2016年7月31日日曜日

〔翻訳〕不換紙幣と所得格差

*Philipp Bagus, Our Monetary System Favors the Rich and Hurts the Poor(「私たちの金融制度は金持ちに有利で、貧困者を傷つける」)より抜粋。

今の不換紙幣制度でお金が新たに作られると、必ず富の再分配が起こる。得をするのは、お金を先に手に入れ、物価がまだ安いうちにそれを使える人々。損をするのは、お金をあとから手に入れ、収入より早く(faster than their income)物価が上がってしまう人々だ。

新しいお金を最初に手に入れ、それによって得をするグループには、政府や金融関係者(the government and the financial system)がいる。

これまで資産価格(Asset prices)の上昇は所得よりも大きかった。普通の所得で普通の家を買うのは難しくなる一方だ。不換紙幣制度のせいで、人々は人生の早い時期に借金をし、家を買わざるをえない。

今の不換紙幣制度の下で裕福でいるために重要なのは、革新的な企業家として消費者を満足させることよりも、新しいお金を早くたやすく手に入れることだ。純粋な金本位制(pure gold standard)になれば、そうした方法で金持ちの地位を守ることはできなくなる。

道徳的に正当な不平等とそうでない不平等(morally justified and unjustified inequality)を区別しなければならない。生産的で人々の望みを満足させて裕福になる人は、称えよう。政府の許認可や規制、課税、不換紙幣制度などを利用して裕福になることは、不正である。

2016年7月30日土曜日

マクニール『マクニール世界史講義』



政府という搾取者

人間社会は搾取する者とされる者で成り立つなどと言えば、カビの生えたマルクス史観かとうんざりするかもしれない。そうではない。世界的に著名な歴史学の長老の説だ。ただし、搾取する者は資本家ではない。政府である。

著者マクニールは、微生物が人間に寄生する「ミクロ寄生」をヒントに、人間の集団や階級間の搾取関係を「マクロ寄生」と呼ぶ。小作農に労働を強制する地主、農村に押し入る武装した侵略者は、典型的なマクロ寄生者である。

著者がもう1つ挙げる寄生者の例は、税や地代の集金人である。現代流にいえば、著者はその言葉を使っていないが、政府である。その収奪のやり方は侵略者のように露骨ではなく、「支払う者が死なない程度の額」を搾り取る。

マルクスは資本家が労働者を搾取すると主張したが、その根拠は経済学的に破綻した「労働価値説」で、真の搾取者を見抜けなかった。マクニールははるかに簡明に、搾取者は政府だという政治的に不都合な事実を淡々と述べる。

マクニール自身は意図していないだろうし、彼のブームに喜ぶ出版関係者も気づいていないだろうが、政府は搾取者という事実は、納税拒否という非暴力革命に正当な根拠を与える。お行儀のよい教養書として読まれるには惜しい。

2016年7月29日金曜日

〔翻訳〕最低賃金は若者を苦しめる

*Chris Shaw, Britain's Minimum Wage Short-Changes Young Workers(「英国の最低賃金は若い労働者に貧乏くじを引かせる」)より抜粋。

1999年、英ブレア政権(Blair government)が導入した全国最低賃金は、搾取労働と低賃金に取り組む最善の政策と見られてきた。だが影響は深刻で、若者の失業は増加。…過去12年間で18~24歳の失業者数は78%増え、全体の42%を上回った。

労働市場は麻痺(stunted)。労働コストが人為的に高くされ、起業が難しくなった。賃金に上限が生じた。労働者は、大企業が賃金を定める独占的市場に押し込められた。英国産業連盟(日本の経団連に相当)が最低賃金を熱心に支持するのも当然だ。

若者は政府の職業訓練や必要以上に高度な教育(higher education)を受けるか、引きこもるしかない。彼らの技能や特質は、政府の介入のせいで失われる。

民間の実習(firm-led apprenticeships)と異なり、政府の職業訓練は仕事場でなく教室で行われる。若い労働者が習うのは実地の技能でなく、雇用に役立たない基礎技能である。最低賃金による高い人件費やその他の規制のせいで、自分で起業することもできない。

多数の失業といい、労働市場がきわめて不自由で硬直的になったことといい、英国の若者は、政府の短期的な戦略(最低賃金導入)がもたらした長期的な影響(long-term consequences)に苦しめられている。

2016年7月28日木曜日

稲葉振一郎『不平等との闘い』



浅はかなピケティ

『21世紀の資本』で起こったピケティ・ブームを受け、経済的不平等論について整理した本。著者にその意図はないはずだが、読むにつれ、ピケティが不平等論にとって根本的な問題を考えていない思慮の浅い学者だとわかる。

経済的不平等に関しては、大きく2つの対立する意見がある。一言でいえば、「成長か格差是正か」。富の格差は是正しなければならないという考えと、社会全体が豊かになり貧困が減れば格差は問題ないという考えだ。

「成長か格差是正か」の意見対立は、18世紀のルソーとアダム・スミスの論争に遡ると著者は指摘する。ルソーは市場経済が不平等と貧困をもたらすと批判し、スミスは不平等が貧困の改善を伴っているから問題はないと反論した。

ルソーとスミスのどちらが正しいかについて著者は判断を保留しているが、問題は貧困なのだから、ルソーでなくスミスが正しい。格差是正のために政府が介入すれば、経済が不効率になり、社会全体が貧しくなる。ところが欧米の左がかった学者先生の間では、いまだによく理解されていないらしい。

さて著者によれば、ピケティは「平等を追求すべきなのはなぜなのか?」「平等を追求するとどんなよいことがあり、それを軽視するとどのような悪いことがあるのか?」という根本の議論を「十分に深めていない、あるいはそうした問いかけをなされた時に、応える準備が十分でない」ように見えるという。

たしかに、あの分厚い『21世紀の資本』を最後まで読んでも、訳者の山形浩生も認めるように、「格差が拡大すると何がいけない?」という本質的問いに対する説明は一切ない。世間で「知の巨人」ともてはやすにしては、お粗末すぎる。

2016年7月27日水曜日

〔翻訳〕国境というライフライン

*Ryan McMaken, We Need More Borders and More States(「国境と国家を増やそう」)より抜粋。
 
国境は国外からの物や人(goods and people)を排除するかもしれないが、その一方で、他の国家を排除するという機能もある。

(物資の不足に苦しむ)ベネズエラ人にとって、コロンビアとの国境は今やライフライン(lifeline)となった。ベネズエラ人は国境で日用品や食品を手に入れ、社会主義政策が強いる窮乏生活から多少逃れることができるようになった。

さいわい、ベネズエラは中規模な(medium-sized)国家である。もし同国がブラジルやロシアのように大きな国だったら、あるいは最悪の場合、世界が一つの国だったら、どれほど悲惨なことになっていたか想像するしかない。

もし選択・移動の自由を好み、横暴な政権(overbearing regimes)から逃れたいのであれば、答えは(分離独立により)国境と国家を増やすことにある。国境は物や人間の移動をしばしば妨げるけれども、既存の国家の権力・権限を制限し、自由のチャンスを広げる。

小規模な国家(smaller states)は市場や人々に対する規制を国外に及ぼすことが難しいため、生き残り繁栄するために、他国との自由な貿易に頼る可能性が大きい。

2016年7月26日火曜日

橘玲『言ってはいけない』



「機会の平等」 の幻想

親が高収入だと子供の学歴が高い。だから教育機会の平等のために、貧しい家庭に財産を再分配せよ――。左派はそう主張する。だがそれは間違いである。本書は進展著しい進化論の知見に基づき、現代のタブーを暴く。

近年の研究により、「知能が環境のみによって決まる」という仮説は否定された。親が高収入だから子供が高学歴になるとはいえない。知能の高い親は社会的に成功し、同時に遺伝によって子供は高学歴になるのかもしれない。

「男と女は生まれながらにして違っている」などと公の場で言えば、女性差別を正当化するものとして袋叩きは必至だ。しかし遺伝学や脳科学は、男女は生まれつき、満足を感じる対象が異なることを示唆する。

欧米で物理学・工学の博士号を取得する女性は5%を下回る。これは、男性は物、女性は人を相手にした仕事をそれぞれ好むという志向の違いが原因という。職業選択の自由のない旧ソ連では男女はほぼ同数だった。

旧ソ連のような「平等な社会」より、女性が有能な医師や弁護士、教師など人を相手とする仕事で活躍できる自由な社会のほうがずっといい、という著者の主張はもちろん正しい。平等のイデオロギーは人を不幸にする。

明らかに社会主義的な「結果の平等」に批判的な人でも、「機会の平等」は何となく支持し、それを実現するための所得再分配に賛成する場合が少なくない。しかし人間の遺伝的資質が異なる以上、政府が「機会の平等」を実現できるという考えは幻想にすぎない。

2016年7月25日月曜日

〔翻訳〕クリントンとトランプは違わない

*Richard M. Ebeling, Clinton and Trump Embody Plunder and Paternalism(「クリントンとトランプは略奪と干渉主義を体現」)より抜粋。

クリントンとトランプの政治方針は同工異曲にすぎない。どちらもめざすのは経済に介入する福祉国家(interventionist-welfare state)。違う点といえば、異なる特別利害関係者やイデオロギー集団に取り入るところだけだ。

クリントンもトランプも、有権者にタダでさまざまな物をやると約束している。クリントンの場合は大学授業料(college tuition)の無料化ないし大幅補助。トランプの場合はメキシコ国境の壁。どちらも高給でグローバル経済の現実から守られる「仕事」を約束する。

クリントンとトランプの政策が違って見える部分も、その手段は同じだ。トランプは政府権力(governmental power)を使い、米国の脅威とみなした人々を締め出す。クリントンは政府権力を使い、人々を無理やり交流させる。どちらも、人々が市場で行った選択を罰する。

もし政府に富を再分配し社会・経済関係(social and marketplace relationships)を規制する権力がなければ、クリントンやトランプのような連中は政治の世界に入ってこないだろう。政治的な収奪という彼らの目的に利用できないからだ。

アメリカ建国(founding of the American Republic)をもたらした自由で自律的な個人という理念と理想。それにもっとふさわしい、人間の自由や平和で自主的な社会・経済関係のビジョンに向けた変革が始まるまで、クリントンやトランプのような政治候補者はいなくならないだろう。

2016年7月24日日曜日

木村草太『テレビが伝えない憲法の話』



世界に軍は存在しない!?

憲法9条は日本特有の異常な規定などではない、国際法というグローバルスタンダードに則った「普通の」内容にすぎない――。憲法学者の著者は護憲派の人々が喜ぶようなことを言う。だがこの無理のある解釈は、異様な結論を導く。

著者は言う。憲法9条の条文は、一見すると、武器を用いる組織の設立を完全に禁じているように読める。しかし「法律の文言は、日常用語とは異なる」。実は、9条の内容は、国際法を理解しないとわからないと言う。

結論を言えば、現在の国際法は戦争を含む武力行使を禁止し、例外的に個別的・集団的自衛権の行使と国連の集団安全保障への参加を認める。憲法9条はこの原則を確認したものだと著者は述べる(ただし集団的自衛権の行使は除く)。

だが何かおかしい。国際法が戦争を違法とし、憲法9条2項と同じく「陸海空軍」を禁じるのなら、世界中の国が現に持つ軍隊は、何なのか。著者は驚くべきことを言う。「憲法9条2項の意味での『陸海空軍』を持つ国はないはずだ」

世界最強の米軍も、やっているのはあくまで自衛権の行使で、戦争ではないと考えれば、軍ではないことになるらしい。理屈は合っても、現実離れしすぎだろう。これで憲法によって国家権力の暴走を防げるのか、はなはだ心もとない。

2016年7月23日土曜日

〔翻訳〕民主主義とジェノサイド

Hans-Hermann Hoppe, The Paradox of Imperialism(「帝国主義の逆説」)より抜粋。

国内経済に税と規制(tax and regulation)の負担が小さいほど、人口が増え、多くの富が創造される。政府はその富で隣国と戦争ができる。税と規制が比較的少ない自由主義国家は、自由でない国家を食い物にして、領域や覇権を広げることができる。

民主主義は支配する者とされる者(the rulers and the ruled)の区別をあいまいにし、市民と国家の一体化を強めた。民主主義国の戦争は観念的な争い、文明の衝突になった。解決しうる唯一の手段は文化・言語・宗教的な支配、征服、必要なら根絶である。

自由の基礎は私有財産制度(institution of private property)である。そして排他的な私有財産は、民主主義(多数決ルール)と論理的に両立不可能である。

第一次世界大戦前のドイツやオーストリア(Germany and Austria)は王制だが独裁国ではなかった。米国では反戦主義者は投獄され、ドイツ語は事実上禁止、ドイツ系市民は公然と嫌がらせされ、しばしば改名を迫られた。ドイツやオーストリアでこんなことはなかった。

米国で南部連邦(Southern Confederacy)が武力征服され、民主主義が勝利した後、政府はたちまちプレーンズ・インディアンを絶滅させた。民主主義は多民族社会では機能しない。平和をもたらすのでなく、紛争を促し、ジェノサイドの可能性を秘める。

2016年7月22日金曜日

金子光晴『自由について』



奴隷根性の国

日本は世界で一番人気があるとか、尊敬されているとかという空虚な「元気が出る本」とは正反対の書。反骨の詩人として知られる著者、金子光晴は日本人の情けなさを痛烈に批判する。一言でいえば、それは「奴隷根性」である。

「劣等意識の安心感」ともいうべき奴隷根性はどの国民にもあるが、日本人のそれは根が深い。民衆反乱が頻発した中国と違い、「王侯将相なんぞ種あらんや」という気概がない。日本の支配層はそれにつけ込んで、繁栄してきた。

著者は吐き捨てるように書く。「奴隷には奴隷のかしこい生きかたがある。反抗できないとはじめからきまっている主人達には、犬ころのように服従することと、仲間を売っても手柄を立ててみせる卑屈な根性を身につけることだ」

日本人の奴隷根性は、戦時中に遺憾なく発揮された。「おかっぴき根性や、五人組制度、いちはやく権力に反抗できないものときめ込んでしまう態度」を目のあたりにし、著者は「どうにも救いがたいという感じがした」と嘆く。戦後は対米従属に形を変え、著者が没して四十年以上を経た今に至るまで奴隷根性は続く。

だが著者は希望を失わなかった。「人間が自由を欲する動物であるかぎり、階級の関係が、本来、闘争的なもの」だからだ。権力への抵抗は「合理的に考えればそうなるはずですね。常識で考えてもわかることじゃないかと思うんだ」と語る著者は理性の人だった。

2016年7月21日木曜日

〔翻訳〕政治より自由貿易を

*Gary Galles, Richard Cobden: Activist for Peace(「平和活動家、リチャード・コブデン」)より抜粋。

自由の進展(progress of freedom)をより大きく左右するのは、平和の維持、貿易の拡大、教育の普及である。内閣や外交機関の尽力ではない。

わが国の市場を訪ねる海外客は、外交官の影響力を恐れてやって来るのではない。単に利己心(self-interest)に促されて来るのだ。

政治家を頼ってはいけない。自分自身を頼りたまえ。
Look not to the politicians; look to yourselves.

二つの国は互いに欲しいものを供給し、持ちつ持たれつの関係(mutual dependence)を築かなければならない。それ以外に、言葉や人種による敵対心を和らげる手段はない。

保護政策(protection)とは、まず人から金を奪う。その人は埋め合わせに別の人から奪う。これがぐるりと社会を一巡すれば、結局全員から盗んで誰も得をしない。

2016年7月20日水曜日

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』



雇用改善は良いことか

政府は経済政策の成果として雇用の改善を誇る。しかし雇用とは消費者を満足させるためにあり、人為的な雇用改善は社会を良くしない。ときに礼賛されるヒトラーの雇用政策の内実を本書で知れば、それがよくわかる。

著者によれば、ヒトラーの雇用政策の独自性は3つ。いずれも人為的に労働力の供給を減らし、統計上の失業者を減らす狙いがあった。第1に、若年労働者の供給を減らすため、若者に公益事業の勤労奉仕を義務づけた。

第2に、女子労働者の供給を減らすため、結婚奨励貸付金制度を導入し、女子就労者を家庭に戻した。出産すれば子の数に応じて返済額が減免される。「失業者の削減と出生率の向上という二つの目的をもつ政策」である。

第3に、徴兵制を再導入した。1935年以降、毎年100万人以上の若者が労働市場から姿を消す。一時600万人に達した失業者が次第に減少していく様子を、ゲッベルスの啓蒙宣伝省はラジオや新聞で詳しく伝えた。

「勤労奉仕の現場がいかに過酷で、生産性が上がらなくても、それは問題にならなかった。失業者の数を減らすこと――それが先決だった」。無駄な公共事業で雇用を「創出」する今の政府との違いは、程度の差でしかない。

2016年7月19日火曜日

〔翻訳〕「合法」な暴力は正しいか



*ラーケン・ローズ『最も危険な迷信』(The Most Dangerous Superstition)より抜粋。

「権力」とは悪事を働く許可のことである。もし一般人がやれば不道徳で不正(immoral and unjustified)とみなされることが、何でもできる。

「民主主義」とは多数から承認された(majority-approved)不道徳な暴力にすぎない。社会問題を解決することはできないし、自由や正義の手段にもなれない。

暴力が「合法」になり、「権力」によって行使されると、不道徳な暴力は正しい「法の執行」("law enforcement")に一変する。

「政府」への信仰を支えるのは、「公共善」("common good")のためなら無実の者に「合法的」暴力を先に振るっても構わないという考えである。この前提がいったん受け入れられると、「政府」の行為を制限する客観的な道徳基準はなくなる。

「政府」は「必要悪」("necessary evil")だという考えによれば、「政府」があるおかげで人間の暴力的で攻撃的な性質が抑制される。現実は正反対である。「権力」信仰は攻撃を正当化し、「合法」にする。

2016年7月18日月曜日

佐藤優・宮家邦彦『世界史の大転換』



「インテリジェンス」のお粗末

国家主義に盲いた元外務官僚の対談。難民を生んだのは、日本も協力した米欧の中東軍事介入。だがイラク戦争後に連合国暫定当局日本代表としてバグダッドに赴任したという宮家邦彦も、佐藤優も、国家の責任を問わない。

佐藤は「不法な難民を送り出す業者と、密航を請け負う業者が商売をしている」とさも悪事のように話す。「業者」が助けなければ、待つのは虐待や死だ。国家が不幸にした人々を救う民間人に、元公僕として感謝すべきである。

難民は「ヒトの『移動の自由』というポストモダン的なグローバリゼーションが進まなければ、起こりえなかった現象」と宮家。第一次世界大戦時に欧州で各国がパスポートを導入し規制を強めるまで、人の移動は原則自由だったことを忘れている。

宮家は「近代の国民国家は、教育や社会福祉、生活インフラを整備し…国力を増大させてきた」と国家を称える。しかし、たとえば日本の電力や鉄道産業はもともと私企業として発展し、戦争を機に国有化されたにすぎない。国家はむしろ、国鉄の累積赤字や原発乱立などの問題を引き起こした。

佐藤は「貧困層が増えて個人がバラバラになると…生活不安の矛先が国家に向かい、国家(官僚)の徴税に支障をきたす」と新自由主義の弊害なるものを心配してみせる。貧困層が増えるのは、国家が経済に介入して自由な生産活動を妨げるからである。徴税に支障をきたすとしたら、自業自得である。

諸問題の元凶は国家であるのに、元官僚の2人は意識的にか無意識的にか、それを認めたくないようだ。これではどれだけ情報を集めようと、正しい対策は講じられない。国家に仕え、権力者を喜ばせる習性の染みついた「インテリジェンス」とは、この程度のお粗末なものだ。

2016年7月17日日曜日

〔翻訳〕賃金を払うのは誰か



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より抜粋。

労働者の仕事道具がすぐれているほど、時間あたりに多くの仕事をこなすことができ、その結果、報酬(remuneration)が増える。

賃金率の高さは、販売する製品に労働者が加えた価値を、消費者がどのように評価するか(consumers’ appraisal)によって決まる。

映画スターに賃金を払うのはハリウッド(Hollywood)の映画会社ではない。入場料を払って映画を見る人々である。ボクサーに高額の賞金を払うのはボクシングの興行主ではない。入場料を払って試合を見る人々である。

実質賃金率を引き上げ、賃労働者の生活水準を良くする有効な方法は一つしかない。一人あたり(per-head)投下資本を増やすことである。

最低賃金は、政府によって命令・強制される(decreed and enforced)にせよ、労働組合の圧力・暴力によるにせよ、大量の失業を生み出すに終わる。

2016年7月16日土曜日

栗原康『現代暴力論』



国家は収奪者

国家とは何か。有無をいわさずに、税をむしり取る。警官を使って人に恐怖と恥辱を与え、無理やり言うことを聞かせようとする。つまり「収奪とカツアゲ」を事とする、暴力的な存在である。著者はそう喝破する。

著者はアナーキスト大杉栄や彼が参考にした社会学者グンプロビッチの議論に基づき、国家の本性を暴いていく。国家の起源は戦争である。武力で勝った部族が負けた部族を支配する。敗者は勝者の奴隷となり、労働を強いられる。

人が人を支配する構造は今も変わらない。議会制でも一握りの議員が政治の意思決定を独占する。では、どうするか。「あらゆる収奪を拒否すること。税金なんてはらわない」と著者。しかし同時に、それが「むずかしい」と認める。

なぜ難しいか。法律や教育によって、税金を払わないことが「わるいこと」だと思い込まされているからだ。逆に、納税して「あなたはすばらしい市民だ」などとほめられると、うれしくなってしまう。大杉栄はこれを奴隷根性と呼んだ。

社会を変えなければならないと多くの言論人は語るが、いずれも表面的で、問題の根本に触れようとしない。自発的な労働まで奴隷と同一視するなど賛同できない部分はあるものの、収奪者という政府の本性を恐れず暴く本は他に少ない。

2016年7月15日金曜日

〔翻訳〕賃金を上げる方法



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より抜粋。

他の生産要素と同じく、労働の価値は、人の欲求(human wants)を満たすためどれだけ役に立つかによって決まる。
 
長期では、労働者は消費者が認める(consumer allows)以上の収入を得ることはできない。
 
労働者全体の実質賃金を上げる方法は一つしかない。新しい資本(new capital)を徐々に増やし、それによって生産技術を改善することである。
 
労働者全体の賃金を引き上げ続ける方法は一つしかない。一人当たり投下資本を増やし、生産技術を改善することで、労働生産性(productivity of labor)を引き上げることである。
 
人がお金を払って買うのは労働者の骨折り(toil and trouble)でもなければ、労働時間の長さでもない。製品である。

2016年7月14日木曜日

渡辺豪『日本はなぜ米軍をもてなすのか』



「主権を守る」の嘘

自民党は憲法改正で日本の「主権と独立」を守ると言うが、本音は違うのではないか。政権中枢の官僚や政治家は「アメリカの意向を忖度して自発的に隷従する、という信仰にも似た強固な意識や価値概念」(p.12)で行動しているのではと著者は指摘する。
 
そもそも日本の官僚機構は敗戦後、米軍の占領に便利なように温存された経緯がある。元首と中央政府の存在が認められなかったドイツと異なり、天皇と政府を認める「間接占領」の方式がとられたためである(p.38)。
 
間接占領は「よほど日本人の肌に合ったのでしょうか、日本はアメリカ側も驚くほどこのシステムに順応していきます」(p.38)。宮沢喜一によると、当時の官僚の多くは占領軍を自己の都合のよい方に引っ張っろうと「徹底的にオベッカを使って成功した」(p.39)という。むろん、純粋に「国益」のためばかりではなかっただろう。
 
政府の自発的隷従の象徴といえるのが、占領時に米軍の物資・労務調達のため設立された特別調達庁である。日本が講和・独立した際、米国側からもう不要と言われたにもかかわらず、日本側の自発的意思で存続が決まった(p.58)。
 
後身の防衛施設庁は官製談合事件を起こし2007年に廃止されたものの、防衛省に統合され、米軍の「おもてなし」を続ける。「巨大な権益を抱える組織の意識や価値観は容易には変革できません」(p.195)という著者の言葉が重い。

2016年7月13日水曜日

〔翻訳〕自由貿易と平和

国際的分業(international division of labor)と、貿易による相互利益に対する理解は、より平和な世界の形成に貢献しうる。繁栄を築くには武力侵攻や軍事力に頼る必要はないという理解が、人々や各国の間に広まるからだ。
https://mises.org/library/cobden-freedom-peace-and-trade

帝国主義(imperialism)の背後にある経済的論拠(国内で吸収できない余剰商品を処分するため、「市場」を確保しなければならないという考え)が根本から誤っていると多くの人が認識すれば、海外侵略という冒険は色あせて見えるだろう。
https://mises.org/library/cobden-freedom-peace-and-trade

保護主義はあらゆる人(一定の特別利害関係者を除く)を貧しくするだけでなく、国際的な緊張(international tensions)を高め、戦争に導きかねない。
https://mises.org/library/case-free-trade

レーニン(Lenin)によれば、戦争とは資本家と労働者の対立の国際版である。ミーゼスによれば、資本主義の基礎はあらゆる人々に恩恵をもたらす交換と相互協力である。資本主義は商業のネットワークを築き、相互依存をもたらす。
https://mises.org/library/bastiat-was-right

自由貿易は、人々がもはや平和を信じなくなったときには、戦争を防ぐことができない。自由貿易の前提は、人間の関係は自発的で互いの合意(mutual consent)に基づかなければならないという考えである。
https://mises.org/library/can-free-trade-really-prevent-war

2016年7月12日火曜日

岩波新書編集部編『18歳からの民主主義』



「投票は善」という通念

選挙権年齢の引き下げを受け、若者に投票を促す本。当然ながら収録された文章の多くは、一部の例外を除き、多数による専制と背中合わせの民主主義の危険に無頓着か、ごまかすか、形ばかりの憂慮を示すだけである。

想田和弘。選挙に行かない人は、自分がベジタリアンなのに焼肉を食べさせられても「あんまり文句は言えない」とたとえ話で投票を促す。そもそも少数派が好きな料理を食べられない制度はどこかおかしいとは言わない。

上野千鶴子。夫婦のどちらが食事を作るか納得のいく話し合いで決めなければ、家庭に民主主義はないと批判する。ところが国家の民主主義は、特に根拠も示さず、主権者が納得して物事を決めているから擁護せよと言う。

姜尚中。在日韓国人の自分は帰化をせず、あえて選挙権を与えられない選択をしてきたと、せっかく民主主義への懐疑につながりうる言及をしながら、読者には結局「与えられた権利をフルに使う」よう勧めるだけである。

異彩を放つのは栗原康。投票を善とする通念を批判し、「多数による支配をぶちこわせ」「権力をつくるのはもうやめよう」と呼びかける。公園から喫煙者が締め出されることを資本主義の問題として非難する部分は的外れ(公園は私有財産ではないから)だが、問題の本質が権力者の選び方ではなく権力そのものであることを理解しているのは、執筆者で彼だけである。

2016年7月11日月曜日

〔翻訳〕民主主義という宗教



*カーステン&ベックマン『民主主義を超えて』(Beyond Democracy)より抜粋。

民主主義は宗教になった。現代の世俗的宗教(secular religion)に。

自由と民主主義は違う。人それぞれが衣服(clothes)にいくら使うべきか、民主主義によって決めたりはしない。

ロビー団体は補助金(grants)、特権、仕事を求めて果てしなく闘う。誰もが「公金」をむさぼろうとする。

毎日焼くパンの種類や枚数を民主的に決めることにしたら、どうなるか。ロビー活動、宣伝活動、論争(wrangling)、会議、抗議が果てしなく続くことだろう。

民主主義国における国民の団結(solidarity)なるものは、究極的には強制力に基づく。しかし強制された団結とは矛盾である。団結とは本来、自発的な行為を意味するからである。

2016年7月10日日曜日

大澤真幸編著『憲法9条とわれらが日本』



政府の能力への幻想

憲法は政府を縛り、個人の権利を守るためにある。9条が政府に戦争の放棄を命じるのは、政府による戦争という手段は個人の安全や権利を守らず、むしろ破壊し侵害するからと考えるべきである。リベラル派の論者4人はそれに気づかず、相変わらず政府やその集まりである国連に安全保障や平和創造の期待をかけようとする。

中島岳志は、9条に自衛隊の存在を明記し、自衛隊の暴走に歯止めをかけよと言う。しかし政府による解釈改憲が可能な以上、軍の暴走は止められない。暴走しかねない危険な存在なら、公認でなく廃止すべきである。

加藤典洋の提案のうち、非核宣言と外国軍事基地の拒否はよい。だが自衛隊を温存して国連待機軍にする案は、国連が個人の権利保護に不向きな政府の集まりである以上、有害無益である。災害救助も政府でやる理由はない。

井上達夫は、非暴力抵抗に徹する絶対平和主義を国全体に課すのは無理があるとして、9条削除を主張する。しかし9条が禁じるのは「国権の発動たる」戦争であり、民間の武力による自衛は禁じていないと解するべきである。

大澤真幸は、対立する陣営の双方を日本政府が非軍事的に支援せよと言う。これは赤十字やNPOのほうが向いているし、実績もある。政府がしゃしゃり出れば民間の活動を妨げ、国際問題に巻き込まれる恐れもある。

政府という官僚組織は鉄道や年金の運営が不得手であるのと同じように、国防や平和創造にも向いていない。何もしないのが一番よい。4人の論者がいずれも平和を尊ぶ点は評価できるが、政府の能力や善意に対する幻想から覚めなければ、平和は実現できない。

2016年7月9日土曜日

〔翻訳〕民主主義は道徳的か

政府は(選挙によって)限られたものではあるが、選択を与える。もしその選択によって自由や財産(liberty or possessions)の状況が改善すると思うなら、利用しない理由はない。
https://mises.org/blog/rothbard-voting

投票するかどうかは重要でない。重要なのは、どの候補を支持するかだ。…政府を認めたくないから棄権する、それは構わない。しかし投票日の夜(election night)、他の人々に誰を選んでほしいのか。それは重要だ。誰が勝つかによって違いがあるからだ。
https://mises.org/blog/rothbard-voting

投票によって金持ちから財産を取り上げるのは、社会主義である。なぜならそれは収入の少ない人々を助けるという「公共善」(common good)のために行われるから。
https://mises.org/library/immorality-democratic-voting

投票は道徳的義務(moral imperative)だという主張が正しいかどうかは、民主主義が道徳的に好ましいかどうかによる。…投票者は投票で他人の財産を手に入れようとする。これは道徳的に好ましくない。
https://mises.org/library/why-vote

政治権力に欠かせないのは、手段を問わず、国民の了承という道徳的支持(moral support)を得ることである。投票はその一番手っ取り早い方法である。だからヒトラー、ムッソリーニ、スターリンは投票実施を強く主張した。
https://mises.org/library/if-we-quit-voting

2016年7月8日金曜日

樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』



徴兵制導入論の倒錯

樋口陽一は、自分は9条改憲に反対だが、もし改憲して専守防衛の国防軍を作るというなら、その軍隊は国民主権の論理に基づき、徴兵制でなければならないと持論を述べる。これは民主主義のグロテスクな帰結にほかならない。

国民主権の軍隊はフランス革命前のような王のための傭兵集団ではいけないと樋口は述べる。小林節はこれに同意し、一部のプロに戦闘を任せる傭兵は権力者に好き勝手させる道具になると言う。だがそれは歴史的事実に反する。

早尾貴紀『国ってなんだろう?』で指摘されるように、近代以前、傭兵は多額の費用がかかるため戦争の規模は限られ、コストに見合う成果が期待できない戦いは行われなかった。一方、近代国家の紙切れ一枚で徴兵された国民軍は安上がりなため、戦争に歯止めがかかりにくい。

樋口は傭兵を「戦争が好きな者」と呼ぶが、誤りである。傭兵は金に見合わない戦争はせず、形勢が悪くなると逃げ出すこともあった。一方、国民軍は士気が高く、なかなか降伏しない。だがそれは個人の幸福とは限らない。

戦前の日本軍は国民を守らないどころか、満州や沖縄で多くの民間人を犠牲にしたと樋口は正しく批判する。それは軍が国民の雇った傭兵でなく、契約上の義務を負わない政府の一部門だったからである。徴兵では解決できない。

両著者は、安倍政権は安保法制問題で憲法をないがしろにしたと憤る。それはもっともな怒りである。だがそもそも憲法とは、個人の自由と権利を守るためにあるはずだ。自由の侵害そのものである徴兵制を求める樋口の考えは、倒錯している。民主主義(国民主権)と個人の自由(基本的人権の尊重)の対立・矛盾をごまかしてきた憲法学会のツケともいえる。

2016年7月7日木曜日

〔翻訳〕セイの抹殺

市場で生産者は自分の製品をお金に換え、そのお金で他人の製品を買う。それが市場経済の本質(essence)である。だからある財の供給は、他の財への需要に等しい(ゆえに全般的な需要不足はありえない)。仏経済学者セイはそう指摘した。
https://mises.org/library/says-law-markets

セイの法則で一番重要なのは、供給するのは人が欲しがる物でなければならない、ということだ。「供給はそれ自身の需要を作り出す」(supply creates its own demand)という誤った表現のせいで、何でも作りさえすればすぐに売れるという誤解が広まった。
https://mises.org/library/says-law-context

セイの法則からいえるように、需要の源泉(source of demand)は生産(供給)であって、お金ではない。
https://mises.org/library/say%E2%80%99s-law-and-permanent-recession

ケインズはセイの法則を感情的に否定したものの、それが誤りだと証明するまともな議論(tenable argument)は何もしなかった。
https://mises.org/library/lord-keynes-and-says-law

ケインズによるセイの抹殺(onslaught)は、経済予測に携わる実務家の多くから無視された。彼らが最も注意を払うのは、(需要でなく)経済の供給側だからである。
http://www.cato.org/publications/commentary/go-jm-keynes-versus-j-b-say

2016年7月6日水曜日

SEALDs編著『民主主義は止まらない』



権力を疑え

シールズ創設メンバーの奥田愛基は「『民主主義』ってものを自分たちのものにしようと、もがきながら考えた」と書く。民主主義とは権力者を決める方法の一つにすぎず、権力そのものが問題の根源という認識は相変わらず薄い。

シールズメンバーの古谷千尋は、政治家への投票は「悪さ加減の選択」と書く。A候補もB候補も悪いが、AのほうがよりマシだからAに投票する。この考えは現実的である。しかしそれでも、悪は所詮悪にすぎない。

同じくシールズメンバーの諏訪原健は「政治の源泉は権力であり、暴力であるかもしれない」と核心に近づく。だが結局、「一人ひとりを大切にするような倫理観を突きつけていきたい」と抽象的な対案しか提示できない。

聞き手の小熊英二は、市場では全員が特定の会社の製品を買う必要はないが、政治だと権力で強制されると重要な指摘をする。しかし、それなら社会における政治の役割を小さくしようという本質的な話には発展しない。

なおもう一人の聞き手である内田樹はメンバーたちに向かい、自民党がモデルにする国家は株式会社だという珍説を披露する。どれほど致命的な失策を犯しても、出資した分の株券が紙くずになる以上の責任は問われない有限責任だからという。

しかし自民党にせよ他のどの政党にせよ、政治家が失政の責任を取って財産を一部返上したという話は聞いたことがない。政治は有限責任どころか完全な無責任なのである。有限にせよ責任を取る株主と同等に扱うのは失礼というものだ。

シールズが戦争反対を強く訴えることには共感できる。だが戦争の根本原因は政府の存在自体にある。市場経済を嫌い大きな政府を好むリベラル知識人の影響が強いことは、ただでさえ民主主義の欠陥に鈍感な若いシールズの未来に暗い影を落とす。

2016年7月5日火曜日

〔翻訳〕民主主義の正体



*カーステン&ベックマン『民主主義を超えて』(Beyond Democracy)より抜粋。

投票とは、政治に影響力を及ぼすという幻想(illusion of influence)と引き換えに、自由を失う行為である。

民主主義を支配するのは「人民の意志」(the will of the people)ではない。プロのロビイストや利益団体、活動家の売り込みを受けた、政治家の意志である。

民主主義では、道徳的な議論は多数派の意志(will of the majority)に敗れる。量が質に勝つ。何かをやりたい人々の数が、道徳や良識に関する議論より重視される。

その本質上、民主主義とは全体主義のイデオロギー(totalitarian ideology)である。ナチズム、ファシズム、共産主義ほど過激ではないにしろ。

民主主義では、市民は他人を犠牲にして(expense of others)利益を得るか、自分の重荷を他人に負わせるよう奨励される。

2016年7月4日月曜日

内田樹・姜尚中『世界「最終」戦争論』



戦争と商取引の混同

グローバル化や新自由主義という言葉を定義せず振り回す本は信用できない。内田樹は、欧州への難民は「グローバル化の帰結」と言う。だが難民が発生した主因は、欧米の軍事介入で悪化した中東の内戦で、自由貿易や移動の自由ではない。

内田はさらに、難民の移動を止めるには関税を引き上げ、入国管理を厳しくするなど国民国家の障壁を再構築してグローバル経済を止めるしかないと言う。そんなことをすれば国家間の対立を深めるばかりで、逆効果である。

内田は、自由貿易は米国の国是であり、これだけは譲れない信念だと断言する。明らかな誤りである。もし自由貿易が米国の国是なら、外国製の鉄鋼や自動車に関税をかけたり、自国農業を補助金で助けたりするはずがない。

内田と姜尚中は、日本企業が兵器産業に傾斜することを憂慮する。それは正しい。しかし兵器産業が資本主義の「象徴」(姜)とはおかしい。兵器産業を潤すのは肥大化した政府の税金であり、消費者の自由な購買行動ではない。

姜はせっかく「戦争寄生的な資本主義」と「労働倫理に裏付けられた自生的な資本主義」の区別を指摘しておきながら、内田に調子を合わせて議論をそれ以上深めない。戦争と商取引、暴力と非暴力を混同した議論は、戦争を止める役に立たない。

2016年7月3日日曜日

〔翻訳〕1%が99%を支える

市場経済の下で上位1%の富裕層になる一番の手段は、資本家兼起業家(capitalist-entrepreneur)として成功することである。つまり、99%の人々(大衆消費者)に競争相手よりもうまく仕えることである。
https://mises.org/library/99-and-1

「我々は99%」とデモ行進をする人々が気づいていないのは、1%の人々の富が99%の人々の生活水準(standard of living)を支えていることである。
https://mises.org/library/praise-capitalist-1-percent

米国で1975年に収入が下位20以内だった勤労者(working people)のほとんどは、1991年までのどこかで上位40%に入った。1991年も下位20%だった人はわずか5%で、29%は上位20%となった。
http://www.nationalreview.com/article/282503/whos-top-1-percent-thomas-sowell

1%の人々には、資本を所有し、生産性と経済成長を支える人々がいる。しかし別の1%がいる。国民に寄生し、99%を搾取する(exploit)人々である。それは政府である。
https://mises.org/library/state-1-percent

今の上位1%の人々は市場経済が生んだのではない。コーポラティズム(政財協調=癒着、 corporatism)の影響が大きい。自由な市場で収入は平等にならないが、最上層と最下層の差はもっと小さくなり、互いの移動がさらに増えるだろう。
https://fee.org/articles/the-99-and-the-1

2016年7月2日土曜日

北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』



左翼の経済政策なるもの

北田暁大と五野井郁夫はしきりに、左翼も政権を担うには経済成長策を示さなければならないと力説し、白井聡もある程度同意する。しかし彼らが挙げる具体案は、自公政権以上に国家主義的で、市場経済を窒息させる。

第1に、公務員給与の引き上げや公務員数の拡大で消費を刺激する案。ケインズ経済学の倒錯を示す誤りである。社会を物質的に豊かにするには、消費を煽るのでなく、民間投資で生産力を高めなければならない。

第2に、最低賃金の引き上げ。全国に時給1500円を推し広めろという。最低賃金の引き上げが未熟練労働者を中心に失業を増やすことは、経済学のイロハである。企業は機械化を加速し、人を雇わなくなるだろう。

第3に、課税強化と再分配。富裕層や大企業から税金を多く取れば、投資に回る資金が減り、生産が減り、物価が上がる。つまり実質所得が低くなる。中間・貧困層の生活は楽にならない。政府が関与する分、資源配分が不効率になり、むしろ彼らを貧しくする。

もし左翼勢力が政権を取っても、このような経済原理を無視した政策では、国民生活の悪化は避けられない。すぐに軍国的な自公政権に返り咲かれるか、失政を糊塗するため自公以上に強権的な政府に変貌するかだろう。

経済政策よりはむしろ沖縄問題など安全保障政策に傾聴すべき部分はあるが、分量は少なく、全体として高くは評価できない。

2016年7月1日金曜日

井上達夫『憲法の涙』



護憲派の矛盾を衝く

護憲派の矛盾を鋭く衝く。憲法9条を素直に読めば、自衛戦争を禁じ、非武装中立を命じているとしか考えられない。集団的自衛権行使はもとより、個別的自衛権行使も認められないはずと著者は正しく指摘する。

つまり自衛隊と日米安保条約は存在自体が憲法違反である。これはかつて主流派、今も多数派の原理主義的護憲派憲法学者の主張で、9条解釈としては正しい。彼らは、自衛隊と安保を合憲とする内閣法制局見解を批判してきた。

ところが長谷部恭男早大教授ら最近の修正主義的護憲派憲法学者は、集団的自衛権は違憲と批判しつつ、個別的自衛権とその範囲での自衛隊、日米安保は合憲と言う。これは詭弁であり解釈改憲であると著者は批判する。

旧来の原理主義的護憲派は政治的配慮からか、自衛隊・安保合憲論を批判しなくなった。樋口陽一東大名誉教授のように、自説を変えたわけでもないのに、個別的自衛権肯定の声明に名を連ねた人さえいる。学問的良心に反すると著者は批判する。

リバタリアン的解釈では、9条は政府の武力を禁じるが、民間の武力は禁じていないと考えられる。9条を守ると非暴力抵抗しかできないという著者はそこを見落としている。著者の持論である徴兵制導入にも賛同できない。だが護憲派批判は的を射る。

前著『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』は、リベラル派の国家主義的発想が強すぎて辟易したが、今回の続編で的を絞ってていねいに述べられた護憲派批判は説得力がある。