(computer chips)を作れないし、CATスキャンのように人体を1平方ミリメートルごとに検査してがん細胞を見つけることもできない。人間には物理的に無理で、ロボットにしかできない仕事はたくさんある。

効率が求められる仕事はロボットに任せよう。人間は効率や生産性一辺倒でない仕事をやろう。人間関係(relationships)、創造性、触れ合い、人間らしい仕事に専念しよう。 

機械化による大幅な効率向上で、社会はすばらしく豊かになった。競争によって物価が下がり、購買力が高まる。収入は名目で減っても、前より多くの物が買える。これは産業革命(Industrial Revolution)以降、人間が豊かになってきた道筋だ。

物質的な解放は人間を精神的にも解放し、以前より充実した人生(fulfilling lives)を可能にした。「カネで幸せは買えない」などという決まり文句は御免だ。これで幸せになれないなら、満足できるものは何もないだろう。

2016年12月11日日曜日

池上彰・佐藤優『新・リーダー論』

新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)
新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)

法の支配を知らないか

日本国憲法第84条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と定める。租税法律主義だ。税金に関する論議がかまびすしい中、この条文はほとんど見向きもされない。

本書の議論はその典型だ。対談者の頭には、行政の恣意的な課税から国民を守ろうという意識のかけらもない。パナマ文書で明らかになったある節税について、池上は「『合法的』に納税額を減らす仕組み」と「合法的」にカッコを付ける。

カッコ付きの「合法的」は言外に、「合法な形式をとりつくろっているが実質違法」という意味を匂わせる。この論法は租税法律主義を有名無実にする。法律で定めた課税要件に当たらなくても財産が保護されないなら、定める意味がない。

佐藤も負けていない。「国家の庇護を受けているエリートが、正当に税金を払わないのは、本来、許されるべきではありません」とのたまう。脱税ならともかく、合法な節税が許されない根拠は、一体何なのか。少なくとも法ではあるまい。

リーダーに法の支配は欠かせない知識のはずだけれども、本書では学べそうにない。佐藤は反ユダヤ主義の台頭を懸念してみせるが、かつてその根底に裕福なユダヤ人への嫉妬や憎悪、法の支配の無視があったことを知らないはずはなかろう。

2016年12月10日土曜日

〔翻訳〕労働法は既得権の味方

Ferghane Azihari, Will Europe's Labor Laws Kill the Gig Economy?(欧州の労働法でギグエコノミーは滅びるか)より抜粋。

米ウーバーは英国で初の訴訟に敗れ、運転手との法的関係の性質を見直すよう命じられた。運転手らは独立した請負業者(independent contractors)ではなく、労働者としての権利を主張していた。

西欧諸国の法理論によれば、労働者と請負業者の違いは、労働者が雇用主と服従関係(relationship of subordination)にある点という。雇用主は従業員に対し支配・制裁権があるとされ、そのため雇用主の権力から従業員を守る特別なルールが正当化される。

現実には従業員(employees)と請負業者の区別は恣意的だ。これは労働法が首尾一貫していないことを示す。もし首尾一貫させるなら、労働法はどんな仕事にも適用されなければならない。取引費用の高騰で分業の効率が落ち、社会は貧しくなるだろう。

労働法は特別な保護(special protections)を一部の労働者だけに認め、他の労働者には認めない。これは法の下の平等の原則に反する。自由な労働を妨げられないことこそ、独立請負の利点だ。契約の自由が広がり、より柔軟な働き方ができる。

左翼政党は、独立請負は労働法をかいくぐる「不当安売り制度」(social dumping mechanism)とみる。これは偽善だ。独立請負は、既得権を守る有害な労働法を駆逐する。一部の労働者が楽に暮らせるのは、幸運にも「社員」という保護された地位を手に入れたからだ。

2016年12月9日金曜日

司馬遼太郎『大坂侍』


武士の偽善と愚かしさ

武士のなりわいは人殺しだが、歴史小説ではたいてい英雄になる。本書の著者による『国盗り物語』『関ヶ原』などがそうである。しかしここに収められた初期諸短編は、大坂商人らとの対比で、武士の偽善や愚かしさを突き放して描く。

剣客と談合屋の二足のわらじを履く佐平次は、仇討とは武士の商売だと言い放つ。仇を討てば士官できるといった利益が動機だからだ。商人の与七も言う。「武士が仇を討てば儲かるが、町人の仇討は、ただの人殺し」(「難波村の仇討」)

泥棒の佐渡八は農民出身の新選組局長、近藤勇に向かい、武士をまねて人殺しをすることなどやめ、泥棒になれと説く。近藤が「武士が泥棒になれるか」と憤ると、「こいつ、人殺しのほうが、一格上と思うてくさる」(「盗賊と間者」)。

川同心の鳥居又七は、武士は取引をする商人ではなく、「喧嘩をするもの」だと自分に言い聞かせる。だが上野戦争で官軍に惨敗し、逃げながら、悪夢から醒めたように思う。「武士なんざ、所詮は逃げる商売かも知れねえ」(「大坂侍」)

大和出身の中間、団平にいわせれば、忠義とは「三河から東の田舎者が江戸へ持ちこんだ祭文」にすぎない。上方には別の道徳がある。それは「男女のまこと」だ(「和州長者」)。建前に縛られた忠義などより、はるかに人間的といえる。

2016年12月8日木曜日

〔翻訳〕キューバ医療の現実

John R. Graham, Castro’s Death and Cuban Health Care(カストロの死とキューバの医療)より抜粋。

ウィキリークスが公表した米情報機関の通信によれば、キューバでは多くの若いガン患者が手術後、C型肝炎(Hepatitis C)に感染している。事前の血液検査が不適切だったためとみられる。患者は感染が及ぼす深刻な影響について十分知らされていない。

入院患者は部屋に灯りがほしければ、自分で電球(light bulbs)を用意しなければならない。シーツ、タオル、石鹸、栄養補助食品も自前だ。病院食は毎日、米、魚、卵、ジャガイモばかりで、新鮮な果物や野菜、肉は出ない。

検査機器はひどく原始的である。簡単な全血球計算(complete blood count)は検査技師が手作業で行う。顕微鏡をのぞき、白血球、リンパ球、単球などを数えるのだ。 

マイケル・ムーア監督が映画「シッコ」で称えた1982年設立の大病院は、患者の多くが国際共同事業「オペラシオン・ミラグロ(奇跡の手術)」(Operation Milagro)で無償手術を受けるベネズエラなどの外国人である。最上層は最も近代的で、医療観光客や外交官が予約し、外貨で支払う。

普通のキューバ人患者(Ordinary Cuban patients)はこの病院に入れない。同病院は医療観光客を呼び込もうと、英語のウェブサイトでサービスを売り込んでいる。

2016年12月7日水曜日

中野京子『印象派で「近代」を読む』


芸術と企業家精神

技術革新はしばしば社会に軋轢をもたらす。上は政治エリートから下は古い産業の労働者まで、既得権益を脅かされる人々が反発・抵抗するからだ。しかし政治力で技術の進歩を妨げれば、社会は停滞し、物質的にも精神的にも貧しくなる。

本書によれば、印象派絵画に決定的な影響を与えた発明品がある。チューブ入りの既製絵具だ。19世紀になるまで、画家は使うだけの分量の絵具を工房内でそのつど調合して作らなければならず、戸外に出て絵を描くことはできなかった。

携帯しやすい既製絵具の発明によって、画家は外へ飛び出せるようになった。ここで著者は興味深い事実を明かす。既製絵具の販売を始めたのは、「画家になれなかった人たち、あるいは画家として生活してゆけない人たち」だったという。

1700年代の終わり頃、創作を断念した元画家や画家志望者は、自分たちであらかじめ練って作った、さまざまな色の絵具を売り出す。これは今でいう「起業」だと著者は述べる。その後、金属製チューブやネジ式キャップも発明された。

写真技術も絵画に大きな影響を及ぼした。肖像画家への打撃は深刻で、新古典派の大家アングルは政府に写真禁止を求めたという。だが一方で画家たちは写真を参考に斬新な表現を切り拓いた。写真を禁止すればこの進歩はなかっただろう。

写真の登場という衝撃をきっかけに、印象派もそのライバルであるアカデミー派も真剣に道を模索し、それがかえって絵画の質を高めたと著者は指摘する。技術革新による変化を恐れず、むしろ飛躍のばねにする企業家精神が社会を豊かにする。それは芸術の世界でも変わらない。

2016年12月6日火曜日

〔翻訳〕GDPのおかしな論理

Per Bylund, The Faulty Logic of GDP Necessitates an Economic Paradigm Shift(GDPの論理は誤り、経済学のパラダイムシフトが必要)より抜粋。

国内総生産(GDP)の誤りは、生産とは消費者価値(consumer value)を正味で増やすにすぎないと想定していることだ。ある企業が製品を作ることによって加える価値は、製品の金額とコストの差だけだと思われている。

GDPのもう一つの誤りは、企業間取引(B2B)よりも企業対消費者間取引(B2C)を過大評価することだ。企業間取引は投資の規模やビジネスチャンス(opportunity)が大きいにもかかわらずである。

GDPはイノベーション(技術革新)の価値を事後的にしか正しく測ることができない。投資は成功しない限り、損失(loss)とみなされる。だから将来の生産に向けて投資する国は衰退しているようにみえる。

GDPは生産性を改善する試みを事実上すべて無視する。消費を増やさないからだ。またGDPの想定によれば、消費が生産を左右する。これは誤りだ。現実には、企業家(entrepreneurs)は消費者が何を買いたがるか考え、それを作る。

GDPは経済を誤って理解し、政府統計でわかるものだけを勘定する。純消費、純利益、純なんとか、純かんとか……。誤った論理がまかり通って80年近くになる。そろそろ経済学のパラダイムシフト(paradigm shift)の時期だ。

2016年12月5日月曜日

セイラー『行動経済学の逆襲』

行動経済学の逆襲 (早川書房)
行動経済学の逆襲 (早川書房)

自由を奪う「自由主義」

昔の経済学者は政府に対峙し、財産権の侵害や経済的自由の束縛を批判したものだった。しかし今の経済学者は進んで政府に協力し、個人の自由を奪おうとする。これは主流派だけでなく、「異端」とされる経済学者の大半にもあてはまる。

著者セイラーもその一人だ。彼は自分の立場を「リバタリアン・パターナリズム」と呼ぶ。直訳すれば、自由主義的な温情主義。自分が専門とする行動経済学の知見を生かせば、人々に強制することなく、よい意思決定を助けられるという。

英国の徴税当局が税滞納者から未納金を徴収しようと、助言を求めてきた。コストはかけたくない。そこでセイラーらは実地実験で、督促状に「ごく少数の方が税金を期限内に支払っておられず、あなたはその1人です」などの文を加えた。

人々をあるルールに従わせたいなら、他のほとんどの人はそうしていると告げることが有効だからという。実際、23日間で最大900万ポンド(約13億円)の税収をもたらした。セイラーは「とてもコスト効果の高い戦略」と自賛する。

しかしセイラーは忘れている。督促状は納税を強制しなくても、結局のところ納税は強制だから人は支払うのだ。しかも巧みな脅し文句によって、より多くの財産を召し上げられる。納税者にとって「よい意思決定」と呼ぶのは無理がある。

他に例示される駐車違反にしろ臓器提供にしろ、セイラーはつねに政府の仕事を手伝うという態度で助言し、そもそも政府にその仕事を任せるべきかどうかについてほとんど疑いを投げかけない。

もしこれが行動経済学の本質なら、政府に重宝されるのも当然だ。主流派だけでなく、異端までが喜々として権力の侍女を務める現代経済学の病は膏肓に入ったといわなければならない。

2016年12月4日日曜日

〔翻訳〕最低賃金上げの犠牲者たち

Mark J. Perry, Faces of the $15 Minimum Wage Victims(最低賃金15ドルの犠牲者たちの顔)より抜粋。

最低賃金時給15ドルを求める労働運動「Fight for 15」に関する議論で経済の現実(economic reality)を知ってもらおうと、シンクタンクEPIは新たに4本のミニ・ドキュメンタリーを公開した。最低賃金の劇的な上昇の犠牲者を描いている。

カリフォルニア州サクラメント(Sacramento)の書店は、同州が予定する時給15ドルへの最低賃金引き上げによるコスト増加を吸収できず、閉店せざるをえなくなった。

同じくカリフォルニア州サンフェルナンド(San Fernando)の衣料品メーカーは、最低賃金引き上げ計画を受け、同州を去り、ネバダ州に引っ越す。

ニューヨーク市ブルックリン(Brooklyn)のレストランも、閉店せざるをえなくなった。最低賃金引き上げでコストが増えるが、メニューを値上げしてお客に転嫁することができない。お客はブルーカラー労働者だ。

カリフォルニア州オークランド(Oakland)の託児所はやむなく、従業員を減らし、勤務時間を短くした。無料の送迎サービスも縮小した。最低賃金の引き上げに伴いコストが増えたからだ。

2016年12月3日土曜日

藤巻健史『国家は破綻する』


ハイパーインフレより怖いもの

ハイパーインフレは経済事象の中で最悪のものの一つとされる。たしかに悪夢のような事態だが、誰もが異常だとわかる。ところが年数%の「穏やかな」インフレは、お金の価値が奪われる点は同じなのに、気づかれにくい。むしろ悪質だ。

日本の財政については「純債務は大きくないから大丈夫」「換金可能な金融資産の割合が大きい」という楽観論がある。これに対し著者は、金融資産でも短期に現金化できるものは少なく、資金繰り倒産のリスクが大きいと正しく反論する。

そのうえで著者は、財務省・日銀は十年間、5~7%の穏やかなインフレを起こして財政再建をめざすつもりとみて、「建設的」な案だと評価する。しかし実際には制御できずにハイパーインフレに陥り、「国民は地獄を見る」と警告する。

だがハイパーインフレなら「地獄」で、マイルドインフレなら「建設的」という考えは正しくない。穏やかなインフレを十年続けると実質国債残高は半減すると著者はいうが、これは国債保有者にとって財産が実質半減することを意味する。

ハイパーインフレは明らかに悪だから、歯止めがかかりやすい。しかし穏やかなインフレはむしろ善という迷信が政府や経済学者、評論家によって流布され、国民の財産を長期にわたり奪い取る。ある意味でハイパーインフレより怖ろしい。

2016年12月2日金曜日

〔翻訳〕輸出促進の勘違い

David Boaz, The Benefit of Trade Is the Import; The Cost Is the Export(貿易の利得は輸入、代価は輸出)より抜粋。

貿易の利得(benefit)は輸入であり、代価(cost)は輸出である。政治家はこのことを理解していないようだ。

オバマ大統領(President Obama)は「貿易と輸出を増やし米国の雇用を促進しよう」という公式声明で、輸出という言葉を40回以上も使った。輸入は1回もなかった。

共和党のポートマン上院議員によれば、貿易協定(trade agreement)は「米国の輸出増加にとってきわめて重要」という。1996年の大統領選でブキャナン候補は「米国製品をもっと多く輸出しなければならない」と述べた。完全に間違っている。

海外製品を手に入れるのに必要な分以上に、自分たちの富(wealth)を国外に送りたくはない。

サウジアラビアが石油を、韓国がテレビをタダでくれれば、米国民は得をする。テレビ製造に使われていた労働と資本(people and capital)が、他の製品の生産に移ることができるからだ。

2016年12月1日木曜日

リドレー『繁栄』

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史
繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

悲観主義を吹き飛ばせ

「経済成長はもう限界」「温暖化で未来は悲惨」――。近年、こんな暗い予測がもてはやされる。こうした悲観主義に対し、「合理的な楽観主義者」を自称する著者は異を唱える。人類の生活や環境の改善に限界はない。カギは「交換」だ。

著者は論じる。生殖によって異なる個体の遺伝子が組み合わさると、生物の進化は加速する。同様に、物の交換を通じて知識が融合すると、文化の成長は加速する。血縁者以外との交換は他の動物にはない習性で、人類を繁栄に導いてきた。

知識のすばらしさは無尽蔵であることだ。アイデアや発見、発明が枯渇することなど理論的にもありえないし、それらには無数の組み合わせがある。だからイノベーション(技術革新)には終わりがない。この事実が著者の楽観論を支える。

悲観主義者の2枚の「切り札」はアフリカと気候変動だ。しかし技術革新が明るい見通しをもたらす。ケニアでは総人口の4分の1が2000年以降に携帯電話を購入。農夫は作物が一番の高値で売れる市場を探し出し、暮らしが楽になったという。

かりに国連の予測どおり地球の気温が今世紀中に3℃上昇しても、むしろ環境にはプラスという。温暖な気候や降雨、二酸化炭素の濃度上昇により寒冷・乾燥地帯でも食糧の収穫が増える。新技術と相まって農地は最小限で済むようになる。

繁栄は権力者という捕食者・寄生者によって妨げられる恐れもある。しかしそれはせいぜい一時の挫折にとどまると著者はみる。人類の交換と専門化がこの地球のどこかで続く限り、文化は進化するからである。非合理なナショナリズムの空元気などとは無縁な、理性に裏づけられた希望を与える書だ。